『三島由紀夫が復活する』 小室直樹 を読んだ | Talking with Angels 天使像と石棺仏と古典文献: 写真家、作家 岩谷薫

『三島由紀夫が復活する』 小室直樹 を読んだ

三島由紀夫 小室直樹 ダサイ装丁だな。なんかこっちが気恥ずかしくなる!笑 それはおいといて、
 小室直樹さんは、この頃結構信用しています

 そのものすごい読書量と知識量は他を圧倒するものがあります。貧乏生活されていた時は、本が買えず部屋にはほとんど本が無かったといいますから、本屋での立ち読みや速読で全て記憶していたとのこと。三島さんもそうですが、生まれながらの秀才、天才はいますね。 私などは記憶できないので、こうして書いています。

 世に三島論は数々あれど、どれもその表層をすべっているだけで、その本質に迫ったものは、無いような印象を私は受けます。

 この読書で、信用する天才が天才を語る訳ですから、期待は大きかった。
 でも、私の持っていた疑問は解けなかった………

 三島さんを知るには、唯識論の阿頼耶識を熟知する必要があり、そこに着眼した小室さんは、やはり鋭い。だから私は『暁の寺』に注目し、『ミリンダ王の問い』に注目していた

 私はその阿頼耶識をもう少し知りたかったので、小室さんの知識を借りようと読んでみた訳ですが、結果、意外と三島さんが言っている以上のことはなく、そこからの小室さんなりの論の発展性が欲しかったところだ。

 仏教はそもそもアートマンをも否定する教えであるから、
 「三島は断じて魂の存在なんぞ認めていない」と断じている小室さんですが、だったらどうして、三島さんは、国家や日本文化、天皇にこだわったのか??
 さらに自決の日を11月25日にして、仏典に言う49日後の生まれ変わりを自身の誕生日の1月14日に当てた意味はいったいどう説明するのか??すごい矛盾。

 全ては、識(色)で、空でそんなものは、幻でしかありえないのに、どうしてそんなにこだわったのか???
 「三島さんが憎む、戦後生まれの私には」、どうしてもそこが謎なのです。
 全ては識だからこそ、そこにこそこだわったのか?? 不明。
(しかし、それしか説明がつきそうにないが…あるいは、素直に時代に裏切られた感情のもんだいか…?これでも説明はつくが… )

 「この矛盾の説明が小室さん側から全く無い!」

 小室さんともあろう人がその矛盾に気付かないはずはないのに、なぜ書かなかったのだろう??? 御会いできたなら、聞いてみたかったくらい。謎のままです。

 ちなみに、転生の理由は『ミリンダ王の問い』のナーガセーナによると、「罪の証し」だという。
 私なりに思うに、「罪の証し」には多少の語弊があり、むしろこの世に残してきた念によると言ったほうが自然だ。それは、チベットの『死者の書』でも言っていたこと。

 ちょっと興味深かったのは自決の年に開かれた『三島由紀夫展』のパンフレットに書かれた自らの生涯を語る4つの河のこと。(全文を書く気は起こらないので抜き書き。)
●書物の河
書かれた書物は自分の身を離れ、もはや自分の心の糧となることはなく、未来への鞭にしかならぬ。どれだけ絶望的な時間がこれらの書物に費やされたか、もしその記憶が累積されていたら、気が狂うにちがいない。

●舞台の河
にせものの血が流れる絢爛たる舞台は、もしかすると、人生の経験よりも強い深い経験で、人々を動かし富ますかもしれない。

●肉体の河
肉体には機械と同じように衰亡という宿命がある。私はこの宿命を容認しない。

●行動の河
いくら「文武両道」などと云ってみても、本当の文武両道が成り立つのは、死の瞬間にしかないだろう。中略 ただ、男である以上は、どうしてもこの河の誘惑に勝つことはできないのである。

 阿頼耶識とか言い出している人が、どうしてここで男を持ちだすのか、はなはだ疑問。やはり自意識過剰、他人の目を気にして生きてきたことが解ります。
 子供の頃、虚弱だったので余計なのです。

 さらに三島さんの美しい生き方とは
「自分の仕事に誠実に生き、又、國や民族のためにいさぎよく命を捨てる、というのは美しい生き方であり死に方である」と断じており、この辺も「三島さんが憎む、戦後生まれの私には」退くものがあります。(これは実際に彼が戦争に参加しなかったことも大きな因だろう。ちなみに水木しげる翁とは対称的。)
 武士が尊敬されたのは、この生き方にあると言っていますが、この「尊敬された」という言葉にも注目で、いかに三島さんが他人に尊敬されたがっているのかも伝わります。

 周知の通り、儒教の教えが武士道に繋がったわけですが、儒教といえ、武士道といい、ひとつのイデオロギーでしかありません。 それは所謂、幻想です。(まぁ、それがあってこその国家なのでしょうが)

 ただ、若いころの教育って、ものすごく本人に刷り込まれているもので、昭和元年に生まれた三島さんは、まさに戦中教育の中で時代と供に生きてきたわけです。なにかの動画で「それはしかたのないことだ」と呟いていますが、まるで昭和の呪いのような生き方だったのでしょう。
 
 「三島さんが憎む、戦後生まれの私には」やっぱりまだ深層の部分で解りませんが、(いや、ちょっと示唆的なことは『新釈 中国古典怪談』で書いたけど…)私は、三島さんの圧倒的な知識量と、その誠実さにおいて好きです。
 小室さんなら、もっとその深層の部分に切り込んでくれると、期待が大きかっただけに少々残念感は残りますが、読み物としては面白いでしょう。 前半が面白かっただけにちょっと竜頭蛇尾な印象ですが。
 
 そうそう、最後に紹介されている、亡くなる年に三島さんが政府に送った建白書も、今の日本と重ねあわせながら読むのもいいのかもしれません。
人気ブログランキングへ
にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村
にほんブログ村 美術ブログ 宗教美術へ
にほんブログ村