京都近代美術館「没後100年 富岡鉄斎」 | 美術館大好き!大阪・兵庫・京都・奈良へのお出かけ日記

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Instagramの内容とほぼ同じです。

川内倫子さんの写真を見た後、向かいの近代美術館へ。鉄斎さんの展覧会はぜひ見なくては、と思うぐらいには好き💓



富岡鉄斎は、1837(幕末期)京都の商家の生まれ。最後の文人と呼ばれ、「近世都市の商人道徳を説いた石門心学を中心に、儒学・陽明学、国学・神道、仏教等の諸学を広く学びながら同時に、南宗画、やまと絵等をはじめ多様な流派の絵画も独学し、深い学識に裏付けられた豊かな画業を展開しました。」(展覧会サイトより)

#石門心学って初めて聞きました🤷‍♀️

 

富岡鉄斎の画業と生涯を回顧し、京都御所近くの住まいの書斎にあった文房具や取材メモ・旅行記なども展示し、都市に生きた彼の日常をも紹介する展覧会です。

#宝塚・清荒神清澄寺の鉄斎美術館の所蔵品がどどーん、と出ています

 

明治・大正のイメージが強いですが、明治になった時に既に31歳。生まれた年は、大塩平八郎の乱が起こった年です。江戸期の学問を修めた、精神は江戸の人。


勝手な想像なのだけど、学ぶことを生涯楽しんだ、周りから見ると「何でも知ってるスーパー仙人」みたいな人だったのでは?と思っています。


30代から40代に奈良・石上神宮や大阪・大鳥大社の宮司を務めています。また、「万巻の書を読み、万里の道を往く」を座右の銘とし、全国を旅してフィールドワークを行い、風土を絵と文で記録。立命館や京都市美術学校の教員でもありました。その上での南画制作、展覧会の審査員等々。すごいエネルギーです🔥



仙人のような風貌だし、明治・大正期の各界からも尊敬を集めて別格扱いされたような人だったらしいのですが、各地にいる友人・知人を仕事がてら訪ねて親しく交友したそうです。また、山の中に隠遁していそうな雰囲気ですが🤭、京都の街中に住んで様々な人と交友したようです。人間味あふれてますよね。 


展覧会では、そんな鉄斎の愛用品や、手紙、友人達と一緒に作った器なども展示されています。

#辰馬考古資料館で見た手紙も出ていました📨

#親友の辰馬悦蔵(酒造会社・白鷹の創業者)と交わした書簡は

#仮名文字じゃなくて漢文😳


鉄斎は自身の本分を学業にあると捉えていたそうで、画業は余技であると考えていたそう。その力みのなさが彼の絵の魅力なのかなぁ、と感じます。

実のところ、南画のジャンルはよく分からないし苦手なのだけど、鉄斎の絵は好きなものが多いです。遊びのある感じが好きなのかも。



特に好きなのは、日本各地を訪ねて描いた絵。見ていて楽しいです。蝦夷の熊の絵とか可愛かった。あとは屏風絵。山の描き方に特徴がある気がします。描かれた山がぐんと迫ってくる感じがして大迫力でした。






鉄斎さんワールドを楽しめた展覧会でした。