市民裁判員の量刑感覚を裁判所は本音では邪魔くさがってるようだ | 福岡の弁護士|菅藤浩三のブログ

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015020502000144.html
 最高裁が自ら量刑を決定したわけでないが、裁判員が関与した一審死刑判決が、裁判官だけの二審で無期懲役にひっくり返されて、それを最高裁が2件とも支持したというわけで、最高裁はかつての先例にとらわれず裁判員が関与して決定された量刑よりも、かつての先例に沿って裁判官だけで決定された量刑に軍配をあげたのだ。
 時ならず、三鷹ストーカー事件 について、裁判員が裁判官と一緒に下した一審22年懲役が実質的に死者の名誉棄損罪も情状酌量を越えて科刑した疑いが高いと、2015/2/6東京高裁は東京地裁への差戻判決(再び裁判員が新たに選ばれる)を出している。
 高裁裁判官は法の素人が関与して定まった量刑をまるっきし信用していない様子だ

 最高裁2015/2/3 多数意見は、裁判員を関与させての量刑判断に関して、死刑の場合を例に【】のような枠を課した。
 ただその書きぶりはとうてい死刑に限定されるものではなく、裁判員が入ろうともまるで裁判官のみが関与してつくりあげた過去の先例を重視しろといわんがばかりだ。
 だったら裁判員は何のためにくそ忙しいのに強制的に刑事裁判に参加させられているのだ?
 職業裁判官の本音は裁判員の量刑感覚はプロの相場を崩すので邪魔くさいというところにしか読めないのだな、私には

 【死刑が究極の刑罰であり、その適用は慎重に行われなければならないという観点及び公平性の確保の観点からすると、同様の観点で慎重な検討を行った結果である裁判例の集積から死刑の選択上考慮されるべき要素及び各要素に与えられた重みの程度根拠を検討しておくこと、また、評議に際しては、その検討結果を裁判体の共通認識としそれを出発点として議論することが不可欠である。
 このことは、裁判官のみで構成される合議体によって構成される裁判であろうと、裁判員の参加する合議体によって行われる裁判であろうと、変わるものではない
 
 さて、私のツッコミについて、千葉勝美裁判長は彼なりの答えを補足意見で用意していた。

《裁判員裁判は刑事裁判に国民の良識を反映させるという趣旨で導入されたはずであるのに、それが控訴審の職業裁判官の判断のみによって変更されるのであれば、裁判員裁判導入の意味がないのではないかとの批判もありうるところである》

《裁判員法の制定にあたり、上訴制度については、事実認定についても量刑についても、従来の制度に全く変更は加えられておらず、、、立法者は裁判員が参加した裁判であっても、それを常に正当で誤りがないものとすることはせず、事実誤認や量刑不当があれば、職業裁判官のみで構成される上訴審においてこれを破棄することを認めるという制度を選択したのである。》
→刑事裁判の立法構造が官尊民卑を是認しているということね

 
過去の裁判例を墨守しなければ高裁で過去の裁判例に忠実な職業裁判官に破棄されるおそれがあることを伝えたうえで、市民裁判員に一審判決に関与させないといけないとか、参加させる意味が激減だし、制度設計が綻びまくってんじゃないの。
 職業裁判官の量刑感覚と市民裁判員のそれがどうにもこうにも差があって埋められないんだろうけど、市民裁判員の一生懸命の判断がこうやって職業裁判官に否定されることもあるし、裁判所にはそもそもノーメリットだし、被告人側のメリットって保釈が以前よりとおりやすくなったくらい(そもそも刑訴法の精神を無視しまくった有罪推定の運用をしていたからなんだが)。だーれにもメリットらしいものがみえない。
 忙しいなか、こんな市民を軽視している立法下で運用されている裁判員の呼出なんかに、みんな応じる必要ないよ
と強く呼びかけたいね。
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