目が見えない人って、どうやって絵を「見る」んだろう。

 

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美術館での、美術鑑賞には三つの方法がある。

 

●「触る」…彫刻作品や凹凸のある平面絵画を触ってみて感じる

●「聞く」…専門者等から作品について解説を聞く

●「対話」…単数または複数の晴眼者と同行し作品について会話する

 

どの場合も、晴眼者による、作品の説明が必要だ。

また、点字ブロック等動線があるわけではないので、晴眼者による同行も必要だ。

 

そして、

「触る」型は、自分で感じることができる。だが、そのために作られた、特別な作品となる。

 

「聞く」型は、たぶんただ解説を聞いてもわからない。美術館でなくてもよいかも。

 

「対話」型は、あくまで同行する晴眼者の感じ方を受ける。自分の感じ方ではないので、あとあと印象に残りにくいだろう。だが、美術館で一般公開されている作品を共有できる。文化を同等に享受できる。

 

 

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白鳥さんは対話型だ。

 

白鳥さんは全盲なので、美術館には、事前に電話し、アテンドをお願いする。

生まれたときは弱視だったが、極度の弱視だったので、色を見た記憶はほとんどなく、「色は概念的に理解している」という。

 

美術館にお願いするのは、解説、ではなく、アテンドだ。

いっしょに歩いて、絵に正面から向き合い、どんな絵かを聴く。

耳から聞く。

 

説明する人は、美術専門知識がなくてもいい。

絵の解説はするが、自分がどう感じるかを伝えることが大事だ。

 

正しい知識が得たいのではない。

 

説明する人が、二人なら、

おもしろい。

それぞれが、えっ、と思うような、それぞれの見え方があると気づく。

ああじゃない?こうじゃない?

 

犬を抱いた女性は悲しげに俯いて?えっ?犬の頭を見てノミを探してるんじゃ?…

手前に広がるのは原っぱじゃない?えっ?海じゃないの? みたいな…

 

それを白鳥さんはにこにこしながら聞いている。

 

どんな絵かではなく、どんなふうに見えるか。感じるか。

いっしょに歩くので、相手の肘に添えた手からその人の雰囲気も伝わる。

それが楽しい。

 

アテンドする人も楽しい。

普段そうやって誰かとひとつの絵の前でどんな絵かとかどんなふうに感じるとか、

口に出して言うこともないので、気づかされるし、じっくりと絵を見ることになる。

 

そうやって、絵を楽しむ。

 

 

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白鳥さんの「自分は全盲だけど、作品を見たい。誰かにアテンドしてもらいながら作品のことを言葉で教えてほしい。短い時間でもいいからお願いします」で始まった、美術館での動き。 

 

1990年代半ば、視覚障碍者のアクセシビリティを配慮している美術館はまだ少なく、全盲のひとが美術作品を鑑賞することは完全に想定外だった。

 

電話の向こうにいるひとは戸惑った声になり、

「そういったサービスはしていません」と答えるばかりだった。

「そこをなんとかお願いします」

「電話を折り返します」

「じゃあどうぞ」

 

そして美術館の扉は開かれた。 

 

1997年、水戸芸術館にいつものようにリクエストすると、すんなり受け入れられた。

触ることもできる現代美術にも驚かされた

 

このときのキューバ出身の現代作家〈フェリックス・ゴンザレス=トレス〉の作品は、印象に残った。

展示室の中央に、銀色の包み紙のキャンディーが、大きな四角形の形に、無数に敷き詰められていて、「食べれますよ」と言われる。

拾って口にする。

フルーツ味のすごく甘いいかにも外国のキャンディーだった。

キャンディーを食べる意味はわからなかったが、鑑賞者が食べたり、持って帰ったりすることが前提の作品が、おもしろかった。

 

作品が向こうから語りかけてくる感じだった。面白いな、これもアートなのかと心を動かされ、それからは現代美術作品を積極的に見るようになった(抜粋)

 

 

1999年、東京都美術館「このアートでげんきになる エイブル・アート’99」での、

「目の見えない人と観るためのワークショップーふたりでみてはじめてわかること」でワークショップのナビゲーターとして、白鳥さんは参加する。

 

このワークショップは3回開催され、「視覚に障害がある人の美術鑑賞、すなわち、さわって鑑賞すること」という既成概念を大きく変えるきっかけとなった。

 

さわることのできない平面作品を言葉で鑑賞することに大いなる可能性があることを多くの人が発見し実感した。

 

それがきっかけで水戸芸術館から声がかかる。

実は、水戸芸術館では、来館者に向けて対話型鑑賞ツアーを行っていて、その担い手となる市民ボランティアの育成スタッフとして。

白鳥さんが自然に行っていた鑑賞方法が、MOMAの提唱する対話型鑑賞のメソッドと

酷似したいた。

 

作品の簡単な描写の積み重ねから鑑賞に入っていく、

参加者による解釈や意見をひとつにまとめることはせず、

答えが出ないもの、矛盾があるものについても、その場でシェアしつつも、

無理に答えをひとつに統一しないという自由な鑑賞スタイルであること。

 

さらにそのワークショップはそこで終わらず、

2000年、MAR(ミュージアム・アクセス・グループ)が発足した。

 

 

「美術館という空間で作品の前でなければ味わえないことがある」という、

白鳥さんの言葉をもとに、市民と美術館との新しい関係を作り、

「誰のものでもある美術館をもっと楽しもう」

 

 

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全盲らしくないことをたのしみたい。

 

白鳥健二さんは、

カメラを手首に下げ、歩きながら、シャッターを切る。

 

見えてないので、

何を撮りたいかなどの、意図がない。

 

目の前の風景をあるがままに撮っている。

もちろん、撮った写真を自分で見ることもない。

 

日常を撮り続けて、45万枚。

 

 

依頼され、さいたま市内で撮った3000枚のうちから、

スタッフが選び、

 

 

写真展示(「さいたま国際芸術祭2023」のなかで)が行われた。

 

どうして、その写真が心を打つのか。

 

 

今、白鳥健二さんの肩書は「写真家」だ。

全盲の写真家って、おもしろいよね。とふふっと笑う白鳥さんの顔が浮かぶ。

 

 

 

著書:「目の見えない白鳥さんとアートを見にいく」

著者:川内有緒

装画:浅野ペコ

発行:集英社インターナショナル  2021年 第一刷