読書記録「紫式部日記」紫式部 作 | 美術館大好き!大阪・兵庫・京都・奈良へのお出かけ日記

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📚読書記録 

「紫式部日記」 紫式部 

          山本淳子 編著・訳注


平安文学の沼にハマりつつあります😅

枕草子の次は紫式部日記。抜粋で原文と解説を読んだ後、現代語訳で全文読みました。



⚠️大河ドラマのネタバレになる上に長〜いです🙏




紫式部日記は1010年に完成したとされています。ひと言で言うなら、女房・紫式部による中宮・彰子サロンの記録的回顧録でしょうか。記録的というのは、非常に具体的だから。いついつに何々が行われて誰々が出席したということがかなり詳細に描かれていて、誰がどんな衣装を着ていたか、どんな場所に座っていたか、どんな振る舞いをしたかということもばっちり記録。鋭い観察眼で紫式部の感想も添えられています。解説によると、紫式部は記録係を命じられていた可能性があるとのこと。


また、同時に女房・紫式部の成長日記でもあります。最初の頃(彰子出産前後)は、明らかに気乗りのしない勤務態度で、表に出て人の目に触れるのをかなり億劫がっています。「人前に出るのが嫌。人前に出るのに慣れていく、変わっていく私が嫌」というような、その勤務態度はアリなの⁉️と思ってしまうような記述が続きますが、これは当時の家庭に入っている女性の一般的な感覚であったようです。しかし、日記後半では、そういった「お嬢様」気質の抜けない彰子サロンのへの危惧感へと気持ちが変化していきます。このあたり、大河ドラマでどのように描かれるのか、非常に興味があります。

 

先に読んだ清少納言の枕草子と全然雰囲気が違うとも思いました。随筆と日記、という違いもありますが、それ以上に二人は気質が違うのだなぁという印象を持ちました。よく言われるとおり、清少納言は外向きでカラッとしており、紫式部は内向きで抑制的。偶然か二人が主に似たのか、それぞれの主も似たような気質だったようです。


二人は同時期に宮中にいたわけではなく、紫式部が中宮・彰子に仕え始めたのは、清少納言が皇后・定子崩御で宮中を去ってから5年後のことでした。それにも関わらず、紫式部ははっきりと清少納言を批判しています。

というのも、解説によると、枕草子はありし日の定子サロンを振り返る形で語られており、華やかでお洒落だった定子サロンは十年近く経っても宮中での評判が高かったそうです。それに対して彰子サロンは紫式部自身が認めるとおり、地味で気が利かなかったらしく不人気でした。紫式部は枕草子の発信する定子サロンのイメージにしばらく苦しめられた、ということのようです。


また、当時人気があったのは嵯峨野にあった斎院・選子サロンであったらしく、「たしかにあちらは風情があるけれども、それは環境が良いのだ。うち(内裏)は男性にとって職場で女房の仕事も忙しく、そこで風情を演出するのは難しいのだ」と言い訳する文があって面白かったです。

 

注釈・解説が大充実。大変興味深く、もちろん難し過ぎて雰囲気だけ味わっているような状態ですが、読むのがとても面白かったです。当たり前のことだけど、研究している方の考察はすごい🙌

 

もうしばらく平安文学に浸ろうと思っています。