昔話の主人公になぜおじいさんおばあさんが多いのか。
昔の人も長生きだったようだ。
魏志倭人伝にも、倭人は80歳、90歳、100歳と長生きだと書かれているように、
幼少期を乗り切れば、そして疫病や飢饉がなければ、今の人たちと寿命はさほど変わらなかったそうだ。
(抜粋)
長い歴史を通じて「老人」の概念はさほど変わることなく、数え年六十一歳が老人の始まりと考えられていました。それどころか
律令制の行われていた奈良・平安時代、官僚が辞職を許される年齢は七十歳、
江戸幕府が定めた老衰による隠居年齢も同じく七十歳と、
現代日本の定年より高齢に設定されていました。
福祉の発達していなかった昔は、定年を過ぎても働かざるを得ない老人も多く、
一方、最高権力者には、八十歳で死ぬまで関白をつとめた藤原道長の息子の教通のような人もいる。
その教通がさらに八歳年上の姉の彰子に政治の相談をしていたのです。
作中の、老人(60歳以上の高齢者)が活躍する話はおもしろい。
しかし、庶民は、豊かなわけではない。
貧しくて家族が持てず、独りで年を取っていく。
子供のいない老人、独身のまま年を重ねる老人が多かった。
昔話に子のいない老人が多いのは、一つには、社会の最底辺とも言える貧しい者たちが、最後に、ご褒美のように、子供を得たり、金持ちになったり(金持ち=幸せ)する話が好まれたということだ。
昔話を語るのは老人で、自分の人生をかぶせて語るところから、
むかしむかしあるところにおじいさんがいました、となる。
昔話を聞く子供は、人生の流れを俯瞰でき、心の滋養となる。
長生きして、老う。決して豊かではない老後は、今とたいして変わらない。
子供がいても二世代三世代いっしょに暮らすのは無理な世の中だ。
長生きすれば必ず訪れる「老い」。
老人についてこれほど考えたことはかつてなかったと、作者は言う。
(抜粋)
親は親であるというだけで子にとって「権力者」です。知らず知らずのうちに、親はその権力で子を抑えつけ、コントロールしています。(それが度を越すと、「虐待」になるわけです)。
親であること自体、罪深いともいえるのです。
年を取ったら子や孫を解放してやる。
子がいようとなかろうと、「ひとりでやっていく」という覚悟があったほうが、結局は、心身共にラクなのではないか。死ぬ時は動物のように、ひっそりと身を隠すようにして死にたい‥…それが今の私の理想です。
今の時代、おじいさんおばあさんから昔話を聞くことはない。
聞く子供もいない。
そして市販される絵本の昔話の結末はやさしい。
ばあさんが狸に騙されて汁にされてじいさんが食う、なんて話を聞いたら、
こどもは、一生のトラウマになるかもしれない。
いや、なにより、今、そんな話を口に出せる老人もいない。
著書:「昔話はなぜ、お爺さんとお婆さんが主役なのか」
著者:大塚ひかり
発行:草思社 2015年発行