創作民話 | 脳梗塞と民話語り

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福島県のある先生が
  東日本大震災の津波で我が子を亡くした

その手記が新聞に載ったのを
  ある民話の教室の人がこれを語りにしたいと原文を持ってきたものを

語り部さんが語る
  創作民話にしてみました

【小さな命 】

  皆さんも記憶に新しい東日本大震災の時のことだと 
  ある小学校の校庭で、ランドセルを揺らしながら 
    雪の上を走って行く子供を見て
  「あぁ あの子が生きていればなぁ・・・ 
    今頃はランドセルの背負い方も馴れている頃だろうなぁ」
      そう思いながら その子供達を先生は見て居たと

  この先生は あの津波で
     五歳になる我が子を失った父親であったト
  仮設住宅にはな
   ダンボール箱の上に 子供の写真と 
     青いランドセルが ポツンっと置かれていたト

  その日の津波は ゆうに8mは超していたものだから
   車は流され、家は流され、人もまた流され
     立木までも 根こそぎ引きちぎられて流されて行ったと
      そうして津波の去ったあとには
       ガレキの山だけが残っているだけだったと

  それだけで済まなかったと
   原発事故で放射能漏れがあってな
    広い範囲にわたって立ち入り禁止令が出されてな
      息子を探しに行きたくても 行けなかったと
 
 さて、それから一ヶ月は経っただろうか
  「おーいここに子供がいるぞー」救助隊の叫ぶ声がするんだと
    声のする方に母さんと急いで駆けつけてみると 
      無残な姿の息子が ガレキと重なり合って横たわっていたと

  なりふり構わず 
   変わり果てた息子をギューっと抱きしめ そう―っと話しかけたと
  「あんなに大きな津波だもの
    お前の小さな身体なんて ひとたまりも無かったよな
     不安だったよなぁ・・・心細かったよなぁ
      痛かっただろうに・・・苦しかっただろうに・・・
  どうして助けてやることが出来なかったんだろうって
    いつも母さんと海を見ながら泣いてばかりいたよ」     
  そう言って
    自分の心の不甲斐なさを毎日毎日責め続けいたと

  母さんは泥だらけになった その服を
    何度も何度も洗っては 涙を流し
      服がちぎれてしまうほど洗い続けていたんだと・・・・
      ・・・・それ以来 母さんが笑うことはなくなったト

  さて、それから二年目の春のこと 避難先の病院の廊下の片隅で、
   新しい命の産声を聞いた父親はな   
    失った悲しみと、弟が生まれた喜びが重なり合って
      複雑な気持ちいっぱいであったと

「父さんも母さんも、
   お前を忘れることなど こんりんざい出来っこないけど
   俺たちが泣いてばかりいるから
     弟という宝物をプレゼントしてくれたんだね

  こうして赤ちゃんを見ていると、 自然と涙が出て来てしまうよ・・
    これって きっとうれし涙もあるんだねぇ」

そう言って、空を見上げて見ると 
     息子が笑顔で語りかけてくるんだと

  「父さん・・母さん・・俺はねっ! 
    父さんと母さんの側にもっともっと居たかったけど・・・
     でも~・・・でもねっ!、
      俺~父さんと母さんの子供で本当に良かったと思ってるよ
       今度は俺の分まで弟を可愛がってくれよな・・父さん・・母さん」

  その時、今まで笑ったことがなかった母さんが
    赤ちゃんを抱いてにっこりと微笑んでいたと

  そんな母さんを見た父さんはナ
    真っ青な空に向かって・・・・・・・
     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
      「小さな命・・ありがとう」・・・・って


         お し ま い