強制わいせつ罪は傾向犯ではないと解釈変更された | 福岡の弁護士|菅藤浩三のブログ

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 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20171129/k10011239811000.html

 最高判2017/11/29であるが、法律学を勉強している人以外にはなぜ法律家がこんな議論をしているのか、わかりにくいと思う。犯人に性的意図があろうがなかろうが、等しく強制わいせつ罪で処罰すべきではないかというのが市民感情だろう。
 刑法176条は「13歳以上の者に暴行脅迫を用いてわいせつ行為をした場合には6か月以上10年以下の懲役。13歳未満の者にわいせつ行為をした場合も同罪」と定めている。
 しかし、字面と違って、たとえわいせつ行為をした場合であっても、その際に【犯人の性欲を刺激興奮させ満足させるという性的意図をともなっていなければ強制わいせつ罪は成立しないと50年近く解釈されてきた(最高判1970/1/29判タ244号230頁)。
 上記最高判1970/1/29の事例では、専ら報復するため侮辱させるという目的のうえで、女性を裸にさせて立っているところを写真撮影したと弁解する被告人に対し、本当に被告人の弁解のとおりであれば性欲を刺激興奮させ満足させるという性的意図はなかったことになるので、強制わいせつ罪は成立しないから、本当に被告人の弁解とおりか高裁で審理し直せと破棄差戻したのである。
 とはいえ、上記最高判1970/1/29の際にも、刑法176条の成立には【】のような性的意図は不要という反対意見を出した裁判官も2名いた。
 反対意見を出した裁判官2名は「刑法176条が親告罪とされて訴追に被害者の意思を尊重する所以は、性的自由が各個人にとって重要なプライバシーだからである。すると、この条文の解釈にあたっては個人の性的自由が十分保護できるようにもともと配慮しなければならない。そうであるならば、加害者の性的意図の存否によって被害者保護が左右されるべきではない」という考えを出したのだが、その当時は5名の裁判体での多数意見を形成するに至らなかった。
 ちなみに、反対意見を出した裁判官2名は、偽造罪や営利誘拐罪と異なり、条文に目的の言葉が明記されていないのだから、性的意図を構成要件に組み込む必然性がないことを指摘しているのだが、刑法典に定める窃盗罪の成立において条文に明記のない不法領得の意思の存在を構成要件として要求することが通説判例であることでもわかるとおり、条文に明記がないという言葉は決定的反論にはならない。
 推測だが、当時の多数意見が強制わいせつ罪の成立に性的意図を要求した理由は、性的意図を欠く場面でなお適用される刑法223条の強要罪(3年以下の懲役)と刑法176条との量刑差の根拠として、犯人の内心の差、すなわち強制わいせつ罪ではわいせつ行為が犯人の主観的傾向の表現として発現した傾向犯だから、傾向犯ではない強要罪よりも重い量刑が設けられているのだという点に根拠を置いたのではないだろうか。
 ものの本には、わいせつ目的のない医師の診療行為を非犯罪化するため強制わいせつ罪を傾向犯としたという説明も見受けられるが、そういうケースは正当業務行為で適法になるのだからそうではなかろう。
 とはいえ、被害者の性的自由を侵害する強要(一般にはわいせつ行為にあたるだろう)が行われた場面では、強制わいせつ罪と強要罪が観念的競合となる、強要罪はもともと性的自由を侵害するケースを予定せずに軽い量刑を定めていたにすぎないと説明すれば足り、量刑の差を両罪の適用範囲を区分するという発想に持ち込むことに必然性はないと思う。
 本日の最高判は、性的自由の侵害に対する社会の変化を理由に従前の解釈を変更したもので、結論には異論ないが、50年近く前の反対意見の方がはるかに説得力が強いように感じたのである。

 ちなみに、裁判官の1人である山口厚もと東大教授は、かねてから傾向犯を否定する結果無価値論者であるが、補足意見や意見がないのは少し不思議に感じた。学者が最高裁判事を務める意味が薄まってる
   

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