カモノハシの「社会」におけるお仕事シリーズ(?)、昨日のコピーライター編に続いて、講師業について書いてみる。

     

*昨日の記事:「社会」における、わたしの仕事。

https://ameblo.jp/kaori-191210/entry-12622943462.html

   

人の視線が怖くて仕方なかったのに、人前に立つのが苦手だったのに、なぜか講師業をしておりますよ、というお話である。

    

   

小学3年生の時に、人のことが分からない、人って分かり合えないんだと思い知って以来、約1年前まで「人間関係」で悩み続けてきた。

   

長すぎる暗黒時代のうち、特に小学3年生〜中学3年生まではチョー暗黒時代。存在を無視されるとか、目の前で手紙を破り捨てられるとか、毎日のように怖い顔をした同級生に囲まれてののしられるとか、ドラマかマンガみたいなことが日常茶飯事。具体的にどんなことを言われたのかは覚えておらず、そもそも記憶が曖昧なんだけど、震え上がるような言葉を言われ、何を言ってもことごとく否定されていた…ように思う。わざわざ無視しないといけないほど、彼女たちは、いちいち気に障っていたんだろうな。

   

何がどういけないのか分からないまま、人の視線が怖くなり、教室の前に立って話したり、音楽会などでステージに立つたびにクラクラしてきて苦しくなった。声も、ひざも震えて、立っているのがやっとという状態。まともに顔をあげられないから目障りになるのか、そのたびに「何やってんのよ」と囲まれた。

     

とにかく、わたしを見ないでほしい、目立ちたくない、気配を消したい…と毎日願っていた(なのに目についてしまうらしいのは、なぜなのか)。

   

とにかく人というものが分からなくて、どう関わればいいのかも分からないから、人前に出ないようにしたり、人と距離をおこうとしたり、理路整然と話せるように理論武装したり…できることを色々やってみた。

    

けれどわたしには、「社会」で言うところのほどよいつきあい方も「距離」も分からないから、人が集まる場所を徹底的に避けるとか、人づきあいをしないとか、外出の必要がなければえんえん閉じこもるとか、人と目があわないようにうつむいて押し黙っているとか、極端な方法で、人から自分をシャットアウトしようとしていたんだろうなと思う。

    

顔を上げたと思ったら、今度は、人との距離を縮めすぎてしまう(らしい)。「社会」で重要だとされている(?)バランスも取れないから、あちこちで何かやらかして、壁にぶつかっては自分ごと崩壊する…の繰り返し。そういうわけで、わたしはずっとズダボロだった(と思い込んでいた)。

      

今のわたしは、ボーリングのピンに全力で体当たりしては大崩壊を繰り返す(ストライクを連発する)カモノハシの姿を思い描いてしまうので…これって1人コントじゃないの、と自分で自分に吹き出してしまうんだけど。笑

        

あれれ?何を書きたかったんだけ。これも、いつものことですね…。

    

そんなわたしが、8年ほど前から大学や高校などで授業を受け持ったり、行政や福祉関係機関、企業などで言葉やインタビューの講師を務めている。多い時は週に何度も。

    

講師の仕事を始めたころは、前に立つたびに頭が真っ白になって、手に尋常じゃない量の汗を握り、冷たい汗が背中を流れ続けた。上手じゃないのが申し訳なくて、できる限り分かるように話したいと思って、台本を用意して、何度もシミュレーション(リハーサル)をしたりした。わたしは、知識提供型のアカデミックな授業ではなく、体感を伴う演習(ワークタイム)を必ず織り交ぜるので、本番中に台本を読めた試しがないのだけれど…。それも準備に時間がかかるのは、昔も今も変わらない。

    

人前で話すのが苦手なら、ガクガクガタガタ震えるほど緊張するなら、お断りすればいいだけのこと。

   

けれどなぜか、わたしは引き受け続けて今日までやってきた(非常勤講師のマネジメントを行う担当教員と授業の方針が合わなくて、別の大学に移ったりはしたけれど)。そして今は緊張することもなく、ニコニコしながら人前に立っている。正確に言うと、自分で自分を見ることはできないので、すべては想像だ。受講生のみなさんがニコニコしていることが多いので、わたしもそういう顔で話しているんだろうなっていう…思い込みなのかもしれない。

    

この数ヵ月は、新型コロナウイルス感染拡大予防対策としてマスクを着けてま話さなければならないので息も絶え絶えになるけれど…それでもやっぱり、笑っている。息苦しい状況さえ、おもしろい。特に教えるのが好きだというわけではなくて、少しでも、人に関われることがうれしいのかも。閉じこもっていたかったわたし、さようならー。

    

とはいえ、つらかった人生をアピールしたいわけでも、苦手を克服したんですと言いたいわけでも、人生、何が起こるか分かりませんよねと言いたいわけでもなくて。

    

ただただ、今は毎日楽しいんです、ということと…

   

心からそう思えるようになった《本質的な叡智のバトン》という場のこと、本質というものや人生の流れ、社会にはないあたりまえの「人間関係」についてなど…本当に伝えたいことほど、伝えたり、教えたりする仕事をしているにも関わらず、適切に表現できないんだというもどかしい事実を伝えたくて、今日もまた、何も伝わらないことを書いている。

    

*そらさんのブログ:人生のことを知る場《本質的な叡智のバトン》
https://ameblo.jp/sora-ni/entry-12372375405.html

   

   

いつか、このループから抜け出せるといいなと願いつつ。飾れない(盛れない、うそがつけない、裏表がない、バカがつくほど正直…らしい)わたしとしては、こうしてジタバタしている姿そのものを見ていただくしかないと思っている。

   

*過去のブログ:わたしという存在を見てもらうしか。

https://ameblo.jp/kaori-191210/entry-12622812068.html

   

お願いだから、わたしを見ないで!とあんなに願っていたわたしが、なのですよ-。