こんばんは。
kaoriです
こちらのブログでは
親の老いを受け入れるをテーマに
ブログを綴っています。
寂しいとか哀しいとかではなく
幸せな老いを受け入れることが
出来るのではないか?
そんな娘から視た視点で
ブログを綴っていこうと思っています。
最近、よく思うことなのですが
ただ、ただ今を
まっすぐに見てみようかな?と。
認知症と1口に言っても
その症状は実にさまざまで
対応も人それぞれ。
だとすると
これは、認知症の症状の1つなのか?
そう考えることを
辞めることにしました
認知症という病気に
1つひとつの父の言動を
当てはめていくのを辞めてみる。
アレもそうなのかな?
コレもそうなのかな?と
症状を認知症であるということに
当てはめていくのは
どうも違う気がする。
それをするということは
本来のその人自身を
理解しようとする事を
辞めてしまうのではないか?
そんな疑問が湧いてきました。
人はお互いに伝え合うことで
理解し合うはずなのに
認知症というだけで
症状に当てはめてしまったら
相手を理解しようとすることさえ
放棄してしまう
言ってもわかんないから
言っても伝わらないから…は
間違ってはいないのかもしれない。
だけど。
全てが理解出来ない訳じゃない
「今は」感情が高ぶっていて
理解出来ない
「今は」その話を受け入れられないは
認知症でなくてもあること
決めつけて可能性を狭くするのも
本人が諦めることを促し続けているのも
実はそばにいる私達なのかもしれない
本人が諦めたい
もう嫌だとならないのに
周りが勝手に決めつけて
諦めさせるのは
やっぱりちがう。
自分自身の否定も
他の誰かの否定もせず
無理矢理の肯定もせずに
ありのままを認めること
今はこの感情を選択しただけ
今はこの状態を選択しただけ
ただ、それ以上でも
それ以下でもなく
ただ、それだけ
それが自分に無理をさせず
大切な家族にも無理をさせない
そういうことに
繋がっていくのかもしれない
そんなふうに感じています
今日も最後まで読んで頂き
ありがとうございました