生田川の岸には、たんぽぽが多い。川岸にたんぽぽの多いことが、生田町の性格をあらわしている。たんぽぽの花が咲いた春のような町である。(冒頭抜粋)

 

この静かでおだやかで古びた町のさびれた貧乏寺の境内の中に、精神科病院はある。

 

物語は、その病院に稲子を預けた帰り道から始まる。

稲子の母と恋人の久野の会話が続く。

 

しだいに、少しずつ、会話が入りこんでいってまるで、

はだかの稲子をまん中にはさんで会話しているようななまめかしさが興味深い。

 

しだいに、少しずつ、

久野の稲子への特異な性愛のさまがあらわれてくる。

母の稲子への特異な愛のさまもあらわれてくる。

稲子が16歳(高1)の時に死んだ父は、どうだったんだろうか。


 

稲子の〈人体欠視症〉は、久野との情事のときにあらわれた。

そのときだけ、久野のからだがみえない。

 

(抜粋)

「あなたに抱かれていながら、そのあなたが見えなくなって、ふるえおののいたり、泣いて身もだえしたりするんでしょう。妙なことを言うけれど、女のあのよろこびようとはちがうんでしょう。狂ってしまうんでしょう。」

「それが、あんな可愛いことはないんです、僕は。あんなにいじらしいことはないんです。」

 

 

久野のなにが稲子を〈人体欠視症〉にしたのか。

それは、もしかしたら、稲子に父がなにをしたのか、になるのかもしれないが。

 

母は、同じように久野を死に追いやるのではないかと危惧し、病院に隔離したのだが、久野の執着はおさまらない。

 

 

未完なので

この先、母は久野をどこまでたしかめるのか、

 

 

 

生田川の岸に白いたんぽぽが一輪だけ咲いていたのを、久野から聞く。

見えてない母にとっては、その一輪は存在していない。

けれど、見てないから、見えてないから、存在しないわけではない。

 

 

 

「仏界易入 魔界難入」

生田病院に入院している患者、西山老人がよく書いている字である。

 

もし、稲子の人体欠視症が高じて、西山老人の姿が見えず、筆と字だけが見えたとしたら、それが西山老人にしれたら、今こそ自分が魔界に入れたと、欣喜勇躍するのではないだろうか(抜粋)。

 

魔界は見えないから、存在しないとは言えない。

 

若い娘の稲子によって、たわいなく魔界にみちびかれてゆくかもしれない(抜粋)。


 

 

著者:川端康成

著書:「たんぽぽ」

解説(覚書):川端香男里

発行:講談社 1996年発行

 

未完小説

長篇物として絶筆になる

 

「新潮」文芸誌掲載未完

途中休載

S39/6(掲載第一回目)~S40/2(掲載第二回目)の間 休載

*オスロ国際ペン大会出席とそれに伴う旅行のため S40/3月号、S40/10月号 休載

S41(掲載第十二回目)~S42/11(掲載第十三回目)の間 休載

*肝臓炎により入院のため S43/1月号、S43/6月号 休載

S43/10月号掲載が最後となる

S47/4/16(享年72歳)ご逝去

S47/9 『たんぽぽ』新潮社 刊行