『きょうはなんのひ?』やりたいことをやってみて気づいたあとにいきつくのは、やっぱり… | 天津甘栗

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自分のふとした気付きや、誰かが気づかさせてくれたこと、ただの日常のつぶやきなど、きの向くままに綴っていきます。

お久しぶりです。
金曜日にカレーを食べる必要性を感じているうちに
5月も中旬になっていてびっくりしています。
みなさま、いかがお過ごしですか。


私は、
好きな時に好きなものを食べられることをいいことに
4月末から
小麦粉を食べまくりたい欲求を満たしてあげる生活が続いていました。

その結果、体感としてはベイマックス程に身体がパンパンな日々をおくっていて

さすがに、自分の感覚が信じられなくなりそうだったので
数日前に、米命生活に戻ってまいりました。

お米食べて
ヨガで汗かいて
いっぱい寝て

おかげさまで、私の身体が戻ってきました。
おかえりなさい私。


そして、やっぱりお米は美味しい。

だけどね、どきどきね、食べまくりたくなっちゃうからね粉物も。

だからね、

やりたいことをやりきって

また、戻ってきたかったらそうしたらいい。

これからもそうしてあげよう、と思いました。





そんなことを考えてたらね

ふと

「しょんなかよねー」

という言葉が浮かんできたんですよね。


これは、昔からの母の口癖です。

“しょうがないよね”ということ。


私は

その言葉を聞くたびに

子どもながらに

何がしょうがないのか

何を押さえているのか

何に言い聞かせているのか

その後しばらく考えていたことを覚えています。

まぁ、母と答え合わせをしたことはないから

結局私の妄想の世界でしかないのですけどもね。



大人になった今

その言葉を実際に言ってみて感じることは

ずいぶんと救われる ということです。


きっと、あの時もあの時も

「しょんなかよねー」と言い続けることで

母も救われてたんだろうなぁと

今はそんな風にも思います。


そして、

一見諦め感の強そうな「しょんなかよねー」の言葉の影に

母の強かな希望や願望の存在も見え隠れしているようで

そんな感じもちょっと嬉しいやら面白いやらでにやにやしてしまいます。


そんないろいろもこみで

どうにもならないしょうがなさってありますね。


自分の期待や望み通りにはいかないけれど

その現状を受け入れて

なんとかきりかえてみること

他の選択肢を選んでみること

自分の望んだものではないかもしれないけれど
与えられたものを受け入れてみること


なんだかそんな生き方を教えてくれる言葉だなぁと感じています。




そんな今日は、母の日なんですね。


毎年、

母の日と
(毎年変わる?)

母の誕生日と
(確か、5月11日)

母が好きだったテレサ・テンさんの命日と
(調べてみたら、5月8日だった)

その辺りがごっちゃになってしまいます。

今回、調べてみたから、これからはきっと大丈夫かな。


といっても、特別に何があるというわけでもないのですけどね。

いつもの贈り物がちょっと豪華になったり、リクエスト制になったり
そんな感じです。

すっかり実用性重視、合理性大事みたいになってきましたけども、

昔はね
この大好きな絵本みたいなことをしたい人だったんですよね、私。


知ってます?
ぜひ読んでほっこりしてほしいお話です。

私、このお話が好きすぎて、
いつか、このお話に出てくるような
サプライズをしたいと思っていたんです。


まぁ、我が家は、全くそれを受け入れる雰囲気ではなかったので
早々に諦めてしまいましたけどね。

それで、
大人になって、そっくりそのままサプライズを出来るときがきて
思いきってやってみたんですよね

もう、13年くらい前のことになるのかなぁ。

計画の時からわくわくが止まらなくて
準備してるときも一人でとっても楽しくて

いよいよ本番ってときには、もうにやにやケラケラ笑いが止まらなかったー笑

結構大がかりで、最後まで時間のかかるものなんだけど

それを一緒に楽しんでくれる相手を見極めるのは大事なんだなぁってそのときに学びました。
(手作りの肩叩き券を渡したら、「メモ帳のままくれろ」と言う親には、全くもって不向きなサプライズです。納得。)

あの時の私の壮大な?めんどくさい?遊び心に付き合ってくれる人がいたことには今でも感謝の気持ちでいっぱいです。

そのときにね、ずーっとやりたかったことをやりきってみて思ったのは

あーーー満足した!!!

ということ。笑



ただ、私がやりたかったんだなぁ。
私が楽しみたかったんだなぁって。


それで、やりたかったことをやりきって、満足。


夢が現実になってみたら
もうそこには膨らむ妄想はなくて
あるのは現実的な記憶や想像になる。


私の幸せな家族ごっこをしたいという妄想も
そのときに結願していたのかもしれないなぁと思います。


そのときに満足したおかげで
そのあと
そんな私の妄想に付き合ってほしいとか
幸せな家族ごっこしたいとか
そんな思いはすっかり静かになった気がします。


そのサプライズイベントは
私がそんな妄想を乗り越えて親離れしていく大事な通過点だったのかもしれません。


そうやって
やってみたら気づけることがきっとあるから
やりたいことをやってみること
チャンスがあればこれからもチャレンジしてみようと思います。




そして、
何事もやってみないと気がすまない。
納得するまで気がすまない。

そんな強かさを何度も何度も肯定してくれた
私のバイブルを最後に紹介しておきます。


どぉーーーーん!
『女帝』シリーズ!

表情と感情の濃い絵に、会話と情報の文字の多さが、もう重くてたまらないやつです。

私が実家を離れた高校時代から20代の間、何度も何度も読み返しては
その時の私に必要なことを学んで、納得して、また元の生活に戻るということを繰り返していました。

物語の中に出てくる、彩香・明日香親子の生き方からどれだけのことを学んだか…

今はもう手放してしまったけれど
これが全巻揃っていた頃は
友人が遊びに来るたびに
まるで“○○ホイホイ”みたいに
みんな吸い寄せられて離れられなくなる
そして延々読み耽る
そんなシュールな空間になっていたのは良い思い出です。



ははは。
なんだか、ただ、この本を紹介したかっただけな感じになってしまいました。



私の中の
子どもな部分も大人な部分も
清さも濁らせたいところも
素直さも強かさも
白さも黒さも


そのはざまで揺れ動きながらも
どちらも大事な私には違いなくて
いろいろ含めて良い味出してきてる気もしています。


いろんなことをやりきって気づくこと
そんなことを考えて行きつくのはやっぱり

お母さんありがとう。