理詰めの取調をやってはマズイのだろうか | 福岡の弁護士|菅藤浩三のブログ

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 理詰めによる説得はどちらかといえば西洋的手法である。英語のtheoreticalといういかめしい表現からも、そこはかとなく東洋的空気とは違う印象を受ける。
 
 三段論法だって古典的な理詰めによる説得の方法に含まれるし、反対尋問・最終準備書面、ちょいちょい弁護士が理詰めによる説得を試みる。

 なんで弁護士と同様、事実を探究することを目的とする捜査機関が、理詰めの取調をしたこと非難されるのだろうと思ったからだ
http://gigazine.net/news/20121214-iesys-kanagawa/
《自分でやってないことを証明してみろ。無罪を証明してみろ
⇒これは無罪推定の原則を無視した暴論であり論外なのだけどむっ


《お母さんが3時のおやつにチョコレートケーキを用意したたけのこのさと。誰かがつまみ食いをした。お母さん誰がつまみ食いをしたのか子供に聞いた。
子供は口の周りにチョコレートをつけたまま、僕じゃないと答えた。
お母さんはそれを見て、誰がつまみ食いしたかわかるよと言った。

 もちろん、本件で冤罪を作りかけたという点が非難されているのは明らかである。ただ情況証拠を組み立てて理詰めの取調を行うこと自体がそもそも許容されない手法と評価すべきかどうかは別次元である

 
 改憲草案がかまびすしいが、憲法38条2項では《強制・拷問・脅迫・不当に長い抑留拘禁》された後の自白+刑事訴訟法319条1項では《その他任意にされたものでない疑いのある》自白の証拠能力を否定する。
 
 自白排除法則を採用した理由として①~③があげられている。
これらの自白は内容がうそのおそれがあるとする虚偽排除説
←内容が真実と合致する場面でもなお脅迫等があったから排除すべきという理由づけにはならないとの批判

脅迫等を経ての自白は無意味という制度を設けることで、黙秘権を中心とする被疑者の人権を保障するためとする人権擁護説
被疑者の自由な判断を奪う程度に至っていない強要などが講じられた場合には、逆に任意にされた自白ではないとまではいえないと証拠採用されかねず人権擁護としては中途半端との批判

③自白採取過程における適正手続を担保するための1手段とする違法排除説(私もこの説を中心に置くべきと考えています)
⇒被疑者の心理状態に着目する全2説と異なり、聴取する捜査機関側の態度に着目し、違法収集証拠排除法則の自白版と位置づける。

 
 
  ①~③のどれを中核に置くかは、どういうやり方で獲得された自白は、任意性に疑いがあり、証拠排除されるべき自白にあたるのか」という基準定立に関連してくる。

  例えば自白したら起訴猶予でとどめると利益誘導を行ったり発見されていない証拠を発見されたかのようにウソの事実を告げ(偽計といいます)、獲得した自白には任意性はないとされて

 ようやくタイトルに戻ったけれども、理詰めを講じての自白獲得という手法は、前記の手法に比べ、被疑者の知的能力や精神状態とも関連するのだろうが、一般に任意性に疑いを及ぼすものかと問われれば、そこまでではない=一般に使用を禁止されるものではない、という気がしたので、つい1法律家として言及したくなったのである。

 そうそう、最後に一言。理詰めのやり取りは人間関係を破壊するおそれが高いので、親しい人間同士ではくれぐれも取扱ご用心あれ。
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