表紙の写真は「特殊潜航艇 蛟龍」
・5人乗り
・ディーゼル機関と発電機を搭載しているため、停泊中、航行中の充電が可能
・最大5日間連続行動が可能
・全長26m
・二筒の魚雷発射管が先端に付き、敵艦めがけて発射し、それでも敵艦が轟沈しないときに体当たりをするための爆装をして出撃する。
(轟沈すれば、直ぐに引き返ってきてよい、自爆しなくていい)
(ただ、あとで考えると、それは可能か?)
・ハッチは径60㎝
もしあの時、終戦にならなかったら、
これに乗って、国を守るために、本土に上陸してくるだろう米船に突撃していた…
***
海軍であったこと、出撃待機が本土であったことなど、
状況的に他の戦地の人に比べたら恵まれていただろうとご本人は言うが、
20歳の若者が、目の前にある突撃用の潜水艇を見て普通でいられるはずがない。
今になっても、言えることと言えないこともあるのだろうと思う。
思い出したくないこともあるだろう。
それでも、わたしたちに戦争の体験を伝えてくれた。
中尾さんは、出版の翌年、亡くなられている。
著書:「海軍予備生徒・特攻艇長ー散らなかった同期の桜ー」
著者:中尾英俊、高橋春雄
発行:さんこう社 2013/5発行
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・海軍予備学生…旧制大学学生等が、志願により、一年程の訓練教育期間を経て、少尉に任官する
・海軍予備生徒…文科系学生等が、徴兵され、予備学生と同じ訓練を受けて、少尉候補生となり、三か月以上の勤務を経て、少尉に任官する
お二人とも、海軍予備生徒。
中尾さんは神奈川県横須賀武山海兵団、高橋さんは広島県大竹海兵団。
ふたり共、旅順で海軍士官基礎教育を受け、広島・山口で海軍潜水学校訓練を受け、海軍少尉候補生として大浦突撃隊を経て、小豆島突撃隊に赴任。
特殊潜航艇艇長要員として服務。
昭和20年9月1日海軍少尉任官。同6日召集解除、帰郷。
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中尾英俊さん
(ウィキも参照)
1924/9(T13)ー2014/12(H26)(享年90歳)
1943/4東京商科大学商学専門部(現一橋大学)入学
1944/8在学のまま海軍予備生徒
終戦。復員。
1946/5九州大学法学部入学 1949/3卒業
1955/4~佐賀大学、西南学院大学/教授 、中国吉林大学客員教授
1995定年退職/名誉教授
1992日韓の学者とともに日韓家族法学会設立
1997弁護士会登録
*入会権の研究に従事されていた
高橋春雄さん
(「日々是好日」高橋春雄・私の履歴書 (平成18年10月)も参照)
1925/2(T14)ー新潟生まれ
1939/4(S14)東京逓信講習所入学
1940この年に2人の妹と父を亡くしている(母と妹と弟2人が残された)
1941/3帰郷し郵便局に勤務
1942再上京。逓信講習所高等科、逓信官吏練習所入学
1944/9海軍予備生徒として、広島県大竹海兵団入団
1945/2特殊潜航艇(蛟龍)艇長講習員として大竹潜水学校に入る
1945/7小豆島基地にて潜航艇の訓練はじまる
1945/8/13全10艇(5人乗り)出撃(ただし修理のため自分達の艇は出撃できなかった。そして終戦になったので他の艇も戻って来た)
終戦。復員後、東京中央電信局に所属しながら、早稲田大学を夜間で通い卒業。
この履歴書はまだまだ続くが、仕事もご家族にも恵まれ、趣味も愉しみ、充実した
人生を送られている。
