2025/10/6中秋の名月(2025/10/6撮影)
まだ西の空が陽の色を残している時から、この日の月は白く大きく姿を見せていた。
雲ひとつなく風もなく暗くなるにつれて輝きを増していったまさに、名月。
なぜか、今夜が中秋だと知ると月もいっそう美しく感じる。
いつも見る月だが、この”中秋の満月”を来年この日にまた見たいと思えてくる。
秋はただ今宵一夜の名なりけり同じ雲井に月は澄めども
うちつけにまた来こむ秋の今宵まで月ゆゑ惜しくなる命かな
西行の歌は約2300首が残っていて、月を詠んだ歌は300首を超えあるという。
花と月の両方が入っている歌も詠んでいる。
それにしてもやはり別格はこの歌だ。なんてうつくしいんだろう。
願はくは花の下にて春死なんその如月の望月のころ
山の中、光り輝く満月を背景に山桜の大木が一本ひっそり立っている。満開の白い花は月の光を受け、根元には老いた僧侶がもたれている姿を想像する。
”如月の望月のころ”は、2月15日で、釈迦入滅の日になる。この日に亡くなると、極楽往生ができると信じられていた。
西行は1190年2月16日未時(午後2~4時)に大阪弘川寺で亡くなった。
この歌は辞世の歌ではなく、死ぬ10年以上前には作られていた。
釈迦涅槃図にあるように大勢の弟子や動物に囲まれての最期が釈迦にふさわしいとされたように、西行も最期を、山桜の花の満開の下で、満月の光を浴びて、それらに囲まれて死にゆく自分の姿を思う。
もちろん月や花を好むのはただ美しいからだけではなく、それらをとおして仏性を歌おうとしている宗教的な意味合いもあるのだが、西行にとって月はいつもそばにいる存在だった。
ひとり住む庵に月の射しこずは何か山辺の友とならまし
西行は月が好き、だと世間で噂されているのもおもしろい。
忌むといひて影も当たらぬ今宵しも割れて月見る名や立ちぬらん
(月食を詠んだ歌)
(月食は古代から恐れられ忌むべきもとされていたが、西行なら月食さえも見るに違いないという噂が当時の人々にあったことを意識しての歌)
影薄み末の絶え間を漏り来つつ心細しや三日月の空
(三日月の和歌も珍しい)
濡るれども雨もる宿の嬉しきは入り来ん月を思ふなりけり
(屋根に穴が開いてても)
なかなかに時々雲のかかるこそ月をもてなす飾りなりけれ
(月を雲が隠す様子を詠んだ歌)
(本来は月を愛でたいので雲は邪魔な存在だが、月を美しく見せる飾りだと詠む)
この歌は芭蕉に受け継がれ、芭蕉は、雲が時々月を隠して見る人の心を休ませていると詠んだ。『雲折々人を休むる月夜かな』
芭蕉の『笈の小文』の冒頭に『西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休の茶における、その貫通する物は一なり。しかも風雅におけるもの、造化に従ひて四時(四季)を友とす』とある。
このような芭蕉の、西行に対する傾倒が、西行をさらに広く世に知らしめて行った。
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月の歌ではないのだが、情景として月が見えてくる歌がある。
風になびく富士の煙の空に消えて行方も知らぬわが思いかな
(空に消えていく煙のように、自分の思いも行方なく消えていく)
この歌は西行自身が自分の一番の歌だと自賛している。
死ぬ2~3年前に作られている。二度目の奥州への旅の途中での歌とみられる。
薄暗くなっていく夕方、富士山から立ち昇る白い噴煙が風に流され西方の空へ吸い寄せられ消えていく。東の空では白い月が小さく在り、しずかに見とどけている。ことを想像する。
科学的な、哲学的な、歌だなとも思う。
躰は朽ちて物質として輪廻し、魂は躰から離れ形のないものに変わって空(宙)に消えていく。
死んだら霊などなく、無でしかない。
生と死のはざまにいて、人々を導く存在としての宗教。
仏道修行者としてありたいという願いも本当にあったのかもしれない。
いかで我今宵の月を身にそへて死出の山路の人を照らさん
(死者の救済をしたい)
いかで我心の雲に塵すべき見るかひありて月を眺めん
(煩悩ではなく綺麗な心で)
綺麗な心で綺麗な月を眺めたい。自分の煩悩に向き合うこともあったかもしれない。
まっすぐな光を照らす月は、自分の心を晒しだす鏡のようでもあったのかもしれない。
風になびく富士の煙の空に消えて行方も知らぬわが思いかな
この歌からは月が薄れ、もう月にとらわれていない。
老境となり煩悩やこの世への執着も薄れてきて消滅していくことへの思いを感じる。
自然に還る存在としてのしずかさと、解き放たれる自由さも感じる。
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下記著書参考
橋本美香さんによると
西行の歌が斬新であったり、口語的な言い回しがあったりすることは、祖父の影響もあると見ていいという。(母方の祖父・源清経・今様に通じている)
著書:「西行」コレクション日本歌人選
著者:橋本美香
発行:笠間書院 2012年初版

