不登校児次女〜母はこの気持ちを忘れずにいよう(母編)〜 | 次女日記

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辛かった中学受験を乗り越えて入った学校のはずだった。

2023年中2夏休み前に完全不登校。
と思いきや部活やイベントは出席。

2024年中3の4月から復学。
大学附属を離れる決心をする。

アイコンがいつかニコニコに変えれますように。

似合わないとどんなに周りに言われようが毎週ルンルンと陶芸教室に向かってる。


は相変わらず器用に作り上げ、失敗しても歪みを愛し慈しみ、は相変わらず下手くそなくせに理想とかけ離れた作品になると一から作り直したりする。


そんな私を見かねては図書館にを引っ張って行き美術品の図鑑を広げ、歪んだ作品の美しさ儚さを見せてくれ私の価値観決して否定せずに新しい感覚を植え付けてくれる。


私は彼女のもつ柔軟性子育て論が大好きだ。


私は下手なくせに拘りすぎる。

歪み愛せないというところは自分子育て論にも表れていたと思う。


不登校児が誕生して良かったなんて事は、まだまだ微塵思えないけれど


歪んだ均一ではない器の良さも、悪くなって市場には出ないけれどかけ過ぎず水を充分与えられなくなったトマトの甘さを知ったのも、不登校児誕生して私の拘り寛解された後だ。


ずっとずっと我が子の姿は母親通知表みたいだと感じていた。


子供が褒められないと優秀ではないととして価値がないんだと力が入りすぎて拘り過ぎて、ため子育てではなく自分ため子育てになっていたんだと思う。


勿論拘る通りのになれば娘達失敗せず結果娘達のにもなると信じて疑わなかった。


でも我が子が不登校を選択して私は初めて、今までの子育てが自分よがりだった事に気がついた。

・・いや

気がついていたけれど、止められなかったのをようやく手放す事が出来た。

と言った方が正しい。


子育て主役がようやく娘達になれたと思う。


まだまだ拘り0とはいかないが。


子供達失敗させる大切さ、そしてその失敗を子供達自身が自分の力で乗り越える事が一番大事なんだと今は思う。


が悪かろうが歪んでいようが万人に認められなくてもいい


娘達大切だと思える達から見て娘達が美しく甘ければそれが1番良い。


この気持ち忘れずに書き残す。


例え綺麗事でも私は忘れちゃいけないんだ。