これはもしかして引き寄せだったのか | 4本脚のカワイイ家族と作る、会話のある家庭

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アニマルコミュニケーター ・カオリーナのブログ

アニマルコミュニケーターのカオリーナです。


アニマルコミュニケーションを習うにあたり、いくつか習得が必要なものがあります。それらの講習を受け実際に仲間と体験し合い、最後にアニマルコミュニケーションをやる。…とまあ、そういった順番を踏んでいくわけなのですが、その中でいちばん最初に習うのが潜在意識やアファメーションについてです。


考えてみれば、そういう講座を受講し始めたこと自体が引き寄せだったと言えます。

当時の私は2か月経っても3か月経っても慣れてくれず、夜鳴きを繰り返すエッちゃんを抱え、夜全然眠れず相当参ってました。テレビで見るようなアニマルコミュニケーターってその辺にいないものかしら。なんといってもここは東京。探せば何人かはいるんじゃないか?と検索したところ、結構いたw しかもアニマルコミュニケーションの講座をやっているところもある。試しに藁にもすがる思いで1回依頼し、何なら長い目で見れば、自分もなっちゃえばいいじゃん。




最近はネットのおかげでなんでも情報収集できるので、ちょっとした引き寄せなら、割と楽に得る事ができるようになった、と感じます。


ネットの無い時代、いちばん最初に引き寄せたのは、多分高校3年の時だと思います。


 私は母が看護師だった事もあり、小さい頃から、それこそ幼稚園生くらいから目指す職業は看護師(当時は看護婦)でした。看護婦になりたいなら、まずは看護学校に入らなければならない。そう言われて育ってきました。なので、しょっちゅうこういってました。


「私は大きくなったら看護婦さんになる。その為には看護学校に入る」


 小学生になっても中学生になっても、ずっとそう言ってました。中学2年の時、いわゆる中だるみで成績が下がった時がありました。その時担任の先生からこう言われました。


「お前、そんなんじゃ看護学校入れねえぞ(口悪い)」


 それを聞いて私は「え?なんで私が看護婦になりたいなんて知ってるの?」

そう、自分でも意識してないのに普段から言ってたようなんです。それを先生が聞いていた。


 とはいえ私は小さい頃から大きな怪我も病気もなく、入院なんてした事ない。なので、具体的に看護婦の仕事なんて、よく知りませんでした。その頃には母も病院ではなく、健診のパートをしていましたから、あんまり看護婦のイメージとも違かったし。せいぜい小さい時、便意を催すとお腹が痛くなって我慢する癖がついたせいか便秘がちで、その為「お腹痛い」というと小児科に連れていかれ浣腸されてましたが、その不快感が嫌で逃げ回り、何人もの看護婦に押さえつけられて浣腸されてたので、寧ろ「ひどい人」みたいなイメージを持ってました。勿論大きくなるとそんなことはなくなるのだけど。現実にこんな仕打ち(w)を受けながらも、なんでそこまでしてなりたいと思ってたんだろ。


 そして高校生。ここからはだんだん現実的となり、次の進学先は看護学校なのだと意識するようになりました。とはいえ、色々な予備校が出している大学の偏差値のように、看護学校の偏差値がわかるわけではないですから、大体どれくらいの成績が必要かなんて、全く検討つきませんでした。とりあえずどこでも入れるところ入っておきゃいーや、と。それ以前に看護学校看護学校って言うけど、看護学校って何?え、専門学校なの⁉️えーマジかー。とまあ、そこからかよ…て言うくらい、全くの知識不足💧

とはいえ、夏に行った三者面談では「こことここなら入れるんじゃないですか?」と。おお、入れるところあるなら一安心、じゃあいいや程度でしたが、母が妙にキゲンが良い。「あそこら辺入れるなら全然、申し分ないわよー」と。…そ、そうなの?

 で、普通に部活やり、合宿もやり、なんか県代表になっちゃったので引退が他の部より遅く(吹奏楽部なので秋)…受験勉強を始めたのはそこから更に1か月後でした。なんかずっと部活生活だったので、落ち着くまで時間がかかったんですよね。


弱小スイ部中学出身の自分には、練習ホント大変でした。部のみんなにここまで連れてきてもらったと思ってます。今ではみんなオバさんだけど、私の記憶の中では今でもみんなあの頃の高校生のまま。


 (後半へ続く)