人間皆、”井の中の蛙”なり | 沖縄のユタ 觀耀(かんよう)【神仏との対話・豊かなる氣付き】

沖縄のユタ 觀耀(かんよう)【神仏との対話・豊かなる氣付き】

沖縄で日々祈りをし数多くの氣付きから神仏との対話を投稿致します。
沖縄の祈りの風習や年中行事の意味などもお伝えしたいと考えております。

ご覧に成られた方々への更なる氣付きと成りますことを心よりお祈り申し上げ致します。

はいさいニコニコ

 

觀耀(かんよう)で御座いますお願いおねがい

絶賛台風6号直撃の沖縄で御座います。

 

雨風強く寝るのも一苦労な一夜で御座います。

沖縄県民の皆様、本島・離島、観光客の皆様が、この台風を無事に乗り越える事が出来ます事を心より祈念申し上げますお願い

 

また、本州の方々も酷暑での熱中症にお氣を付け下さいませ。

水分補給並びに塩分ミネラル補給をしっかりとされて下さいますようお氣を付けて下さいませお願い

 

 

 

さて、今回のお話は、私が、拝みの【お】の字もまだ、理解できていない時期のお話。

今回の言葉は、後に私が大人になってお祈りをした際に改めて言われた事で御座います。

 

とあるノロ殿内に手を合わせに行った際の話。

 

いきなりノロの人が出てきたんです。

なんとも、きっりとした顔立ちの方が、お話して下さいました。

 

※ノロ様と表記

 

~対話~

 

『はじめまして、私、觀耀と申します。今回は、ご挨拶に伺いました。』

 

ノロ様

『嘆かわしいね。』

 

『はい?えっと、なんと?』

 

ノロ様

『今の祈り手は、こんなにも視野が狭く、精神的にまだまだなものが多い。』

 

『申し訳ありません。私まだまだ、歩み初めで何もわからず申し訳ありません。頑張って、学んでまいります。』

 

ノロ様

『なんも、觀耀あなたの事だけを言っているのではないのだよ。そうだね、私達ノロが、どう共に歩んでこの國を護る為に協力し合っていたのかを教えようか。』

 

『有難う御座います。』

 

ノロ様

『私達ノロは、皆が皆。同じ夢を見て同じ判事を出来るだけ降ろせる様にお互いにお互いを高め合っていた。それは、必死に祈る事でもある。学を付ける事でもある。そして、一番大切なのは、何だと思う?』

 

『正しき行いをする事でしょうか?』

 

ノロ様

『違う。それも善行ということであれば正解かもしれないが、お互いを高めるという事になるとそれだけでは、難しいと思わないかい?』

 

『はぁ、確かに。。。では、どうすればいいのでしょうか?』

 

ノロ様

『今、私としておるでしょう?』

 

『えっ!?えっと、お話合いでしょうか?』

 

 

ノロ様

『そう、話し合いである。どの神を拝んで居ようが、國が違えど。視えてるものが違えど。話し合う事が大切なのだよ。』

 

『例えば、一つの石がある。10人で1つの石を囲って1人1人個別で見ているとすると、皆が皆、同じ【石】という物は、見えるが、同じ形の石には見えない。同じ物は、見てるが、同じ形同じ色には見えない。これが、それぞれの霊格・霊性・役目の違いである。』

 

『もし、それを皆が皆同じ石を見ていると理解するには、その個別で見ている時に見えた情報を

【共有】する事が、大切なのだよ。その際に共通する情報を纏める必要がある。』

 

『私が、見た石は、これぐらいの大きさだった。私が見たのは、これぐらいだった。私は、これぐらい。という風に共通情報を纏める事が、皆が皆同じ物を見ていたんだ。と理解する事の始まりなのだよ。』

 

『な、なるほど。ですが、それだと時間が掛かってしまうのではないでしょうか。』

 

ノロ様

『それは、そうだ。お前は、短期間でどんな人とも理解し合えるのか?人皆が皆それを苦も無く出来ればこの世に争いは、なくなっているであろう。だからこそ、だからこそ話し合いが必要なのだよ。』

 

『はい。簡単には出来ないです。』

 

ノロ様

『まだ、理解は、出来てないか。直ぐに理解しなさいと言っては、言っていません。時間は、掛かっていいが、今のあなた方には、私達の時代ほど時間はないでしょう。ですが、焦らずに沢山の人と話して、沢山学んで、沢山の土地、世界を見ていきなさい。』

 

『私達ノロは、何度も集まり話し合いお互いが視たものや夢判事をお互いに共有していた。それから、私達は、國に訪れる問題を瞬時に共有して、集まり纏め王府へ文を出していた。だからこそ、私達は、この島國でこの組織を維持することが出来たと思っている。』

 

『確かに、争いもあった。ノロ同士でも。それは、認める。それは、本当に愚かな未熟な事であったと思う。だからこそ、もう、※チヂワーナイ神ワーナイをして欲しくない。』

※他人の霊力や拝んで居る神を頭ごなしに否定、馬鹿にすること。

 

『己の視ているものや世界が、全てと思い慢心する事は、なんとも情けない事。己自身の品格すら下げてしまう事だと私は思うのだよ。』

 

『はい、私もそう思います。今の世では、”井の中の蛙”と申します。肝に免じます。有難う御座います。』

 

『畏まりました。そのチヂワーナイ神ワーナイなど、宗教や思想に対する事での争いを行う事は、無いように努力致します。まだまだ、理解出来ているのか分かりませんが、精進いたします。』

 

ノロ様

『まだまだ、先は長い。急ぎすぎぬように。楽しみにしているよ。有難う。』

 

『この度は、お言葉を下さり有難う御座います。まだまだ、歩み初めの私へこの様に根気強くお教え下さり感謝申し上げます。お願い』 

 

※実際には、何度も何度も話して下さり書いてある会話よりも倍の倍近く会話をして居りました。大変長い内容になるので、短く省略致しました。

 

 

~ここまで~

 

この時にノロ様が、お話して下さった事を今も実践出来ているのかと自身の行動を言動を見つめ返す様に致しております。

私もまだまだ、精進が足りないなと感じる日々で御座います。

 

私が、このノロ様からのお言葉で何となく理解し始めることが出来たかな?と感じるのは、数年たってからの事でした。

私が、師に言われ相談者様を受ける様に成った時にふっと感じました。

 

【ユタ半分・医者半分】

 

沖縄では、昔からオジーオバーが言っていた言葉。

この言葉が、切っ掛けでした。

 

会話のやり取りが、長くなってしまったので、今回は、ここまでにしたいと思います。

 

次の記事で、書きたいと思います。

 

では、また次回。

 

 

神人 觀耀