「草上の昼食」「オランピア」「笛吹き」…
描かれた油絵の単体はそれぞれ印象深く空気感を伴って美しく、有名だが、
「マネ」のトータルとしてのイメージは掴めていなかった。
パロディ・オマージュ・モチーフとした作品も有名で、たとえば、
「オランピア」はいまだに世界中で溢れているのではと思うし、
「草上の昼食」などは同じ構成のそれとわかるところを皆喜んで観ている。
原作を知っている。よく知られている。
でも、元々の作者はと言われたら、すっと「マネ」と出てこない。
「マネ」単展も印象にない。(知らないだけだと思うが)
著作のテーマが、どうして「マネ」なのだろうと、
題材として専門的すぎるのかもしれないと思いながら、
三浦篤さんの、感性を大事にした見解、格調高い文章を読みたくて手にする。
(本文より)
:エドゥアール・マネを中心に据えた西洋絵画史を書くことができると思っている
:絵画が伝統から近代へと転換する要の位置にいた
:クールベのようなレアリスムと、モネのような印象派の間に位置し、印象派を先取りしていた
:人々が行き交う公園や街路、劇場や競馬場、カフェやレストランなどを舞台とする都市生活の場面を、絵画の世界で初めて取り上げた画家がマネであった
:リアリティを帯びたイメージを人為的に産出する枠組み
(本文より抜粋)
:おそらく、今後もマネの絵は常に参照され続けるに違いない。十九世紀後半のパリで西洋絵画史を集約して、それまでにない「画像」を作り出し、未来に向けて途方もないベクトルを放った画家なのだから。マネが打ち立てたイメージ生成の枠組みは、デジタル画像とインターネットの時代になって、さらに有効に機能しているのかもしれない。
著者:三浦篤
著書:「エドゥアール・モネ」
発行:KADOKAWA 角川選書607 発行:平成30年初版 /令和元年再販