CD;
「RACHMANINOFF PLAYS RACHMANINOFF」
solo works and transcriptions
レコーディング 1925-1942年
ピアノソロ
自身の作曲(「ライラック 作品21の5」他前奏曲練習曲全16曲)
ラフマニノフによる編曲(クライスラー「愛の喜び」他全9曲)
CD冊子の写真のラフマニノフの手指に魅了される。
大きな手指で奏でる力強い、華やかな、耽美な音に引き寄せられる。
※参考
セルゲイ・ラフマニノフ(1873-1943 享年69歳)
・1902年 結婚した4月に「12の歌曲集」を作曲。この中に収録されている「ライラック」も含まれ、のちに自身でピアノ独奏曲に編曲している。
・1917年 十月革命が成就したロシアを家族と共に離れ二度と戻ることはなかった。
・1918年 アメリカに移住
・1925年 以降はヨーロッパでの演奏活動を再開。
・1930年 イギリス雑誌のインタビューに答え「僕に唯一門戸を閉ざしているのが、他ならぬ我がロシアである」
*ロシアを離れた後はほとんど作曲はしていない理由を尋ねられて「もう何年もライ麦のささやきも白樺のざわめきも聞いてない」
*大きな手指で演奏される音に魅了されるが、ご自身は晩年、左手小指の関節痛に悩まされたという。
*亡くなるとき、モスクワの墓地に埋葬されることを望んでいたという。(戦争中で実現はできなかった)
編曲された曲は、クラシックの編曲というより、
ジャズのアドリブをクラシック風にしたような雰囲気に聴いてしまった。
アメリカに渡って、ジャズには近寄らなかったのだろうか、
この「ライラック」はビルエバンスの「ワルツフォーデビィ」を彷彿させる。
(実際はモダンジャズが始まるのは1940年代なので、接点はないだろうが)
参考:「ライラック」(「リラの花」)