「コロナ禍」で世界の時間が止まった時、インド北部では200キロ先のヒマラヤ山脈の稜線がくっきりと浮かび上がったという。数十年ぶりだったという。
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その頃、夜空を見上げただろうか。
もう記憶にない。
不自由な生活のなかで、”在宅ワーク”など不可能な仕事の中で、なにを感じていたか、もう記憶にない。
だけど、「コロナ禍」が終わって、私たちの生活は元に戻ったのだろうか。
その3年間の停滞は、元気な高齢者の自分にとっては、感染の恐怖はもちろんあったが、人生の日々としては、”不自由”というのが一番だったが、
60代の3年間と、20代の3年間は、時間の長さも早さも厚みも重みも違う。
震災に加えコロナ禍でしかも現在も続く戦争で、
若者は、これからの未来の人たちは、なにをみつめているだろう。
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EXPO2025が終わった。
(以下、本文より)
戦後の高度経済成長期の頂点の日本で、EXPO70は開催された。
以来50年余り、現在の私たちは、EXPO70が約束したはずの「人類の進歩と調和」の中にいない。
進歩と調和のかわりに、停滞と分断のはざまにいる。
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(以下、本文より)
時間は直線ではない。
生命はパラパラ漫画のような静止画の連続でもない。
生命における時間とは、物理的な時間の速さつまり等速で時間は進んでいない。
相対的で、極めて主観的な生命の時間感覚がある。
過去と現在は、物理的な時間として遠く隔たっているにもかかわらず、生命的な時間としては密接に連続している。過去と現在のふたつの出来事のあいだを往還している。
著書:「生命と時間のあいだ」
著者:福岡伸一
発行:新潮社 2025/07/30第一刷
