奇跡のコースをベースにした
“心がほぐれるお祈り”
無料モニターセッション
【ご感想】
こんにちは♪
繊細な女性が
“しなやか”に生きていくお手伝い
こころを紡ぐカウンセラー 藤澤真弓です
この度は
“心がほぐれるお祈り”
無料モニターセッションに
ご参加下さった皆さま
ありがとうございます。
お礼を申し上げます。
ご感想を
ご本人の承諾を得
紹介させていただきます。
Tさま
【モニターセッションのご感想】
先日はライン通話、
自分を追い詰める思考を握って離せない、
何度も選び直して行くしかないのだなあと
気がついたら短い時間でも
今、たくさんのことを書けませんが、
寄り添ってくださりありがとうございます。
先日
奇跡のコースのテキストを読んでいると
こんな箇所がありました。
聖霊は、あなたの偉大さを、卑小な世界が
あなたに差し出すいかなる卑小な贈り物にも
触れさせることはなく、卑小さから清め、
心の中の完璧に安全なところに
はっきりと保持することができる。
しかし、このためには、
聖霊があなたのために
意志していることについて、
あなたが聖霊に敵対してはいけない。
聖霊を通して、神を選ぶ決断をしなさい。
なぜなら、卑小さ自体も、
卑小さに満足できるという信念も
あなたが自分自身について下す決断に
他ならないからである。
(奇跡のコーステキスト第15章Ⅲー6ー1~4)
例えば
「あの人にあんなひどい言い方をされて
わたしは傷ついた」
「わたしは弱い人間なのだろうか?
ダメな人間なのだろうか?」
このように
知覚(自分が認識)
していたことに
気づくことがあります。
そしてこの時
わたしは
そのようにしてまでも
傷ついたことを主張し
証明しようとし
そのわたしを
何とか保持していたかったのだなと
気づくのです。
何度もです。
「聖霊があなたのために
意志していることについて、
あなたが聖霊に敵対してはいけない」
こちらの一文に触れた時
ああ、
わたしは
こころを防衛しようとするなら
聖霊に敵対している、
けれども
そのこころを聖霊へ
明け渡すその意欲を差し出すなら
それがとてもスケールのある
ささやかな一歩のように感じたのです。
わたしが努力することは
こころを防衛することではなかった、
聖霊の思考でみせて下さいと
願いでることだったのだと。
わたしたちは何度でも
願い出ることができる、
そういう歩幅、
大切に積み重ねていくのですね。
聖霊はいつでも
手をとっていてくれる、
何て心強いのでしょう!
何てやさしいのでしょう!
何てしなやかなのでしょう!
そして
“与えること、受けとること
そこに曇りをみない、ねじれをみない、
ただそこに凜としていること”
聖霊を選ぶたびに
ぜひこころして
おきたいと思います。