阿闍梨様の言葉と有り難み 滋賀京都旅日記08 | dahlia/ココロのお天気 Life is still beautiful

これまでの『滋賀京都の旅日記』は

 

あじさい01 多賀大社 旅の始まり

 

クローバー02 宝厳寺〜都久夫須麻神社

 

宝石赤03 石山寺〜本来のわらび餅

 

お月様04 イケメン日本武尊 in 建部大社

 

宝石赤05 日吉大社でご挨拶

 

星06 無動寺にたどり着くまで

 

クローバー07 比叡山無動寺 阿闍梨さまに出会う

 

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前回、

比叡山の無動寺で

大阿闍梨様の行う護摩供に参加した際、

 

信者さんは

有難いわよねぇ、ほんと有難い

と仰っていました。

 

阿闍梨様は

過酷な修行でも

自分のことだけ考えれば良いから楽なのです

と仰っていた。

 

私はこの言葉がすごく印象的でした。

 

なぜなら私は

 

自分のことに集中したいって

今年は思ってたから。

 

この言葉を聞いて、

 

私は今、

自分のための修行中なんだなって思いました。

 

だから今は

自分のことを沢山やっておこうニコニコ

 

その時間をもらえているって

すごく有難いクローバー事だから。

 

 

私の場合は

自分がやりたいことをやって、

その結果、周りの人に喜んでもらえたら幸せ

っていうスタンスなので

 

仏様の領域までは全然及ばないけど、

人間のうちはそれで良いかなって思う。

 

星

 

千日回峰行を満行された後、

阿闍梨様は他者のために

働いていらっしゃる。

 

私はこの日から3日ほど

有り難みってなんなんだろうって

想いを馳せていたのですが

 

そのたびに

なぜか涙がツーッと溢れて来る。

 

理由がわからない。

でも、自分の過去生のことに関係してる気もする。

 

 

延暦寺の

お寺の信者さんにとって

何が有難いかといえば

 

お寺の中でも

トップ中のトップまで上り詰めた

阿闍梨様が

 

自分たちのために毎日働いてくれて

お食事や法話まで聞かせていただける、

接することができる

 

ということなんじゃないかと思いました。

 

 

だって真顔

 

もしかしたら

阿闍梨様はそんなことしなくても良いのかもしれないもの。

 

もちろん、仏教の世界で仏様って

人々を救済する為に

日夜働いてくださる、

守ってくださるってことだけれど

 

 

その仏のためにお経を唱えて

大きな行事の時に

民衆の前に出て来るだけでも良いのかもしれない。

 

 

それなのに、

毎日利他のために護摩を焚いて

御経を唱えてくれる。

 

生き仏と呼ばれる人が

自分たちと同じ目線で話をしてくれる、接してくれる。

 

そういうことなのかもなぁ

と思いました。

 

 

旅に行く前は

 

比叡山に入ったら

ゆっくり呼吸法でもやろうと考えていたのに

ここまで毎日歩きまくり、

 

歩く修行か?えーん

愚痴をこぼす私だったものの

 

 

無動寺までの道のり(山の坂道)を考えると

 

 

毎日歩く行程になっていたのは

この無動寺に行くための

準備運動だったのでは?アセアセ

 

と、ようやく

ここで気づいたひらめき電球のでした。

 

 

いきなり比叡山に入ってたら

普段歩かない私は

無動寺に行かなかったかも。

 

でも連日歩いていたおかげで

無動寺からの帰りの登り道も

ちゃんと帰ってこれました。

 

しかも、

思っていたほど苦じゃなくて

自分でもびっくり。

 

 

本当に、この世界はうまくできてる。

必要なものがちゃんと与えられる。

 

 

頭で考えると、

その時は理解できないことも、

後から振り返れば、

腑に落ちることばかり。

 

やっぱり魂(の計らい)には敵わない。

 

そして

 

やっぱり宇宙ってすごいのね

 

無動寺に行く前、

ノートに書いてたのです。

 

 

『目からウロコ』のことを言ってくれる人に会わせて〜

 

と。

 

その結果、

 

無動寺で

このお話を聞いたときに、

 

 

ビックリマークベル

 

と思いました。

 

 

 

そんなわけで

 

今回の無動寺での出来事に

すっかり満足してしまい、

 

比叡山の一番離れたエリア、横川には行かなかった。

 

 

せわしなく

横川に行くのもちょっと違うかな

次回の目的の為にとっておこうと

決めました。

 

 

 

 

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