葬儀はつくばのお義姉さんが通っている教会で行われる事になりました。
私は無宗教なのですが、クリスチャンの葬儀は2回目です。
形式ばっていなくて、とても温かい雰囲気のイメージがあります。
今回の葬儀でも、牧師さんの言葉と讃美歌と最後は孫たち1人1人からお婆ちゃんへのメッセージを発表するという時間もありました。
息子は人前でちゃんと発表出来るのだろうか?
教会へ行く途中のタクシーで息子にコメントは考えているのか?聞いてみたのですが、全然考えていないと言っていて私の方がドキドキしてきました。
孫は全員で5人。
息子は5番目でした。
すると、息子はお婆ちゃんが東京へ来てからの思い出を話し始めました。
息子も夫同様、普段は寝室にいてあまり多くの時間をお婆ちゃんと共有していませんでした。
私にはそう見えていたのですが、実際は私がいない間にお婆ちゃんとお話していたようなのです。
そういえば、私がお風呂に入っている間だけ息子にリビングにいてもらったり協力してもらっていました。
お婆ちゃんは息子に
「〇〇君の部屋を貸してくれてありがとうね。皆で私のお世話をしてくれて感謝しています。」
そう話したそうなのです。
息子は
「僕は自分の事で精一杯で何もお婆ちゃんにしていません。」
そう答えたら
「今こうして話を聴いてくれていること。それだけでも十分だよ。ありがとうね。」
そう話してくれたと葬儀で息子は話ました。
そんな会話をしていたのだと驚きました。
お義母さんの在宅介護が決まった頃、私の周りの人達はみんな揃って
ニモさん大変だね。
無理しないでね。
そう私を心配してくれました。
それはそれで有難いのですが、息子の通っている心療内科の先生だけ在宅介護の話をすると
それは良かったねぇ!!
在宅介護をしている姿をみた子供は絶対優しい子になるよ!!
見た事を自分が人に出来るようになるからね!
全然、違った視点での考えを教えてもらいとっても嬉しかった記憶がよみがえりました。
大丈夫?大丈夫?
と心配されるより、良い事だよー!!と言ってもらえて私もすごく元気が出たのです。
不登校の子供にも共通しているのではないかな?
とふと思いました。
体調を崩している所ばかりみているので、
ついつい小さな変化で
大丈夫?
無理しなくていいよ。
と声を掛けたくなったり、そういう視線を息子に送っていたけれど、心配って元気はもらえないのだな。
むしろ心配されすぎると気持ちが落ちてしまう。
心配より信頼の視点で息子をみると息子本来のエネルギーが沸いてくるんじゃないかな?と思いました。