まずは新しい常識のインストールと、安全な場所での練習 | 天津甘栗

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自分のふとした気付きや、誰かが気づかさせてくれたこと、ただの日常のつぶやきなど、きの向くままに綴っていきます。

ここのところ、
私にとって、心屋とヨガの親和性が半端なくて
寄ってたかって導かれている気分です。


心屋に触れているときに、ヨガの教えを感じるし
ヨガに触れているときに、心屋の教えを感じるのです。





自分の内側を掘り起こして、みつめたり感じたりするというのは、どちらにも共通していることですから、そう感じるのかもしれませんね


どちらも、自分を取り戻していくツール、自分らしくあり続けるツールだということなのでしょう。



だから、どんなツールを使ったっていいのです。


私が私を取り戻し自分らしく在り続けるためのツールに出会えて
好奇心の赴くままに学んで楽しめているということが、ほんとに嬉しい。
大切に向き合っていきたいと思っています。







ヨガの練習をしていて、マットの上でチャレンジ出来ないでいたときは
マットから離れた日常生活の中でも、新しいことにチャレンジ出来ないでいる私がいたなぁと思います。



身体も心も重たくなっていて、やらない理由、言い訳がいっぱい自分のなかにありました。

そして、それを深刻に信じていました。
変われない。動けない。私はこんなもん。私はこのままでいるしかないと。







私が受けているヨガのクラスでは毎月テーマが変わるのですが

私にとって、とてもチャレンジングなテーマと向き合おうとしたとき、

まずはマットの上でだけでも向き合おうと思えるようになってはいたのですが、

やっぱり変化が怖い自分もいて、変わらない何かにすがりたくて

とてもシンプルな動きを繰り返す、太陽礼拝をせめてもの心のよりどころにしようと思いました。


そして、不安なとき、怖くなったとき、ただ淡々と自分の呼吸を聴きながら動いてみることにしました。



始めは、ただ動くだけで良かったんです。動くだけで、何かに集中出来ているだけで、とても静かな自分を保てるのだと感じて、安心しました。


でも、そうやって、淡々と太陽礼拝を続けていると

なんと、

変わらないものだと思っていたものが、そうではなかったんだと気づかざるを得ませんでした


動き始めと終わりとでも、身体の熱は変化するし、呼吸や鼓動も変化する。

日々続けることで、動きに違和感が無くなったところもあるし、逆に違和感が出てきたところもある。

例えば、
お腹や腕、足を強く使う方法がなんとなく分かってきて、楽になめらかに身体を動かせるようになってきた感じとか、

日々繰り返し使うことで手首の古傷に負担がかかって、身体が温まるまではなかなかなめらかに使えないんだけど、動き続けるとどこかのタイミングでその手首の違和感から意識が離れていて、終盤では気にせず動けるようになってるとか

毎日動いていたら、肩や腕の筋肉がムキムキしだして厚みが増し、身体を支えるのは楽になったんだけど、今までになかった肩の詰まりとか、腕と脇腹の幅感の変化で擦れてしまうとか。


もちろん、日々の体調の変化もあるから、快調な日もあれば、寝不足やら胃腸が弱ってるやら筋肉痛やら浮腫んでるやらやらやら…

なんやかんや、結局、変わってるんや!変わらないものなんてないんや!ということに行き着くんだと思い知らされました。


変わらないものにすがったはずが、
全ては変化する。無常なのだ、というところに行き着くんだと。



今日のあきはさんのブログを読んで、最近私が感じていたそんなことが思い浮かんできて、つながっていきました。
こんな変わりっぷりを間近で見せてもらえるのは、心屋の醍醐味ですよね。お手本がいっぱいでわくわくします。



私が心屋の先輩方をみていて感じるのは、

動いて変わっていく人たちを見ているだけでも、
“動くと変わる”が自分の中に少しずつインストールされていって
変わるわけがない、変えられるはずがない くらいのがんこな自分の常識が
変わるかも?になっていっていってる、ということです。


行動で見える変化が起こる前には、こんな内側の変化がおこるのでしょうね。

そして、その変化のスピードは人それぞれなのだろうな、と。


今は何も変わっていないように見えたり感じたりするものの中にも、
本当は変わっていないものなんてないのだろうなと、今回のことを経験して思うようになりました。

ゆっくりゆっくり、機が熟すまであたためていることだってあるかもしれません。

そんな可能性をゆっくりあたたかく見守ってみるのも楽しみのひとつになるかもしれないなぁと、今は、思います。



そして、

大きく動くと大きく変わるから、目に見える変化は感じやすいけど、
それでもやっぱり、変わるのは怖いですよね。

怖いんだけどほんとは変わりたい変えてみたい自分もいる。

そんな怖がりな自分がいてもいい。


そんな怖がりの自分のままで、

安全な場所で誰かの気配を感じながら、誰かに支えてもらいながら

チャレンジしてみようと思えるものに出会えるといいんだろうなぁと思います。



私にとってのそれ(安全な場所での練習)は、

ヨガのクラスでマットの上でアサナの練習をすることであり

心屋塾マスターコースで、自分と向き合って感じきることなのだなぁと。

私に出会って導いてくれる全ての方々に出来事に、感謝の気持ちでいっぱいです。



私みたいながんこな怖がりさんが、いろいろなものの中から必要な人や出来事と出会って、怖がりながらも何かにチャレンジしてみようと思えるときがくるといいなぁ。