この「農夫」さん、どこかのリアイアした大企業の会長さんのような風貌だ。

江戸時代の絵とは思わなかった。

きれいな指なので、根っからの農夫ではないだろう。

偉い武士さんのコスプレか?肖像画はこの格好で、みたいな…

しかも、遠くを見て考えてるようだが、

どちらかというと、やってられん、と頬杖ついてるようにみえる。

 

(画:川原慶賀:江戸時代後期の長崎の絵師:1786年生まれ~1860以降没)

 

 

 

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この「思想史」は、やわらかくて、偏らない。

近代から引き継ぐ、現代思想の視点を教えてくれる。

 

 

(以下、部分抜粋)

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17世紀から19世紀の思想といえば儒教だった。

18世紀初めの日本の人口は3100万余。当時のどのヨーロッパの国よりも大きい。

そして、江戸は100万余。当時のロンドンやパリよりもはるかに大きい。

しかも、大坂、京都という性質の違う大都市もある。

当時の識字率や広範な読書習慣により、思想的な交流・論争も盛んだった。

 

そういう諸思想の交流・交錯が、徐々に徳川体制の崩壊を導いた。

徳川の世に育った人たちが、積極的に欧米の思想・制度を摂取し、独自に解釈し、進んで拡散し、実現していった。

「文明開化」のようなことが全世界で最初に起こったのが、日本だった。

 

 

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「国」の意識について

 

江戸時代、明治国家と違って「日本人は大きな血縁共同体だ。共通の血でつながった親戚集団だ」という意識はなかった。

大名や武士も、先祖が、「カラ」から渡来したことや、秀吉の侵略の際の捕虜だということは隠さない。それはきまりの悪いことではなかった。

 

 

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政治への「参加」について

男女の不平等があるなら、政治を直接民主政にし、集会に両性が同様に発言できるようにしたらどうか、という考えがあるとしたら、

 

例えば、育児や病人・高齢者の介護、あるいは勤務等に追われて政治に関与し難い人の比率に偏りがあれば問題は解決しない。「集会に出ない方が悪い」では済まない。

 

 

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「少数民族」について

 

中国は、12億以上の人口のうち、1億が少数民族。

インドは、10億の人口のうち、2億が少数派。主要言語が12種類。

どちらも、一国家であること自体、驚異的だ。

 

 

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「纏足」と「コルセット」について

 

どちらも、それが道徳的で、男性にとって性的で、女性自身がそれを美しいと思ってその変形の度合いを競った。

「三寸金蓮さんすんきんれん」…纏足による、前後9㎝の小さな足

「hand-span waist」…両手で手が回る細さの腰

 

「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラは”マミー”の手を借り、ウエスト17インチ(43㎝)の緑色のドレスを着ている。

 

清国に欧米の宣教師たちがのりこみ、纏足を非難していた頃、

おそらく宣教師夫人たちは、コルセットで締め上げていただろうその身体で、

纏足を「野蛮」と責めた。

 

 

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「ジェンダー」について

男女の性差・指向差がこんなにフリーになりつつ今、考えることは。

 

遺伝子、身体の形状、性的な指向を

一般的な二種類(男女)に分けなくてすむにはどうしたらいいのか。

 

 

 

 性は、genderジェンダーと、sexualityセクシュアリティの二つの要素がある。

 

セクシャリティは、

性行為にかかわる様々の観念、意識、態度、行動を広く指す。

性行為は市民や国民の臣民の後継者を不断に再生産し、

政治社会の存続を根底において可能ならしめているという意味では、

そもそも政治的行為なのかもしれない。

 

そして、思春期以降の人類の多くは、性行為に対し、強い関心を抱いている。

それをめぐって様々に感じ、思い、考え、評価を下し、

さまざまの行動を起こしている。

 

時に「正常」とされ、時に「異常」「変態」などとされ、時に犯罪とされる。

ある行為はほほえましく、ある行為はおぞましい。

しかもその分類基準は、社会によって異なり、歴史的にも変化する。

さらに誰から見るかによっても異なりうる。

(「男色」「ストーカー」「セクシュアル・ハラスメント」等の概念を想起しても)

 

それは、正義や人権の意識に関連し、政治に関連する。

時には重大な政治問題になる。

 

 

 

著書:「日本思想史と現在」

著者:渡辺 浩(1946年生まれ)

扉絵:川原慶賀「農夫」

発行:筑摩書房 2024/1初版