語感フェチによる、語感フェスティバルを全力でお届けしまーす。 | 天津甘栗

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自分のふとした気付きや、誰かが気づかさせてくれたこと、ただの日常のつぶやきなど、きの向くままに綴っていきます。


今回は、語感フェチな私の、言葉に対する想いやらなんやら、まぁ、「私、言葉に深入りしちゃうのー」「言葉の沼にはまっちゃうのー」というお話です。

よかったら、マニアックにお楽しみください。


言葉については、以前にもこんなこと書いてました。

これはね、

私の性分ですからね。

相変わらずですよ。

言葉の沼にはまりながら、

言葉にまみれながら、楽しんでおりますよ。





今回の沼は、

スローガン とか

モットー とか

力のある言葉、強い言葉。

パワーワードと言われるものですね。





それらがあることで、気付けることも、奮起できることもある。力になることもある。

多くの人に響くように、多くの人に伝わるように、必要なものでもありますよね。

確かに、その意義は大きいと思います。




だけど、やっぱり、私は、

その言葉に込められた意味や想いを知りたい。


その方が、私にすんなり染みこんでいく、すっと受け入れられる。

そうも思っています。



力のある言葉、強い言葉

に出会ったとき、

私は、そう感じるので

出来るだけ知ろう、出来るだけくみとろうとしてみます。




ここ最近、私の周りでは


「自分をあなどるな!」

「自分をみくびるな!」


そんな言葉が飛び交っています。




案の定、

私は、それらを聞いているうちに

聞けば聞くほど

その言葉の強さに引っ張られてしまい

自分の中で、真意が定まりきれないような感じがしてきました。

言葉だけが、先へ先へとひとりで歩いていっているように感じていました。



励まされているのだろうけど…

応援されているのだろうけど…

叱咤激励されているのだろうけど…

なんだか、わかったようでわからない感じがしていました。



ふとね、

学生時代の部活で、

「がんばれー!」

「ファイトー!」

「いけるー!」

って応援されていたときの気持ちを思い出しました。

うん。あの時の気持ちに似てるんですよね。なんだか。


私は、応援されながらも

何が?

何を?

何を根拠に?

と、思ってしまうような、全然熱くなれないタイプだったものですからね、


“何を”頑張るのだ?

“何を?何へ向かって?”ファイトなのだ?

“何を根拠に、どこへ、どんなふうに”いけるーなのだ?


そんなことを考えてしまうのでした。笑

集中するところが、意識を向けるところが、応援してくれている人の意図とズレ始めるのです。

こうやってね、沼が始まります。笑



そうなると、他の場面でも、どんな場合でも、

「どうしてそう思うの?」「それは、どういうこと?」と、聞きまくりたい私が出てくるのです。

知りたくて知りたくて知りたくて、たまらなくなるのです。





私が、言葉の沼について考えるとき、思い描くあるイメージがあります。

それは、あの有名な物語のエッセンス。



「名前を言ってはいけないあの人」と言っているうちは、それがなんなのか分からないから不気味で怖いまま
 
だけど、勇気を出して「ヴォルデモート」と言ってみたら、言葉にしてみたら、みるみる姿が、みえてくる

そして、自分の言葉で「ヴォルデモート」と向き合えば向き合うほど、深く知ることができていき

「ヴォルデモート」は、実は、「ト○・リ○ル」だったということがわかる。


得体の知れない「ヴォルデモート」が、同じ人間だったと知ったときの衝撃と納得の深さと言ったら!



私は、その物語を見るたびに、そういうことよね!と、何度も何度もそのエッセンスを確信しています。


漠然と怖いものは、向き合いようも、受け入れようも、理解しようもないけど


辿って辿って行きついた、怖いの先にあるものをみたら、あぁそういうことかと
納得して次に進んでいけるのだろうなと思うのです。






というわけで、私は、今回、

「あなどる」と「みくびる」について調べて考えてみました。

いろんなところからひっぱってきたので、出典がわからなくなっちゃったんですけど、まとめてみます。(そういうとこ雑なんです。テヘ)



まずは、意味の確認から。


「あなどる」とは

相手を軽く見てばかにする。

相手を見下げて軽んずる。

相手を自分より劣ったものと見なすこと。



「みくびる」も、意味は同じですね。



では次に、「あなどる」「みくびる」の全体像をつかむために、ちょっと範囲を広げてみます。

「あなどる」「みくびる」の周囲の言葉をみてみます。

「あなどる」、「みくびる」の類義語には、どんなものがあるのでしょうか。



軽蔑する、卑しめる、蔑する、賎しむ、賎しめる、慢悔する、見下す、軽侮する、蔑ろにさする、蔑む、侮辱する、舐めきる、疎んじる、人格無視、差別視、小馬鹿にする…



おぉ、実に苦しい並び… 書き連ねてていやになる言葉たち…




相手を取るに足らないものと見てけなす態度

故意の無礼な行為

強い嫌悪からくる尊敬の欠如

人の尊厳や自負心に対する侮辱

無価値なものとしてそれらの観点を、軽蔑し、それに対して傲慢な優越性を誇示する

極端な軽蔑を表すさま




その様な意味の言葉たちですね。




つまり、

自分を「あなどる」、自分を「みくびる」ということは、

自分自身に対して、このような態度をとっていたということなのですね。



人からされて嫌だったこと、絶対自分はやらないぞ、そう思っていたことばかり


なのに、自分に対しては、意識的にか無意識にかわからないけれど、やってしまっていたのかもしれません。

いや、「あなどるな!」「みくびるな!」と言われるということは、やってしまっていた、今もそうだ、ということですよね。


それは、いただけない…

それは、苦しい…

それは、あんまりだ…






だけどね、それらを調べていくなかで、救いの言葉にも出会いましたよ。

それは、「蔑ろ」の説明として書かれていました。




蔑ろの漢字の意味としては、

上半分が、

かすかで目に見えない精霊(草木に宿っているとされる魂)

下半分が、

横から見た姿の人間が握りのついた柄の先端に刃のついた矛を持っている形、とされ、ここから、“切る”や“取り除く”といった意味


つまり、

あるものについて精霊の力を退けて、存在を認めない ということ

本来は、大切にし、尊重されるべき人やものに対して粗略に扱う行為

大事に扱わなければならないことの扱い方がいい加減であること

ということのようです。



なるほど、ようやく闇の中に光が見えてきましたね。

あなどり、みくびり、ないがしろにしながらも、

私たちは、どこかで、その存在の偉大さ、はかなさ、大切さを感じているのかもしれませんね。

ここは、とっても大事なところですね。



では、明るい兆しが見えてきたところで

今度は、その明るい兆しをもっと覗きこんで広げていきます。

「あなどる」「みくびる」の反対の「あなどらない」「みくびらない」ということは、どういうことなのかをみていきます。



「あなどる」、「みくびる」の対義語にはどんなものがあるのでしょうか。



評価、尊敬、大切、尊重、重用、大事、丁寧、慎重、慈しみ、愛用、崇める、敬う、…



おぉ、なるほどなるほど。

光ですね。明るい。実に明るい。



しかし、これには続きがあります。



「あなどる」「みくびる」の対義語の続き




恐る恐る、畏れる、恐れる…




あぁ…なんということでしょう!


 


ここにいきついたとき、私は、とても驚きました。そして、震えました。




「あなどる」「みくびる」の反対の意味を持つ言葉に


光 (崇める、敬う…)


影 (畏れる、恐れる…) 


があったのです。

こんなところにも、どんなところにも、光と影はあるのですね。




「あなどる」「みくびる」(相手を軽く見てばかにする)

の反対は

「崇める」(この上ないものと思って敬うこと)

「敬う」(相手を尊んで礼を尽くすこと)

そして、

「恐れる」(恐れ怖がること)

「畏れる」(相手に予想以上に能力があることに驚くこと)


ということは、ですよ、


自分をあなどるのをやめて

自分をみくびるのをやめて


自分を敬う

自分を崇める


そうやって自分を大事に大切にしていったら


畏れること、恐れることは、ついてくるということ。


敬う、崇めると 

畏れる、恐れるはセット。


つまり、

自分を大事にしてるから

ちゃんと怖いを感じているということになりますね。



怖い(恐い、畏れる)は、自分を大事にしているということなのですね。


だから、

怖いをたくさんたくさん感じているということは、自分のことを、敬って、崇めて、大事に大事にしようとしてる!

ということなんだなぁ、きっとそうだなぁと感じました。
 

だから、その怖いはきっと、宝物ですね。


自分のことを、敬って崇めて大事にしていく過程の宝物。

大事にしている証。

奇跡の感覚なんだなぁって思いました。


恐れや畏れを感じながら、

自分を敬っていったら、自分を崇めていったら

きっと自分自身をもっと知って、取り戻して

自分自身と繋がっていくということなのでしょうね。



ここまで、きたら、だいぶすっきりです。



あとは、

自分を敬う

自分を崇める

自分を丁寧に扱う

自分を慈しむ

自分を大事にする、大切にする

それらが、自分にとって具体的にはどういうことなのかを、イメージしてみることがポイントですね。


イメージできることは、行動にうつせます。

やってみることができます。





あなたにとって


自分を敬う

自分を崇める

自分を丁寧に扱う

自分を慈しむ

自分を大事にする、大切にする


ということは、具体的に、どんなことをすることですか?どんなことを自分にしてあげることですか?


考えただけでも、むふむふしてきますね。

私はします。むふむふします!

ぜひ、一緒にむふむふしてみてください。



むふむふしながら、動きだせば、そのむふむふは、もっともっと大きく膨らんできますよ。たぶん。

 




私は、常々、

出会った言葉を、その気になる言葉を

自分の言葉で、自分の使いたい言葉で、自分の納得のいく言葉であらわすとしたら、どう表現できるのだろう?

と、考えてみようと思っています。

考えることを楽しんでいます。


どんな言葉を聞いてたとしても、そんな、最強の自分語への変換器を持っていれば

その時その時で、チューニングしていけるんだなぁと感じています。




というわけで、今回は、

語感フェチによる、語感フェスティバルを全力でお届けしました。

あー楽しかった♪

お付き合いいただき、ありがとうごさいました♡