年たけて又超ゆべしと思おもひきや命成りけり佐夜の中山

 

吉本隆明さんが、西行の歌の中で、一番いいと思っている歌はこの歌で、

この「命なりけり」の言葉は、時代が変わっても個人に解釈を与えるという。

 

「今」の時点からみると、自分の人生はこういう「宿命だったんだ」というふうに理解することができる。

 

 

今の時代でも通じるこの概念の言葉が、西行のすごさだという。

 

 

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この著書は、

「詩歌の潮流」「短歌のゆくえ」「詩と古典」「俳句のゆくえ」の4編から成る。

吉本隆明さんが生前手をかけながら完成に至らなかったものを、

後日、編集者により構成されたもの。

 

 

日本の通史としての詩歌のながれを追う。(古代歌謡~和歌~連歌~俳句~ 等)

 

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和歌は、その特徴から、

 

万葉集の時代の、思ったことをそのままに言う男性的でおおらかな歌風の「ますらをぶり」を理想とする『加茂真淵派』と、

 

古今和歌集以後の、女性的で優美・繊細な歌風の「たおやめぶり」を理想とする『本居宣長派』に、大別できるという。

 

そして、詩歌の発生に関して言えば、

それ以前の、韻律の整っていない『記紀歌謡集』(古事記と日本書紀に載る歌謡をまとめたもの)のなかに、その歌をみることができるという(吉本さんより)

 

 

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吉本さんが”日本の詩歌の起源”としてあげている歌が興味深かった。

 

古事記に載っている歌で、

日本の最初の天皇であった神武天皇がまだ天皇と名乗る前、東征で大和に入り、その土地の三輪の神の娘と歌を交わして求婚する場面でのこと。

 

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神武天皇が従者を連れて高佐士野(現在の奈良県桜井市狭さい川沿いの台地)へ行くと、向こうから7人の娘さんが歩いて来る。従者が神武天皇に聞く。

 

やまとの高佐士野たかさじのを七なな行く嬢子おとめども誰をしまかむ(『記』一六)

(あの七人の娘さんのうち、だれと寝たいとお思いですか)

 

かつがつも最いや先立てる愛をしまかむ(『記』一七)

(いちばん先頭を歩いているかわいい子と寝たい)

 

 

そこで従者が先頭の娘さんに使者として近づく。

娘さんから先に歌がきて、使者がそれにかえしている。

 

天地あまつちちどりましとどなど鯨ける利目とめ(『記』一八)

(あなたの目は、あめつばめ、千鳥やホオジロの目のようにどうして裂けているのですか)

 

嬢子おとめに直ただに逢はむと吾ける利目とめ(『記』一九)

(きれいなお嬢さんたちを見ていると、目つきも鳥の目のように裂けてしまうのです)

 

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この掛け合いをしたのは、従者の大久米主命おおくめぬしのみことと、

三輪の大物主神おおものぬしのかみの娘である伊須気余理比売いすけよりひめなのだが、

この掛け合いがぴたりと合ったので、夫婦となる。

 

結婚したのは神武天皇なのだが、この問答がわざわざ残されているのがおもしろい。

顔に刺青をしている従者を連れている、というのはどんな意味があったのだろうか。

 

吉本さんは、和歌を追っているので、この顔面刺青については言及していないが、

 

魏志倭人伝にも”鯨面文身”(顔と躰に刺青をすること)のことが書かれているくらい、海辺の住民が刺青することは珍しくはなかったと思うが、娘さんは知らなくて、初めて見たように驚いている。
 

 

 

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吉本隆明さんがなぜこの歌を歌謡の祖型とするかといえば、

 

・まず、韻律が整っていない。

これは重要なことで、新しい歌は五七調で整ってくるので、そうでないという事は、古い歌であると考えることができる。

 

・しかも、掛け合いの問答歌である。のちにでてくる相聞歌の祖型といえる。

重要なのは、「問い」と「受け」になってなくて、同じパターンの歌が繰り返されている事で、「問い」をもう一度繰り返す事。意味を二重化していること。

 

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歌が生きているようだ。切れもあるし、体温もある。

 

 

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この歌は字数が整っていないが、片歌(五七七)と片歌(五七七)の合わさった旋頭歌(五七七・五七七)として知られている。

 

 

旋頭歌は、奈良時代に成立した和歌の形で、古事記に2首、日本書紀に1首、万葉集に62首あり、万葉集でピークを迎え、その後衰退した。

 

旋頭歌は、二人で掛け合いをする問答歌で唱和するものであり、のちに1人で作るようになる。万葉集以降、和歌は、書き記すことが主になってきたので、衰退したのではないかという。


 


 

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著書:「吉本隆明 最後の贈りもの」

著者:吉本隆明(2012逝去)

発行:潮出版社 2015初版