日置俊次教授。いつもカタジケナシです…
私の作品の認知度や理解者の少なさに日々驚いています…というか、もはや、驚きもしませんが…
理解者が少ないだけならまだしもですが、『マタイによる福音書7章6』のように
●「聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。恐らく彼らはそれらを足で踏みつけ、向きなおってあなたがたにかみついてくるであろう。」
という再三の人間界のこの繰り返しの状態には、さすがに冷笑、半笑になってしまいます…(詳細は、このブログを探せば出てくるでしょう…)覚知魔事です。
人間界とは、そういうものなのでしょう…『亡くなる心得』でも何故そうなるのか、解説もしましたが…。
そんな中、モノスゴイ御学歴の日置教授は、御理解いただき、本当に恐縮でございます………
ありがとうございます…
どうお答えしたらいいのか… 考え、抜き出し形式でお答え?というか、思った事を記させていただきます…
御題名の『言語を超えたもの』 この言葉は『Talking with Angel―イタリアの天使達―』の後書きで「思考や言語を超えたもの」として書いた事を思い出しました。
写真家は直感(直観)の人なので、当時、私自身ですら、この一元と二元の問題は、9割近くは解かった気がしておりましたが、残りの1割は解らないままに書いた記憶がございます。
やはりこの問題は奇しくも、『イタリアの天使達』の一番最初の言葉はジョーゼフ・キャンベルの名言で始まっています。
●「そして天界と他界―非存在と存在さえも― が、二元のものではないという悟りの状態に達し、その状態に同化したとき、生命の喜びは、尽きることのない杯から溢れる如くに、あらゆるものから溢れ出す」
この「二元のものではない」点に明確に気付き(残りの不明だった1割に気付いて)文章化したのが『亡くなる心得』であり、『コート・ダジュールの天使達』の「あとがき」になります。
> レンズはその裏の実に奥深いところ、つまり魂に届いているのです。
そうなのです…魂や異次元に届かないと、写真やArtの意味は絶対ございません…
ですので、もう人を撮るという行為もほぼ止めました…もう、ほぼ解ったからです…
> しかし現実の人間たちは、そういう霊的世界に関心もなく、対話に打ち込んでいる岩谷氏をだますことが多いのです。
そうなのです…ジョーゼフ・キャンベルさんも名言を残しておられます…
> 岩谷氏は言語を超えた対話をして、言語を超えた世界を感じ、言語を超えた映像を撮影しておられます。それは、現在のこの世界においては誠に稀有な、孤独な作業であり、そのすばらしい成果である写真集や死をめぐる著作なども、すぐには評価されない傾向があります。
ありがとうございます……私もそのつもりの求道でやってきました…自らの生き死にに関わる事だった。
『亡くなる心得』の後書きにも記しましたが、孤独に「集中しないと」決して出来ない作業です…
よく、私の現状を心配する親友の御仁から、「あなたの写真は、ツイッター等に拡散したらいいのに…」と言ってくれる人もおられますが…私の写真は140文字で語れるようなものではないですし… 何より悪意のある人の、クダランコメントなどには、天使や仏をとてもさらしたくはないとの思いもありますね… クダラン人の無神経なコメントはただの「私の集中の邪魔でしかありません…」
だから私はブログや書籍で文章をツラツラと書きがちなのです。その背景にあるのは「あくまで責任」です。
無責任な言葉がツイッターで飛び交うのは「非常に無責任で品が無い行為だ…」と私は思うのです… (最近、宮台真司氏襲撃事件が、ありましたが、あの人のツイ―トは口が悪い… 学者ともあろう人が…自ら災いを招くような口調です…この世やニュースはあまりその点を取り沙汰しない風潮も実に気味が悪い話です)
私もバカや犯罪者へは正直に「バカ!」と言う方ですが…笑 この事件はそれとは別次元の話のような気がいたします。当然ですが私がバカと言う場合は、あくまでその論拠を説明しています。短文で、さらに説明もしないメディアである限り、必ず誤解を受けます…
> 言語を超えた世界とつながるというのは、実はそれだけ言語を大切にしていなければ実現しないのです。「約束を守る」というこの世界ではすでに忘れ去られた美徳を魂に深く刻んで生きていないと、不可能なのです。
これは、本当にその通りでございます…
昨今の私の『マタイによる福音書7章6』のような状況を振り返り、漱石さんの『坊ちゃん』の「いつも損ばかりしている」という言葉を思い出していました。
ちょっと検索していると、こうした名言も発見。
● たまに正直な純粋な人を見ると、坊っちゃんだの小僧だのと難癖をつけて軽蔑する。それじゃ小学校や中学校で嘘をつくな、正直にしろと倫理の先生が教えない方がいい。いっそ思い切って学校で嘘をつく法とか、人を信じない術とか、人を乗せる策を教授する方が、世のためにも当人のためにもなるだろう。
これは名言ですね… 正直に生きてきた。約束も守ってきた。だから苦労した…笑
私はこの人間界に 幼稚園児にも教えるこの「坊ちゃんに言うような」この4つしか要求していないのに……笑
●「約束を守りましょう」
●「嘘をつくのは止めましょう」
●「責任を持ちましょう」
●「間違ったらちゃんと謝りましょう」
耆域の言葉が真理なのでしょう……
そうそう! 「要求」という発想も私の誤りでしょう…笑 そんな人間界です…
>評価する能力が世間に備わっていないからです。
これは、本当にそうです……
文章だけでは味気ないので、最近、新たに良いな…と思った曲を御紹介。
過去に書いています。動画の写真、削除されたのね…メチャクチャ良かったのに…
イギリスの陰気臭い冬。陰気臭い日常の中に、最後に、磔刑のキリストを見出す… 意外とこの日常の陰気な感じは秀逸ではないか??(この動画の陰気臭さは経験上死に繋がる気がする。クダラン人間界からHighlandsへの憧憬)かと言って死んじゃダメだよ。それは何故なのか『亡くなる心得』でも記しているから。 (ソウソウ!ロンドンに行った時、やはり冬場に精神病を発症する人が多いと現地の人から聞いた事ある) そしてたよりになるのは、あなたの記憶、経験、解釈でしかありえません。
今、Highlandsと言えば、私の中では、NHKのこの番組ですが。笑
ネス湖のあるHighlandsってこんなに美しい所なのね…と思う。
そして、機関車模型を通じて、過去を評価する人達。私も本質は過去を評価する人なのです。古典を愛し、古い天使や仏達を愛し、オールドルアーを愛し、機関車やクラシックカーを愛する人達の気持ちもよく解ります。私の愛車は26年。笑
私は、進歩や新しいものが全てOKだとは、決して思ってません…
(そもそも、真理はもっと太古に、とっくに発見されています。現代人がもはや気付かないだけです…)
軍事兵器などは象徴的で、新しいものばかりを作って、どこへ向かっているだろうと思うわ… 人間の根本のOSの問題です。悲しいかなOSがぶっ壊れている人間が多い… 人間のOSの問題が『亡くなる心得』です。
岩谷薫(Kaoru Iwatani)『Talking with Angels』ー天使と仏の写真家ー | Facebookページも宣伝

理解者が少ないだけならまだしもですが、『マタイによる福音書7章6』のように
●「聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。恐らく彼らはそれらを足で踏みつけ、向きなおってあなたがたにかみついてくるであろう。」
という再三の人間界のこの繰り返しの状態には、さすがに冷笑、半笑になってしまいます…(詳細は、このブログを探せば出てくるでしょう…)覚知魔事です。
人間界とは、そういうものなのでしょう…『亡くなる心得』でも何故そうなるのか、解説もしましたが…。
そんな中、モノスゴイ御学歴の日置教授は、御理解いただき、本当に恐縮でございます………
ありがとうございます…
どうお答えしたらいいのか… 考え、抜き出し形式でお答え?というか、思った事を記させていただきます…
御題名の『言語を超えたもの』 この言葉は『Talking with Angel―イタリアの天使達―』の後書きで「思考や言語を超えたもの」として書いた事を思い出しました。
写真家は直感(直観)の人なので、当時、私自身ですら、この一元と二元の問題は、9割近くは解かった気がしておりましたが、残りの1割は解らないままに書いた記憶がございます。
やはりこの問題は奇しくも、『イタリアの天使達』の一番最初の言葉はジョーゼフ・キャンベルの名言で始まっています。
●「そして天界と他界―非存在と存在さえも― が、二元のものではないという悟りの状態に達し、その状態に同化したとき、生命の喜びは、尽きることのない杯から溢れる如くに、あらゆるものから溢れ出す」
この「二元のものではない」点に明確に気付き(残りの不明だった1割に気付いて)文章化したのが『亡くなる心得』であり、『コート・ダジュールの天使達』の「あとがき」になります。
> レンズはその裏の実に奥深いところ、つまり魂に届いているのです。
そうなのです…魂や異次元に届かないと、写真やArtの意味は絶対ございません…
ですので、もう人を撮るという行為もほぼ止めました…もう、ほぼ解ったからです…
> しかし現実の人間たちは、そういう霊的世界に関心もなく、対話に打ち込んでいる岩谷氏をだますことが多いのです。
そうなのです…ジョーゼフ・キャンベルさんも名言を残しておられます…
> 岩谷氏は言語を超えた対話をして、言語を超えた世界を感じ、言語を超えた映像を撮影しておられます。それは、現在のこの世界においては誠に稀有な、孤独な作業であり、そのすばらしい成果である写真集や死をめぐる著作なども、すぐには評価されない傾向があります。
ありがとうございます……私もそのつもりの求道でやってきました…自らの生き死にに関わる事だった。
『亡くなる心得』の後書きにも記しましたが、孤独に「集中しないと」決して出来ない作業です…
よく、私の現状を心配する親友の御仁から、「あなたの写真は、ツイッター等に拡散したらいいのに…」と言ってくれる人もおられますが…私の写真は140文字で語れるようなものではないですし… 何より悪意のある人の、クダランコメントなどには、天使や仏をとてもさらしたくはないとの思いもありますね… クダラン人の無神経なコメントはただの「私の集中の邪魔でしかありません…」
だから私はブログや書籍で文章をツラツラと書きがちなのです。その背景にあるのは「あくまで責任」です。
無責任な言葉がツイッターで飛び交うのは「非常に無責任で品が無い行為だ…」と私は思うのです… (最近、宮台真司氏襲撃事件が、ありましたが、あの人のツイ―トは口が悪い… 学者ともあろう人が…自ら災いを招くような口調です…この世やニュースはあまりその点を取り沙汰しない風潮も実に気味が悪い話です)
私もバカや犯罪者へは正直に「バカ!」と言う方ですが…笑 この事件はそれとは別次元の話のような気がいたします。当然ですが私がバカと言う場合は、あくまでその論拠を説明しています。短文で、さらに説明もしないメディアである限り、必ず誤解を受けます…
> 言語を超えた世界とつながるというのは、実はそれだけ言語を大切にしていなければ実現しないのです。「約束を守る」というこの世界ではすでに忘れ去られた美徳を魂に深く刻んで生きていないと、不可能なのです。
これは、本当にその通りでございます…
昨今の私の『マタイによる福音書7章6』のような状況を振り返り、漱石さんの『坊ちゃん』の「いつも損ばかりしている」という言葉を思い出していました。
ちょっと検索していると、こうした名言も発見。
● たまに正直な純粋な人を見ると、坊っちゃんだの小僧だのと難癖をつけて軽蔑する。それじゃ小学校や中学校で嘘をつくな、正直にしろと倫理の先生が教えない方がいい。いっそ思い切って学校で嘘をつく法とか、人を信じない術とか、人を乗せる策を教授する方が、世のためにも当人のためにもなるだろう。
これは名言ですね… 正直に生きてきた。約束も守ってきた。だから苦労した…笑
私はこの人間界に 幼稚園児にも教えるこの「坊ちゃんに言うような」この4つしか要求していないのに……笑
●「約束を守りましょう」
●「嘘をつくのは止めましょう」
●「責任を持ちましょう」
●「間違ったらちゃんと謝りましょう」
耆域の言葉が真理なのでしょう……
そうそう! 「要求」という発想も私の誤りでしょう…笑 そんな人間界です…
>評価する能力が世間に備わっていないからです。
これは、本当にそうです……
文章だけでは味気ないので、最近、新たに良いな…と思った曲を御紹介。
過去に書いています。動画の写真、削除されたのね…メチャクチャ良かったのに…
イギリスの陰気臭い冬。陰気臭い日常の中に、最後に、磔刑のキリストを見出す… 意外とこの日常の陰気な感じは秀逸ではないか??(この動画の陰気臭さは経験上死に繋がる気がする。クダラン人間界からHighlandsへの憧憬)かと言って死んじゃダメだよ。それは何故なのか『亡くなる心得』でも記しているから。 (ソウソウ!ロンドンに行った時、やはり冬場に精神病を発症する人が多いと現地の人から聞いた事ある) そしてたよりになるのは、あなたの記憶、経験、解釈でしかありえません。
今、Highlandsと言えば、私の中では、NHKのこの番組ですが。笑
ネス湖のあるHighlandsってこんなに美しい所なのね…と思う。
そして、機関車模型を通じて、過去を評価する人達。私も本質は過去を評価する人なのです。古典を愛し、古い天使や仏達を愛し、オールドルアーを愛し、機関車やクラシックカーを愛する人達の気持ちもよく解ります。私の愛車は26年。笑
私は、進歩や新しいものが全てOKだとは、決して思ってません…
(そもそも、真理はもっと太古に、とっくに発見されています。現代人がもはや気付かないだけです…)
軍事兵器などは象徴的で、新しいものばかりを作って、どこへ向かっているだろうと思うわ… 人間の根本のOSの問題です。悲しいかなOSがぶっ壊れている人間が多い… 人間のOSの問題が『亡くなる心得』です。
岩谷薫(Kaoru Iwatani)『Talking with Angels』ー天使と仏の写真家ー | Facebookページも宣伝
