福岡県弁での2020/9/18死刑廃止決議案の臨時総会に先立つ一会員の意見 | 福岡の弁護士|菅藤浩三のブログ

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福岡県弁では2020/9/18死刑廃止決議案を臨時総会で審議します。
 それに先立ち、犯罪被害者支援に関する委員会委員長をかつて務められていた一会員の意見が、県弁会員用掲示板に掲載されていたのですが、当該会員がひろく拡散を希望されているようなので、その同意を得て、ここに掲載させていただきます。なお私菅藤自身は強制加入団体である弁護士会が死刑廃止決議を行うこと、さらに会員から強制的に徴収した浄財を使って強制的に徴収された少数(に属するのでしょうねいまの傾向だと)の意に反する立法運動を継続的に行うことには既に反対の意思を表明しています。。。。

 死刑廃止のための活動に関わっておられる福岡県弁内の会員の方々に、まずは心より敬意を表します。
日本の世論においては決して廃止意見が多数とはいえない中、地道な活動を続けておられることを尊敬申し上げております。
 しかしながら、私は、犯罪被害者支援に関する委員会の委員長(前々任)を務めていたことがあり、犯罪被害者支援の観点から、今回の死刑廃止決議を福岡県弁護士会会員の多数決で行うことにつきましては、以下のとおり、問題があると考えております。
 (1) 本件は、価値観の問題であるのに、総会決議においては会員の多数決で採択され、死刑廃止ではない価値観・意見を持つ会員の意見が捨象されてしまう。
(2) 例えば、犯罪被害者支援業務においては、被害者参加弁護士が被害者やそのご遺族(依頼者)の要望を受けて死刑求刑をしなければならない事案が存在するが、死刑廃止決議はこのような被害者支援業務を阻害する。
(3) 【参考資料】「あすの会」弁護士岡村勲先生の、死刑存続を法務省で述べた意見は次のとおり。
 決議中に、このような意見に対応する説得的な回答は見受けられない。
http://www.moj.go.jp/keiji1/keiji02_00008.html

 私の目からは、県弁執行部から決議賛成の方向の意見だけが発信されていると感じました。
 なお、本決議案を臨時総会で審議することについての、常議員会での採決の結果は、議決権数24中、賛成14、反対6、棄権4でした。実質的に見れば14:10であり、それなりに僅差であったとの評価もできます。
 会員の価値観及び業務に関わる重大な問題として、臨時総会で十分議論されて良いと考えます。
 ちなみに、臨時総会における十分な議論の前提として、会場に参集できる人数を調べてみました。
 福岡県弁会館2階大ホールの最大収容人数は講義式で270名です。しかし、コロナ下でソーシャルディスタンスを確保するため定員の40%以下しか収容できないルールが現在適用されています。
そうしますと、現実に総会に出席可能な人数は110人以下となります。これでは、2020年4月1日時点総会員数1371人を数える当会福岡県弁護士会において、議論のための基本的リソースが整っていないのではないかと考えます。
 

 死刑廃止決議に賛成のお立場の会員のご説明(2020/9/1zoom意見交換会)によれば、決議案は価値観対立ではない視点に基づくのだそうです。すなわち、私の誤解でなければ、次のようなご説明でした。

「国際人権という国際法の基準に基づいているので価値観の問題ではない」、

「弁護士法1条によれば弁護士の使命は基本的人権の擁護であるから、弁護士会が人権問題について意思表明をすることは問題ないしむしろ求められている」、

「弁護士法1条の使命を果たすために、弁護士会は人権擁護の解釈について個々の会員の解釈に任せるわけにはいかない。国際人権法の解釈に基づいてそれに従って行動しなければならない。」、

「強制加入団体としての性格については最高裁判例1992/12/21が出ているので、多数決で決議しても問題ない」と。

  このようなご説明を受け、ご説明者の意図はさておきまして、私にとっては、被害者参加弁護士が職務上死刑求刑を行うことが、まるで人権侵害をしていると言われているように受け止められ、大変悲しく思いました。このように、会員の価値観が先鋭に対立する重大な問題を、臨時総会の多数決で決することには全く反対です。
 上記のような私の受け止めは、間違っているとのご指摘を受けるかもしれません。

 死刑廃止のご意見の方々は、「被害者参加弁護士の活動が人権侵害であるとは全く考えてはいない、被害者支援は充実させなければならない重要な問題である」とおっしゃいます。

 しかし、弁護士会は強制加入団体であり、弁護士が被害者やご遺族に寄り添いながら懸命に死刑求刑をするかたわら、その所属する単位会が「死刑は人権侵害である」と高らかに宣言することは、果たしてどういう意味を持つのでしょうか。
 私は、決議案を読んでも、この点が全く理解できずにおります。
  2018/9/18福岡県弁の臨時総会に上程される死刑廃止に向ける決議案を読みますと、同8頁に「5 被害者遺族への支援」とあります。
その項目の末尾には、「したがって,当会(福岡県弁)は,人権擁護と社会正義の実現という使命に基づき,死刑制度の廃止を含む刑罰制度の改革を求めるとともに,被害者遺族に対する支援に取り組んで行く決意を表明する。」と書かれています。

 これでは、様々な犯罪被害のうち、死亡事案の被害者「遺族」に限っての支援を決意する、という意味に読めます。

当会(福岡県弁)は、被害者が命を落とさなければ、支援をしないのでしょうか、そうではないはずです。

犯罪被害者等基本法2条2項には、「この法律において、『犯罪被害者等』とは、犯罪等により害を被った者及びその家族又は遺族をいう。」と定められています。  https://www.npa.go.jp/hanzaihigai/kihon/hou.html

 本決議案からは、遺族ではない「犯罪被害者等」に対する支援について、当会(福岡県弁)がどう考えているのかを、私には読み取ることができませんでした。本決議案が被害者支援についての十分な理解に立って起案されたものかどうか、改めて再考を求めたく存じます。

問題提起1:刑事弁護人の有資格者集団だから?
 決議案「はじめに」のところで,死刑制度の廃止等を当会(福岡県弁)が求める理由として「弁護士会が人権擁護団体であり刑事弁護人の資格者集団であることに鑑み」としています。

 しかし,弁護士会は刑事弁護人の資格者集団であるとともに被害者参加代理人の資格者集団ですよね。弁護士会の性格付けをするのに,刑事弁護人の資格者集団であることのみを挙げるのは,一方的ではないでしょうか。

 被害者・遺族がこの表現を見たとき,「弁護士会は被疑者・被告人を支援する人たちであって,自分たちを支援してくれる資格者集団ではないんだね。」と打ち棄てられたような思いを持つでしょうね。それに,死刑求刑を求める被害者遺族からすれば,死刑廃止を決議している弁護士会の会員に被害者参加代理人を依頼することに,大きなジレンマを抱えさせますね。決議しなければ遺族をそのような立場に追い込まずに済むのでは。
 ※この「はじめに」の部分は2020/9/18臨時総会で審議予定の決議案では削除されています。

 しかし、現在の決議案においても、「当会(福岡県弁)は、基本的人権の擁護と社会正義の実現という使命を担う弁護士(弁護士法1条)によって構成される法律家団体の立場において」と記載されています。
 被害者参加代理人の資格者集団でもある弁護士会が、人権擁護と社会正義実現のための法律家団体として 死刑廃止の決議をするのであれば、 被害者・遺族がこの表現を見たときに、 やはり、従前案同様、上記1のような思いを持つものと思います。

問題提起2:臨時総会決議のための資料の偏り
 決議案が福岡県弁会員に公開され,資料もたくさんいただきました。でも,資料の中に,死刑存置論の根拠となる資料はなく,死刑廃止論のための資料ばかりのように見えました。
 こうした資料の著しい偏りがあって,本当に議論が十分にできるのでしょうか。死刑存置論者がどういう資料に基づいて論を展開しているのか,それは会員が各自で情報収集せよということでしょうか。これだけ価値判断の分かれる大きな問題で,反対説に関する一切の資料もなしで議論を進めるというやり方に驚いています。

問題提起3:一般意見36の引用は正しいのか?
 決議案は,自由権規約第6条の解釈指針である一般意見36を大きな支えとしています。

でも,その引用がずいぶんと恣意的ではないでしょうか。

 決議案では,「死刑は,刑事裁判手続きを経て科されるところ,その手続きが人間によって運用されることの限界から,恣意性が入り込む危険性を排除することができない。そこ(・・)で(・),・・・自由権規約委員会は,・・・一般意見36・・・を公表し,・・・ことを明らかにし・・・ことを確認した。」としています。

 しかし,一般意見36は,「第6条1項は,生命の剥奪は恣意的であってはならないことを要求することで,恣意的ではない生命の剥奪があることも認めている」としており(一般意見36Ⅱ16),「第二選択議定書を批准していない諸国は,もっとも深刻な犯罪に関して下記の第Ⅳ部に詳しく述べられている厳格な諸条件に従ってのみ,非恣意的方法で死刑を適用することが可能となる。」(一般意見36Ⅱ16)とも書いており,恣意的ではない方法で死刑を適用しうる場面が存在することを前提としています。

 ところが,決議案でそうした点は触れず,いただいた資料8(自由権規約委員会一般意見)の中にもこの第Ⅳ部は全く引用されていませんでした。

 この第Ⅳ部では,たとえば,「経済事件や著作権侵害等に対する死刑は正当化されない。」(一般意見36Ⅳ39)「不倫や同性愛,背教などに対する死刑は正当化されない。」(一般意見36Ⅳ40)

「民族,人種,宗教団体の人たちに対する集団殺害政策の一環としての死刑や正当化されない。」(一般意見36Ⅳ42)「犯罪が行われた時点で,そのための法律がなければ死刑を科すことができない。」(一般意見36Ⅳ43)「漠然と定義された刑事規定に基づいて死刑を科すことはできない。」(一般意見36Ⅳ43)「18歳未満の者が行った犯罪について,及び妊娠中の女子について死刑を適用してはいけない。」(一般意見36Ⅳ52)などと死刑についての条件を適示し,「死刑は権限のある裁判所が言い渡した確定判決によってのみ執行することができる。」(一般意見36Ⅳ49)

としています。

 この一般意見でいう「恣意的」という言葉は,決議案がいうような「手続きが人間によって運用されることの限界から,恣意性が入り込む危険性を完全に排除することはできない」という文脈とは異なるものです。
 資料8には,「(未公開)」と書かれており,一般意見の内容を知ることはできないと諦めていましたが,たまたま見つけた一般意見では上記のような第Ⅳ部の記載があったのです。このように隠されていた第Ⅳ部を見ると,一般意見が裁判手続きに限界が内在することを契機に公表されたようには,到底読めません。その意味で,決議の柱となる一般意見の引用の仕方が誤っているように思われます。

問題提起4:誤判えん罪と自由権規約
  自由権規約第6条1項「何人も恣意的にその生命を奪われない」という条項を引用しています。

ここでも一般意見36を見てみましょう。
 「恣意的」とは,不適切,不公平,予見可能性の欠如及び適正手続きの欠如などの要素,同じく妥当性,必然性,均衡の要素など,さらにより広い意味で解釈しなければならないとされています(一般意見36Ⅱ18)

また,合理的な疑いの有無で裁判が判断されることは,自由権規約委員会も当然に認めています(一般意見36Ⅳ47)。

 このように合理的な疑いの有無で判断する裁判制度は,必然的に,誤判の余地を完全には否定しきれないものですが,自由権規約委員会は恣意的な生命権侵害とならないための一要素として,そうした裁判制度による判断を尊重しているのです。

 また,決議案では,死刑と無期懲役の量刑判断の不安定さからの問題提起もされています。

しかし,自由権規約委員会は,むしろ絶対的死刑といったものを恣意的なものと断じており(一般意見36Ⅳ41),死刑の適用における司法の裁量を重視しています。

 自由権規約は,裁判による人権侵害抑止を考えているのであり,本項目で自由権規約を引用するのは適切ではないでしょう。

  私の深く敬愛する故・橋本千尋弁護士は、2013年度の福岡県弁護士会会長でいらっしゃいました。

その橋本弁護士は、2013年11月の会報誌「月報」に、会長声明の意味について次のように書かれていました。(福岡県弁護士会HP会長日記)  https://www.fben.jp/kaichou/20131101.html

 

■弁護士の使命に基づく組織としての意見表明

 弁護士会の会長は、何故、そんなに声明などを出したがるのか、不思議に思われるかもしれません。

言うまでもないことですが会長個人としておこなっているのではなく、弁護士会としての組織的な活動のうちの一つです。

弁護士は、「基本的人権の擁護と社会正義の実現」を使命としていますので(弁護士法1条)、このような使命を持つ者の集団として、これらの使命を果たすために組織として社会に向けて意見を表明しているのです。

■強制加入団体としての制約

 ところで、弁護士法は、弁護士として仕事をしようと思ったら、必ず弁護士会に登録しなければならないと定めています。弁護士と言えども十人十色で、 考え方はいろいろです。ですから、社会的な問題についても、全ての弁護士が同じような考えを持つとは限りません。むしろ、考え方や意見は一人ひとり違うと言った方が正確なのかもしれません。

 そこで、組織としての意見表明をするためには、このような様々な考え方や意見を持つ弁護士が、多少の違いはあっても大筋で一致するという内容の意見表明でなくてはなりません。

■会長声明の意味するもの

 では、一致できるものは何かというと、ここでも「基本的人権と社会正義の実現」という弁護士の使命なのです。つまり、多くの弁護士が、基本的人権が侵害されようとしているとか、社会正義が揺らいでいると考えたときに、代表である会長の名義で社会に向けて意見表明をするのが会長声明だと言うことになります。
  多くの弁護士が一致できる内容かどうかを確認するため、会長声明は、弁護士会の議会である常議員会の承認を得てはじめて公表できることになっています。

このように考えると、会長声明が多く出るということは、社会があまり良くない方向に向かっている ということになります。会長声明など出さなくても良い社会になって欲しいと念願する次第です。」
 (月報からの引用終わり)

上記のことは、同じく組織的意見表明である総会決議であっても同様に当てはまるものと思います。

 その上で、今般の2020/9/18死刑廃止臨時総会決議案は、「様々な考え方や意見を持つ弁護士が、多少の違いはあっても大筋で一致するという内容の意見表明」なのかどうか、私は疑問を持っています。

 話は変わりますが、劇作家・演出家の平田オリザさんは、その著書『わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か』(講談社現代新書、2012年)において、こう述べます。

「心からわかりあえることを前提とし、最終目標としてコミュニケーションというものを考えるのか、『いやいや人間はわかりあえない。でもわかりあえない人間同士が、どうにかして共有できる部分を見つけて、それを広げていくことならできるかもしれない』と考えるのか。」と。

 そしてそれは後者ではないか、と平田さんはいいます。有名な詩にいう「みんなちがってみんないい」ではなく、「みんなちがって、たいへんだ。その大変さから目を背けてはならない。」と。

  私は、「総会決議」という形式は、どうしても、一つの考え方を固定化してしまうと思います。また、その内容が、社会に広く伝わっていきます。

  私は、【現在の決議案であれば被害者支援をする弁護士の業務を阻害し、また、死刑制度に関する会員の思想良心の自由を侵害するので総会決議をすべきではない】という、議案提案者とは異なる価値観を持っています。会員の皆様におかれましては、どうか、異なる価値観とも、どうにかして共有できる部分を見つけて、それを広げていただけないでしょうか。

  私は、2003年に弁護士登録して以来、自由闊達な議論のできる福岡県弁護士会と信じてこれまで所属して参りました。どうか、異なる意見へのご海容と、総会決議においては橋本元会長の仰る「弁護士の使命に照らし、多くの弁護士が一致できる内容」を目指していただけますことを、心よりお願い申し上げる次第です。