西行から芭蕉までの間に約500年がある。

 

西行法師(1118~1190/3/30)

松尾芭蕉(1644~1694)

芭蕉は西行に憧れて、みちのくの旅に出た。

 

 

■西行について

 

(磯田さんの言葉より、抜粋)

弓矢と刀は人間の筋力が相手の死をつくるから、誰の肉体が誰の肉体を滅ぼしたかはっきりしていて、文学になりやすい

 

・美と汚い死が最も同居しているのは、日本史上ではこの院政期の終わりごろだったかもしれない。(源平合戦のころまで)

 

・美と暴力、謳歌する権力の絶頂と惨めで残虐な現実の死、つまり美と醜の極致を一身のなかに体現したのが西行の生涯であり、彼が生きたのはそれが一つの時期のなかに一番激しくあった時代なんじゃないか。

 

 

(嵐山さんの言葉より、抜粋)

・そんなにぴたりと死ぬことが可能だろうか。

・西行はパフォーマンスの達人で、意図的に「自分の伝説」を作ろうとしたところがある

 

・瀕死に見せつつ少しずつ毒薬を飲みつつ死ぬ日を調整したのではないか。延命の努力より確実だ。西行ならば、やりかねない。

歌と言う虚構に生きてきた西行が、リアルに死んでみせた

 

・いずれにせよ、予告した日に合わせて没したのは、絶賛にあたいする。

 

 

 

*「衆道」については、その時代、武士の間では普通に行われていたようだ。

「男色」とは違い、生き延びるために、自分より強い人と繋がりがあったほうが得かもしれない、という感じだったという。江戸元禄時代の頃までは「衆道」はふつうにあったという。それ以降は気持ちや趣向として「男色」が残る。

 

西行は鳥羽上皇の北面武士であり、かわいがられていたという。

 

 

 

*「旅する西行」への思慕と憧憬は、宗祇、宗鑑、貞徳、芭蕉へと受け継がれていった。そしてそこには諜報の役割もあった。といってもスパイみたいなものではなく、人々の間に入り込み噂話を聴くようなところも、りっぱな情報収集であった。

 

 

 

*この著書に収録されている句で、西山宗因の『蚊柱百韻』(1678年)のなかの、

蚊柱や削るゝなら一ひとかんな

がとても印象に残った。嵐山さんは「江戸時代のシュールレアリズム」だと評す。

絵画で言えば、若冲のような存在だ、と。

 

 

 

著書:「影の日本史にせまる 西行から芭蕉へ」

著者:磯田道史、嵐山光三郎

発行:平凡社 2018/8初版