「障がい当事者」が宣伝文句になっていたが、この小説は当事者でないと書けない。

 

 

主人公の釈華は、14歳の時「ミオチュブラー・ミオパチー」と診断された。

筋肉が育ち切れず、心肺機能が酸素飽和度を維持できなくなり、意識を失う。

 

呼吸がしやすいように気管切開を行い、仰臥時は人工呼吸器を必要とする。

起床時も常に酸素飽和度に気を付ける。

酸素不足となった時は、電源が入らなければ生命にかかわる。

 

気管切開をしているため、気道に溜まる痰を、吸引カテーテルで吸引し、酸素不足を解消する。吸引は頻繁に必要で、気管の粘膜は敏感になっている。

 

 

(抜粋)私は29年前から涅槃に生きている。

 

涅槃の釈華は、涅槃の釈迦だ。

 

(抜粋)尿意を感じたので、面倒だが仕方なくトイレに起きる。涅槃のお釈迦様だってたまには立って歩くだろう。

 

ユーモアがあって、どんどん読み進める。

 

 

随所に”怒り”をちりばめている。

「健常者」でないことの理不尽さ。

 

世の中が健常者仕様になっていることに、介護をどうしても必要とする立場から、常に「弱者」として、生きていくしかないのだろうか。


介護をする立場も、仕事なので、利用者の無謀な態度を拒否はできない「弱者」となることがある。

 

 

黙って介護の仕事をする田中。

実生活では真面目で寡黙な釈華。

 

ふたりだけにしかわからない内面への接触に、

釈華は「抽送」して気管内の痰を釣り上げるように、田中と「抽送」する。

 

しかしそれは釈華にとって、ロシアンルーレットのようなものだった。

良くなく、吸引し、呼吸器を装着する。

 

(抜粋)もしも電源が入らなければ死ぬけれど。

 

 

その前も、その後も、施設の部屋で、生きるために生きていく釈華にとって、障がいを背負っていく人生のなかの唯一の現実世界との関わりだった。

 

田中は距離をおく。そして去る「お大事に」

 

”憎んでくれていいから。最初から何もなかったことにだけはしないで”


 

 

 

 

著者:市川沙央(イチカワサオウ)

著作名:「ハンチバック」 (芥川賞受賞作)

発行:文藝春秋 2023/9月号