なんのこっちゃ、という感じですが、日本画に比べて洋画を知らなすぎるなぁと思って、意識して洋画の展覧会に出かけています。
須田国太郎は1891年京都生まれの洋画家。大学と大学院で美学・美術史を学び、28歳で渡欧。スペイン・マドリッドを拠点として32歳までヨーロッパ各地を遊学します。40歳を超えて初個展。里見勝蔵や川口軌外の誘いにより1934年に独立美術協会会員となり、日本独自の油彩画を探求しました。
須田国太郎の画業を、国内外への旅・能や狂言の幽玄の世界・造形上の芸術的真理の追究の3つの観点から紹介する展覧会です。
須田国太郎は経歴が少し変わっていて、渡欧の目的が美学・美術史の研究。というのも、国太郎の親は大変厳しく、画家を目指すのは許されなかったのだとか。そのため、学問を学ぶという目的で渡欧が叶ったとのこと。
#息子の須田寬さんがビデオで父・国太郎との思い出を語っているのですが、すごく面白いです
#写生旅行や、四畳半の和室で絵を描く父と背中合わせで過ごした思い出など
#寬さんは東海旅客鉄道(JR東海)の初代社長
なんと、国太郎はきっちりスーツを着てネクタイを締め、四畳半の和室に正座をして絵を描いていたのだとか。幼少時に厳しく躾けられた為、一番集中できるのがその格好と姿勢であったそう。
●「自画像」1914年
●「アーヴィラ」1920年
アーヴィラはスペインの城砦都市。
●「唐招提寺礼堂」1932年
絵はポスターを見て思っていたよりも、ずっと柔らかな雰囲気で、和と洋が上手く融合している感じで素敵でした。
油彩で描かれた日本の伝統的な建築物(お寺や神社、お城など)に微かな違和感を感じることがあるのですが、それが全くなかったです。木造や漆喰のしっとり感がうまく表現されているように思いました。
●「牛」1934年
手前の黒は牛。
●「村」1937年
●「夏」1942年
この絵がとても好き。優しい感じがします。
●「溜池」1950年
●「動物園」1953年
京都動物園に通って描いたもの。竹内栖鳳や木島桜谷も通ったといいますし、動物園は画家達のインスピレーションだったのですね。
●「犬」1950年
●「鵜」1952年
国太郎は長浜縮緬を扱う裕福な商家の生まれで、幼い頃から能や狂言に親しんでいたそう。能を描いた絵やデッサンも紹介されていました。
●「野宮」1945年頃
源氏物語に取材した能。僧が晩秋の野宮で六条御息所を名乗る里女と出会い、光源氏と彼女の物語を聞く。六条御息所が鳥居の柱を出たり入ったりする場面。
●「大原御幸」1942年
平家物語に取材した能。子・安徳帝を失った女院の暮らす寂光院に義父・後白河法皇が訪ねてくる。去りゆく法皇一行をいつまでも眺める女院の場面。
●能のスケッチ
また、美術史研究者としての顔もあり、論文の展示もありました。
存在感はしっかりとあるんだけど、圧迫感はなく穏やかな気持ちで見れる油絵でした。人となりを知れる資料も多く、須田国太郎という画家を身近に感じました。見に行って良かったです。
#この後、蘭島閣美術館(広島)、世田谷美術館(東京)に巡回
お庭はツツジが咲き始めていました。