まだまだ先の遠いいつか、そんなタイミングがやってきたら、行けたらいいなーと思っていた心屋塾のマスターコースに
いろんな事が重なって、思いの外迷うことなく決意して、こんなに直ぐに行けちゃうなんて
自分でも本当にびっくりしています。
そして、すでに、しみじみと感謝の気持ちでいっぱいです。
というわけで、ドキドキわくわくの1日目。
ただただ楽しかったー。
いっぱいドロドロも出てきて、ボロボロ泣けたりもしたけど、
そんなことも我慢しないで、ちゃんと深刻に感じきって、泣けたことが嬉しい。
うさこさんと、アシスタントのお三方のあたたかい愛を感じながら
何も我慢しないでただ自分をさらけ出しても大丈夫な空間にいられることが嬉しい。
結果、めっちゃ楽しかったのです。
アシスタントのお三方のワチャワチャ感にもいい感じにほっこりさせてもらえて
関西人のノリやツッコミや漫才みたいな会話に笑って楽しんでる私もいました。
笑いってやっぱり救われる。大事やなー。
泣いたり笑ったりして、感情の波が忙がしかったりもするけれど
泣きたいときは泣いたらいいし
笑いたいときは笑ったらいいし
我慢しないで、やれてる感じが心地よかったなぁ。
そして、夜の懇親会で、
静かに深くお互いの事を少しずつ、
訥々と丁寧に自分の中の想いと言葉を探りながら語り合えたということが
本当に心地良くて幸せでした。
スーザン・ケインさんの『内向型人間のすごい力』という本を、最近読んで
あぁ、私は、内向型人間だったんだなぁと納得しました。
そして、自分の中に脈絡無くバラバラに散らばっていると思っていたあの感覚もあの感覚も
内向型人間故の感覚だったのかとその繋がりに気づくことができました。
こういう感覚のことを、スピリチュアルに片寄りすぎなくても表現できるということを教えてもらえたのは、私にとって目から鱗の大発見です。
自分の感覚を表現できる言葉は、きっともっとあちこちいろんなところにたくさんあるんだろうなぁと思えてきて、そんな言葉をもっともっと知りたくて、楽しみがまた増えました。
そのスーザン・ケインさんの本の中で、印象的だったのは
外向型か内向型かでコミュニケーションの順序が違うというところ。
初めましての人と出会ってコミュニケーションを取り始めるとき
外向型の人は、雑談してから、本質的な深い話をする関係性になっていく、という順序でコミュニケーションをとっていくそうです。
一方、内向型の人は、その逆で、
本質的な深い話をしてからやっと雑談が出来るようになります。
私は、まさに深い話をしてからじゃないと雑談を楽しめないタイプなので、
この感覚は、内向型あるあるだったんですね。
そんな私にとって、
今日のように
様々なワークて、自分の中のあんなことやこんなことを差し出していくこと
誰かが差し出してくれたそういうものも受け止めること
そして、夜の懇親会で、ココロの話、自分の感覚の話を、隠すことなく話したければ話せるし聞けるということが
とても大事なステップだったなぁと感じています。
(心屋に集まる人達は、同じタイプの人達なんじゃないかなぁとも感じています。)
まずは、自分が話したい、言葉にしたいと思うことから、ゆっくりと丁寧に。
雑談は、出来るようになるまで焦らずゆっくりでいこうと思える安心感。
やっぱり、どんな私でも大丈夫で、
私は、私でただそこにいていいということ。
今月向き合ってきた、自分の中にある‘怖い’についても
総集編のように、1日目のワークの中で向き合いました。
命と向き合うことの怖さ
生きているといことの怖さ
まだまだそこに怖さはあるけれど、
そこにあるのだということを、ただ受け入れること、自分が認めてあげること
それだけでいいのだと思えるようになってきました。
ワークの時に、さをりんさんに「しのぶは生きてくるのが怖かったねぇ。」と言って寄り添ってもらえたこと
うさこさんに「これまでずっと長いこと蓋をしていたものだから、もうちょっとゆっくり時間かけていいんじゃない。」と言ってもらえたこと
そんな‘怖い’があってもなくても、
私は私のままで誰かに寄り添ってもらえて、受け止めてもらえるのだということが、
嬉しくて嬉しくて、そのことにも涙が止まりませんでした。
全てはすでに完璧なんだなぁ。
私はただ導かれるままに委ねていこう。
最後に、もう一つ。
9月の上級wsでも、今日の1日目でも
なんと、不意に「可愛い」と言ってもらいました。
まだまだ受け取りベタだけど、
そのまんまの私で「可愛い」って言われてちょっとこそばゆいけど嬉しかったなぁ。
「可愛い」って言われたいんだなぁ私。
もっと言ってもらおうっと。