お義母さんとのお別れ 1 | colorful life 〜彩ある生活〜

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hsp、過敏性腸症候群、不登校、これまで経験した事をつぶやいていきます。

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在宅診療の先生から癌の数値が予想よりはるかに早いスピードで増えていると言われました。

このままでは先進医療を最後まで終える事が出来ない可能性もあると言われました。


この頃のお義母さんの体は、色々なバランスを失っていました。


吐き気により食事は一切とれなくなりました。

栄養不足になると血液の中の浸透圧の関係で水分が体に出てしまうと先生は説明していました。

足やお腹の浮腫みが強くなり、排尿の量も減っているのはそのせいだと。


しかし、栄養を増やしてしまうと今度は癌細胞が更に増えてしまうので簡単に栄養を増やす事も出来ない。


飲み薬も錠剤は飲めなくなっていたので、錠剤から液体の薬へ

それも飲めなくなると坐薬へと変化していきました。


体の痛みも出てきたので深夜や早朝に在宅診療の先生に来てもらう事も増えてきました。


点滴の鎮静剤を処置してもらいますが、痛みはおさまらず、薬の内容を麻薬系へ変える必要があると説明を受けました。


呼吸も苦しくなり、酸素ボンベも必要になりました。


その状況を知り、札幌のお義姉さんが仕事を休み、再び泊まり込みでお義母さんの看病をしに来てくれました。

お義父さんは札幌の自宅で待ってもらいました。


つくばのお義姉さんも毎日手伝いに来てくれました。


夜はほとんど寝られる状態ではなかったのでお義姉さんと交代で看病していました。


コロナでなかなか会えなかった、つくばの孫達もお婆ちゃんが東京に来てからは何度もお見舞いに来てくれました。


毎日、たくさんの人に囲まれていました。


いつもは夕方頃に帰るつくばのお義姉さんでしたが、その日は夕飯を一緒に食べて行きませんかとお誘いし、時間も遅くなったのでそのまま泊まる事になりました。

その日はリビングに布団を2つ敷き、3人で交代しながら寝ずに看病しました。


お義母さんとのお別れが近づいているとも知らず・・・


数日前から心拍数がずっと高くなっていました。

訪問看護の看護師さんから、血圧の下りを今は心拍で一生懸命上げている状態だと教えてもらいました。


そして、在宅診療の先生に入りましたと言われたのです。


余命2〜3日であると。


痛みも強くなったので、とうとう強い麻薬の薬を始める事になりました。


寝ずに看病した日の翌日が薬を始める日だったのです。


お義母さんの様子を見て何か感じたのか、札幌のお義姉さんは朝にお義父さんに電話したのです。

そして、これからチケットを取るから今すぐ東京へ向かうように話しました。


お義父さんはスピーカーでお義母さんに話しかけます。


「母さん!今すぐ行くから頑張るんだぞー!!」


お義母さんが頷いたように私は見えました。


電話をしたのは午前9時半ごろ


飛行機のチケットは11時半でとれました


ギリギリの時刻です。


お義父さんは何も準備せずにタクシーに飛び乗り空港へ向かいました。


無事に飛行機に乗れ14時には東京へ到着しました。


それと同時につくばの家族も皆呼び寄せ全員集合しました。


強い薬のせいで、お義母さんと意思疎通をする事は出来なくなりましたが、呼吸は静かになり眠っているようでした。


聴覚は最後まで残るからたくさん話かけてあげて下さい、


先生にそう言われたので、1人1人お義母さんの枕元に行き話かけました。


思い出話や感謝の言葉を。


賑やかな事が大好きで、美味しい物を食べてもらう事が好きなお義母さんでしたので、その日はお義母さんが好きだった鰻を皆で食べる事にしました。