知的好奇心を信じてる | 無知を知る〜好奇心を満たす大人の勉強〜

無知を知る〜好奇心を満たす大人の勉強〜

好奇心だけが魂の喜びを知っている。



これからの人生は、自分の好奇心を満たすことを最優先に
生きていくつもりです。

かれこれ勉強を始めて5年。
毎月一度2時間の勉強会。
何が楽しくて毎月いそいそ出かけるのか?
改めて考えてみました。






哲学ときくとおよそ 
難解、簡単なことを難しく言う
当たり前なことをわざわざ難しく考える
などなど 岩で出来てそうなこの思い込み。




でもそこが スタートライン。





私が勉強している谷川徹三という人は
難しいことを分かりやすく書いてくれる人だ ということに思い至りました。






勉強を始めた頃に読んだ本を
今 また久しぶりに読んでみました。





始めて読んだときも ただならぬ知識量に
圧倒されましたが 今回はまた違った
奥深さ といいますか 
層の厚みといいますか…






大正昭和初期のインテリは どれだけ
本を読んで知識を蓄えていたのかと
恐れ入ります…







こんなわたしでも 哲学のテの字も
なんの素地もないわたしでも
先生の文章は すーーーーっと入ってくる
のですよ。
といっても 一回サラッと読んだだけで
ずーっと入ってくるわけはありませんよ笑
でもそれがまた なんとも言えない
知的好奇心がくすぐられるのです。




改めて読み直してみると
なるほど!これが
「 難しいことを分かりやすく書く」
ということかと。






京都の花街の芸妓さん舞妓さんに
大人気だったのもうなづけます。





同じ京都の寺院を回るなら
知識豊富な方と回ったほうが
何倍も楽しめるように 
社会の現象も 文化も
知識豊富な方の解説があれば  
何倍も理解できるというもの。







谷川徹三といえば
今では谷川俊太郎さんのお父さま
と言ったほうが分かりやすく
それはそれで嬉しいのですが
当時にしてあれだけの長身イケメンなら
間違いなくモテモテ哲学者だったはず。





その上 芸術にもお詳しいとなれば
そりゃ女の人たちも ほっときませんよねー






そういう切り取り方をすると
重鎮たちには怒られそうですが
現代の方々に(←現代の方々って笑) 
興味を持ってもらうには
そういう、入り口も大切だと想います。




昭和15年に書かれたもの



昔の人が毎日のように読んだものは
聖書とか論語 法華経とか
そういうものであった。
もっと昔はこういうものは普通の人は
読めなかった。
今わたしは毎日新聞を読んでいるが
(それ以外に) 昔の人たちが毎日のように読んだものを読んでいるだろうか?と考えた。
論語や聖書を毎日読んでいる人と
新聞を毎日読む程度の人では
浮き上がった人になっているのは仕方ない

みたいなことをかいてらっしゃいます。

これはもちろん私が簡略したものですが。



昭和15年で 
毎日新聞を読んでるくらいでは
浮き上がった人間になっちゃうのは仕方ない とか言われちゃ
現代の私たちは立つ瀬なし…



先生が今の令和のこの時代を見たら
なんとおっしゃるでしょうか?
新聞を読む人すら激減しているのです。




人間の厚み 深み 奥深さ思慮深さ
思いやり 言葉の使い方
などなど たくさんのものが
失われているような気がしてきました。





そう!!
だから 勉強会に行くのです。
自分に深みを持たせたいし 厚みがほしい
もっと人を思いやる余裕がほしいし
知らないことを知りたいのです。




自分が知らないことは山ほどあって
それを教えてもらえるので 
毎月毎月いそいそ出かけるのです。





知らないことを知る喜び。
今の私にとってはそれが何にも変え難い
大切にしたいものなのです。


なにを知っていて 何を知らないのか?
それも分かりません。
でも言えることは 私が知ってることは
氷山の一角にもなってないだろうこと。




だから 死ぬまで知りたいことは尽きない
という自信があります。
死ぬまで知的好奇心を信じて
追求していきたいのです。







こんな京都のお寺も きっと谷川先生と周ったら
本当に素敵な時間になるんだろうなと
夢見たりします…



久しぶりのブログ更新が
なんだかいつにもまして 
支離滅裂になりました。



早いもので師走になりましたが 
皆さんくれぐれもお身体大切に
楽しいHoliday seasonを…🎄🎅🎁✨



いつもブログを読んでいただき
ありがとうございます。