#660 【マニアな一基】 東電PG山村ガラス線/足次線 ~休止の水路跨ぎ鉄塔~ | 関東土木保安協会

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関東土木保安協会です。
群馬県は館林市。
渡良瀬川の南に館林北部工業団地があります。
ここにも跨ぎ鉄塔があるようなので、来てみました。
工業団地だけに、工場向けの送電線でした。
 
▲山村ガラス線1号(1971/12,29m)
 
この送電線は山村ガラス線といいます。
66kV2回線、支持物総数全2基の工場向け送電線です。
当時存在した山村硝子株式会社の群馬工場へ供給するために建設されました。
 
▲ 水路上をトレースする送電線
 
写真のように、2基とも用水路を跨いだ水路跨ぎ鉄塔になります。
水路は、農水省の補助で群馬県が行った排水対策事業のもののようで、伊谷田用水路というようです。
近くの工業団地の道路にかかる蓮河原橋が1972/2に完成しているので、そのころできた水路なのでしょう。
工場もあちこちに完成し始め、電力需要の伸びと共に鉄塔のルート選定に気を遣い始めたであろう1970年代、水路が近くにできるとあってはその上を通す他ないとの結論だったのでしょうか。
 
▲ 足元もごく一般的な外観
 
鉄塔は4脚が独立したよく目にする四角鉄塔です。
基礎は、水路のカルバートを左右で跨ぐようになっていて、地上部を見る限り、水平材の補強やラーメン基礎のようにはなっていません。
鉄塔建設を前提とした水路と道路の設計だったようにも見えます。
 
▲ カルバートを跨ぐように水路両脇に基礎を埋設
 
こちらは角度鉄塔の同2号になります。
見てわかる通り、ジャンパが切られこの鉄塔で電線が終わってしまっています。
山村硝子群馬工場は既に操業を停止し、今はのモーリン化学工業の群馬工場として使用されています。
その際、特高契約ではなく高圧契約に切り替えたのでしょう。
山村ガラス線は、現在休止設備として残っているのです。
 
▲山村ガラス線2号(1974/10,26m)

支持碍子だけは残っていますが、碍子の2次側以降はスパッと電線が取り払われています。
山村硝子群馬工場が1975年操業開始、モーリン化学工業が群馬工場の用地取得を行ったのが2007年とあるので、30年くらいは現役で活躍した鉄塔のようです。
 
▲支持碍子だけが残る寂しい姿
 
鉄塔の先には変電所跡がありました。
色褪せていますが、完成当時の航空写真を見るとピカピカに光るグレーの屋根が確認できました。
6か所の開口部が確認できます。
ここに1回線3相ずつ、計6本のブッシングが設置されていたものと思われます。
 
▲変電所跡。6個の開口塞ぎ板がわかる
 
1号鉄塔でもそうでしたが、用水路脇のガードレールには鉄塔点検用の開口部がしっかりと設けられていました。
安全かつ容易に鉄塔の点検ができるように。道路所有者や水路所有者からの配慮がされています。
先が水路なのに、わざわざガードレールを越えて作業員の出入りを行ったり、資材機材を搬入したりはよろしくないですもんね。
 
▲水路沿いのフェンスには点検用開閉部が
 
山村ガラス線の送電線を辿っていくと、別の工場へ分岐する送電線から続いていることが分かります。
これが足次線です。
企業名でなく地域名なのが需要家専用線っぽくない送電線名ですね。企業名変更に対応できるような配慮なのでしょうか。
足次線は支持物4基で、旧カルピス群馬工場、現アサヒ飲料の群馬工場へ供給しています。
 
▲山村ガラス線は足次線から繋がっていた
 
足次線は3号が同じく水路跨ぎ、4号が水路から外れ工場敷地内の引き下ろし鉄塔となります。
3号鉄塔も水路上の地の利を生かしたいためか、段違い分岐をせずに腕金を側方に張り出す形で手前1回線を分岐させています。
この箇所で山村ガラス線へのジャンパが切られており、足次線のみ現用線というのが確認できました。
 
▲足次線3,4号(札未確認)
 
足次線2号は東武佐野線の線路を跨ぐため、少し高い鉄塔です。
こちらは一応水路から外れるため、しっかり水路跨ぎ鉄塔なのは3号以降の鉄塔3基のみのようです。
カルピスの群馬工場は、1972年5月に操業開始したとの事で、鉄塔は1971年に完成していることから、この送電線もその直前に竣工したのというのがわかります。
東武佐野線と言っても、この線路がかなりの本数で、現在は列車の解体も行っている北舘林と呼ばれる場所になります。
以前はカルピスの工場用に貨物輸送を行っていたようで、鉄道隣接工場の地の利を生かした輸送が行われていました。
時代は変わり、トラック輸送主体となった現在では、ここが鉄道車両の解体場待ち車両の墓場になっています。
 
▲足次線2号(1971/12,36m)
 
ここで、わかる範囲で鉄塔建設年度を札から読み取ったのですが、何かおかしいと思いませんか?まとめてみます。

・足次線2:1971/12
・足次線3:未確認だが工場操業から1971/12?
・足次線4:当時と異なるため恐らく建て替え?
 ~カルピス群馬工場操業:1972/5~
・山村ガラス線1:1971/12
・山村ガラス線2:1974/10
 ~山村硝子群馬工場操業:1975年~

工場建設と送電線建設が紐付いているのは理解できますが、山村ガラス線1号の竣工年月がどうにも解せません。
恐らく2号と同じはずなのですが、足次線と同じ1971年になっており、この懸垂鉄塔まで3年前に先に建てたということになり、少し考えにくいです。
また、山村ガラス線は文末リンクのあこうさんのホームページに、かつては現在の足次線が山村ガラス線で、カルピス工場向けの分岐がカルピス群馬線だったが改められたと記載があります。
これが事実とすると、始めに1971年にカルピス群馬線ができ、後の1974年に山村ガラス線が増やされ、今の足次線の4号以外が山村ガラス線となっていた事になります。

山村ガラス線1号の札がこちらです。
ブロックタイプの古いタイプで、平面な現代の物とは異なります。
 
▲山村ガラス線の札
 
これらから、山村硝子が特高契約を解消し、送電線が休止線となった段階で、山村ガラス線のカルピス群馬工場までを足次線と改称し、休止線部分を山村ガラス線としたような流れがわかります。
また、現在の山村ガラス1号の札は、今の足次線1号からの転用品ではないかと予想してしまいます。
当該の鉄塔は当時の山村ガラス線4号となりますが、少なくとも1974年以降の年月が記載されていないとどうにも解せません。
 
▲水路跨ぎ気味の足次線1号
 
 足次線1号の札を確認すればよかったものの、この際はそこまで確認できませんでした。
この鉄塔で謎を解くのはまたの機会としましょう。 

それにしても、工場の需要家線を紐解くのは企業への理解も深まり、面白いですね。
 
 

〈参考〉
・株式会社山村製壜所 : 会社案内 沿革 

 

・モーリン化学工業株式会社 : 会社沿革

 

・カルピス : 沿革

 

・送電線を追って : 館林線・多々良川線