生まれた場所で人生が決まっていて、そこで生きていくしかないのか。
(抜粋)
タクシーを降りアパートに戻ると、
あの子供がドアの前で座りながら寝ていた。
長ズボンをはいていたが、
灰色のトレーナーで、布地が薄かった。
彼の手足を見ながら、
生まれた場所により彼の生活は規定されていることを、
改めて感じたように思えた。
(抜粋 公園で拾ったテニスボールで投げ合った後、)
「いいか」
僕は少し息を乱しながら、近づいてくる子供に言った。
「俺は、遠くに行かなければならないから、もう会えない。…でも、
つまらん人間になるな。
もし惨めになっても、いつか見返せ」
僕がそう言うと、子供は頷いた。
子供は僕の手を握ることはなかったが、
帰る途中、コートの端をもう一度つかんだ。
「取りあえず、服を買え。…ちゃんとした服を」
著者:中村文則
著書:「掏摸」 2010年 第4回大江健三郎賞受賞
発行:河出書房 2013年文庫発行(2009年河出書房より単行本として刊行)
