死んでも命がありますように | 脳梗塞と民話語り

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大阪府浪速区の山路被告(23歳)が
     死刑判決が降りた


   その男は、二人の姉妹を暴行した上殺して 放火してしまった
     人殺しをすることに快感を感ずるんだそうです
       16歳で自分の親をバットで殴り殺したそうです


   そのとき快感を覚えたそうなんです
     当然少年鑑別所に服役したんです


   そうして刑期を終えてからは、誰でも良いから
     人を殺したかった、そうなんですよ
       誰でも良いからったって“誰”に当たった人は
        不運ですよね、やんなっちゃいますよね


   裁判長が〔悲しんでいる人がいることを分かって欲しい〕と
     それでも被告は“同じ状況ならば、また同じ事をする”
      そう言ったそうです。


   人を殺すと云うことまでも
    ゲーム感覚で行われている現実
   

   ピコピコやるあのゲーム機の中で
     人間を育てていく、
       ちゃんと世話をしないと死んでしまう
       

   死んでしまったらまたリセットすれば
     復活して、ご飯をやったり風呂に入れたり
       散歩したり、と

   
   我々は生きているんです
     笑いもするし泣きもする
      悩みもするし、当然怒ることだってする
       生身の身体なんですね~

 

  死んでしまった人は、
     いくらリセットしても
       生き返らないんですよ


俺のばあちゃんで、
    もう死んでしまった、ばあちやんが云ってた
【死んでも命だけは ありますように・・・】

カミナリがなったり
    恐いことがあったりしたときに
      良く云ってたのを思い出します


  
それだけ人の命は大事なものだから
    

  京都の清水寺の住職が
    今年の世相を一字で表す習わしがある


【 命 】だそうです
     マスコミでも連日のように
       人殺しの報道がなされていて


世の人々から殺すことに
    なぜか 慢性化しちゃって
      何とも思わない人が増えることが
        恐ろしいような気がする



人はこの世に生まれてきたんです
     リセットしたり、
      あるいは人の生まれ変わりだったりする事は出来ないわけで


別な人格を持った
     全然別個な人なんです

   
   その人を、殺して良いなどと

        誰が いえるでしょうか


人の命は ゲームの延長線上にあるんじゃ~ね~んだ


       もっと もっと重要視しなければ いけないもんなんだよ




                    kanya-suzu