エイドリアンブリューをフランクザッパからデヴィッドボウイが引き抜いたいざこざ | 福岡の弁護士|菅藤浩三のブログ

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元ネタはエイドリアンブリューのブログ記事''神々のぎこちない対面 part1''です。

http://elephant-blog.blogspot.com/2007/05/anecdote-646-part-1.html

ザッパが繰り返しファックユーキャプテントムと言ってるのはメイジャートムの勘違いかと。メイジャートムて誰かって?そりゃロック好きならご存じでしょ誰かって。
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場所:1978年2月14日、ドイツ、ケルン。フランク・ザッパのコンサート会場
 フランク・ザッパ・バンドのメンバーとして、 僕にとっては初めてのヨーロッパツアーに行ったときのことだ。
 そのときは知らなかったけど、ブライアン・イーノがその夜の公演を見に来ていたらしい。 そして、デヴィッド・ボウイが新しいギタリストを探しているのを知っていたイーノが、 次の日にデヴィッドに電話したんだ。

 1978年2月15日、ドイツ、ベルリン。次の日の夜、デヴィッドが表向きは僕のプレイを見るって名目でショーに来た。 ショーの途中にはいつも、フランクが長めのギターソロを弾いているあいだに 僕がちょっとステージを離れる箇所があるんだ。 裏にいるとき、モニターボードをチラッと見上げてみた。
 デヴィッド・ボウイとイギー・ポップがいるのが見えてビックリだよ!
 歩いていって、デヴィッドに握手しながら「ずっと前からあなたの音楽が大好きです」って挨拶したんだ。 「それはいい」って彼はいった。

 「僕のバンドに入るってのはどう?」だって。
「でも、今は彼と一緒にやってるんで……」ってフランクを指さしながら口ごもっちゃったね。
「まあそうだけど、君らのツアーは2週間後に終わりで、僕らのツアーが2週間後に始まるかたちなんだよ」。 僕らはショーのあとホテルに戻ってからもう一度会う約束をした。
 そのあとに起こったことはスパイ映画か何かでありそうな話だ。 


 デヴィッドと彼のアシスタントのココは、このちょっとした「秘密」を 誰にも知られることなく僕と会おうとしたんだよ。 バンドから僕が引き抜かれるってのをフランクに感づかれたくなかったってことなんだろうね。
 
そんなことにも気付かないくらい当時の僕は間抜けだった。 回りに誰もいないのを見計らって、デヴィッドとココと僕はホテルのエレベーターに乗り込んだ。 囁くようにココがこういった。「正面に車を待たせてあるの。10分後にそこで会いましょう」。
 デヴィッドは自分のお気に入りのレストランに僕を連れて行って、 僕の将来について話し合いたいってことだった。 あのころ彼は何年かベルリンで暮らしていたんだったね。 

 それで、あの歌をやろうとかどこへ行こうとか、 そんな話で盛り上がる僕らを後ろの座席に乗せて運転手が車を出した。 すてきなレストランの前について、僕らは中へ入っていったんだけどさ。 正面のテーブルにフランクとバンドの何人かがいたんだよ! 
 
 
いわゆる一巻の終わりってやつだ。 ちょっと想像してみてよ? ベルリンにレストランがいくつあると思う? しょうがないから彼らのテーブルに加えてもらえるように、こっちから挨拶に行ったよ。 けっこう居心地悪かっただろうに、デヴィッドは頑張ってフランクと友好的に話をしようとしてたなあ。 「本当に楽しいショーだったよ」ってデヴィッドが言ったんだけど、 フランクは「クソ喰らえだよ、キャプテン・トム」ってにべもなかった。
 「あのさあフランク、お互いもうちょっと大人になれるよな?」「クソ喰らえだよ、キャプテン・トム」 「いや、ちゃんと話そうよ」ってな感じで、デヴィッドがどう頑張っても、フランクは「クソ喰らえだよ、キャプテン・トム」しか返事しなかった。
 そんなわけで僕らはレストランを出たんだ。

 外でデヴィッドは「むしろ説明の手間が省けたってことでいいんじゃないかな?」って言ってたよ。 僕ら3人はそのあと本物の1920年代のキャバレーに行ったんだ。
 デヴィッドがそこのオーナーと知り合いで、楽しい一時を過ごさせてもらったなあ。 女の子たちのショーも見せてもらえたし、そのクラブのオーナーってのが 実はマレーネ・ディートリッヒなんだけど、終身メンバーズカードを僕にもくれたんだ。

 数日後、移動中のバスの後ろの方に座っているフランクに自分から近づいていった。 
 
ツアーが終わったらフランクは映画『Baby Snakes』の編集作業に入るつもりなのを僕は知っていて、 それはたぶん3、4ヵ月はかかる仕事だ。 そのあいだフランクに雇われたままボンヤリ待っているよりも、 デヴィッドのツアーに参加した方が自分によっては大きな意味があると思うと僕は説明した。
 彼はいつもの習慣通りのやり方で、手をのばして僕と握手しながら、 「幸運を祈ってるよ」って言ってくれた。