#591 【マニアな一基】 東電PG成瀬線1~4号 ~宇宙人襲来!超異形美化鉄塔~ | 関東土木保安協会

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関東土木保安協会です。
 
東京都町田市は成瀬。
とても奇妙な形状の鉄塔達が立っています。
東京電力パワーグリッドの成瀬線です。
 
 
成瀬線は154kVの2回線送電線で、成瀬変電所までを10基で結ぶ比較的短い送電線です。
橋本線から丘の上で分岐され、三ツ又川沿いに南下し、恩田川に沿って東へ向かっていきます。
このうち、三ツ又川上に建てられた4基がかなり凝った形状になっています。
 
▲街中に現れる4基の珍しい鉄塔
 
こちらは3号鉄塔です。
足が4本ある美化鉄塔です。
川の上に建てるという条件から、モノポールは使えないため、鉄塔を選択したようです。
それにしても凄い形です。
目に入ったときから心の中では「エイリアン」と連呼してしまっています。
人形のように見えるのは脚が細くなっているからでしょう。
 
▲他に類を見ない造形
 
足は、基礎に向かうにつれて細くなります。
テーパーは緩やかに上部塔体に向かってカーブしていき、直線的な鋼材で仕上げながらも優しげな表情に仕上げています。
どちらかといえば少し古めかしい印象ですが、全て1980年4月の竣工です。
 
▲4基とも1980年4月のプレートを付けている
 
66kV級に比べると離隔も広く碍子連も長いため、近くで見ると大柄です。
鉄塔上部は架空地線2本を支持するため、角のようなデザインになっています。
埼玉でちらほら見る触角くんのような見た目ですが、あちらの角は円形断面だったはずでしたが、こちらは箱状ですこしガッチリと映ります。
 
▲コンパクトそうに見えて意外と大きい
 
鉄塔は特注の鋼材を依頼したのでしょう。
要所要所にハコを接合したような部分がみられます。
溶接で綺麗に接合されているようで、工事も大変だったのではないでしょうか。
小さい穴のついた突起は、クレーン等で吊る際に用いたものと思われます。
 
▲箱状の鋼材が綺麗に繋がっている
 
左右にあるのがガイドレールですが、こちらも独特の作りで、よく見る鉄塔とは違います。
途中に足場が設けられており、レールは足場のすこし上で直角になり、水平に進みます。

近寄ると独特の色合いがわかります。
塗装が鉄塔に書いてあったのですが、マンセル表記で「5G8/2」とありました。
試しにそれっぽい色を生み出してみると、この塔の通りかなりグレー寄りな緑でした。
このデザインで明るい配色であればまたイメージが違うでしょうが、この場所ではきっと正解です。
宅地で奇抜な色では浮きますが、暗すぎても柔らかさがなく角が立ちます。
これは成瀬変電所の最終的鉄構となる11号も同じ色で、同時に塗装工事がされています。
 
▲こちらも見たことがないレールの取り回しだ
 
三ツ又川と鉄塔基礎です。
こんな形で、逆台形のカルバートの上にコンクリートのプレートを敷き、収まっています。
元々川はあったようなので、そこに後から鉄塔を載せた形になるようです。
基礎はどこまで深く掘られているのでしょうか?
 
▲基礎がどうなっているか気になる
 
こちらは2号鉄塔です。
「タスケテ…タスケテ」なんて鉄塔の声が聞こえてきそうです。
蔦が伸びてきて、襲われ始めています。
川の上なので雑草処理もきれいにはしにくいかと思います。
このまま葉っぱに埋もれれば真の環境調和鉄塔になりそうですね。
…なんて、冗談で済まされないですね。
 
▲蔦に飲み込まれる鉄塔と敷地
 
同じく2号。鳥さんがおうちを作られていました。
4号にも同様の場所に確認ができました。
このスペースは鳥からすれば比較的広い空間で、底もメッシュで営巣しやすいのでしょう。
なんの鳥かはわかりませんが、作業員の方が昇られる際に、親鳥に襲われないか心配です。カラスなんかは恐いですからね。
そもそも作業員の方がこの場所へ踏み込み難くなってしまいます。
卵なんか産まれていた時には非常に面倒でしょう。
鳥獣保護的には撤去できなくなる筈で。。
 
▲2塔に営巣が見られた
 
こちらは成瀬線1号です。
丘の上にあるのが分岐元の橋本線です。
町田市は40万人を超す大きな街ですが、ちょうど横浜や川崎との境に位置します。
他の周辺市町村と同様、ベッドタウンとして宅地開発が進められたのは言うまでもなく、当時の記録でも1960年代には田畑が広がる丘陵地だったところが、1970年代に入ると造成と分譲が進み、区割りされた道路と並ぶ家々という新興住宅地の風景へと変貌していきます。
1979年には成瀬駅も開業し、この一帯の核となっていきます。
そして、鉄塔の記載通り、1980年に成瀬線のこのエイリアン達も建設されました。
 
▲整った丘陵地に建つ成瀬線
 
ここで少し長くなりますが、成瀬線の奇妙な部分があったのでブツブツ呟きながら調べてみました。
以下、私の考察を多分に含むので、あくまで個人の想像とお考え頂き、ご興味がある方だけお付き合いください。

成瀬線の鉄塔は、線路全体で1980年4月のプレートを付けているのですが、途中京浜線3,4号線と交差により併架される鉄塔があり、その鉄塔1034-1号は1978年5月のプレートを付けていました。
比して建て替えが少し早くないかな?と思い気になって、国土地理院の航空写真を覗いてみました。1979年10月の記録です。
すると、成瀬線の最終目的地である成瀬変電所は、既に完成していて、引き込みもされているような状況に見えます。
成瀬変電所は、町田下水処理場(現成瀬クリーンセンター)の敷地内に位置しています。
写真中央の区画が下水処理場で、ちょうど左上の恩田川沿いの施設が成瀬変電所になります。
成瀬変電所は、154kV/6.6kVの配電用変電所です。
 

▲国土地理院航空写真(1979/10/1撮影)
 
この立地、何やら見覚えがあるなと思ったら、川崎市中央卸売市場北部市場内に設置された、水沢変電所を思い出しました。
あちらも、大型の公共施設であって、新たに需要家になる施設の敷地内に建っています。想定される接続先として市場も含まれているでしょうし、敷地内で地中配線が敷設され接続もされていることでしょう。
町田下水処理場ではどうでしょうか。
町田市の資料を元に調べてみると、同処理場への下水道幹線の流入渠と着水井が、成瀬変電所の直下に位置していることがわかりました。
埋設物の直上に154kV級の配電用変電所を設置するとなれば、重量や基礎杭の関係から、当然地下空間との兼ね合いが考慮されると予想され、処理場の計画段階から成瀬変電所の設置と操業開始時のそこからの受電までが盛り込まれていたのではないかと推測できます。
以下、その前提で話を続けます。
 
 
町田下水処理場は、1977年10月1日より操業を開始しています。
それに間に合うように成瀬変電所から高圧受電を受け、少なくとも試験工程などの期間を加味すれば、その半年前くらいからは成瀬線が運開している必要があると考えられます。
仮にその日を1977年4月1日とすれば、この時点で成瀬線は完成していたのでは?となります。
そこで、その1979年時点での成瀬線にはエイリアン達も既にいるのかもしれないと、鉄塔を追いかけてみたところ、三ツ又川は今と変わらずあるものの、その上に建つエイリアンの1~4号はありませんでした。
変ですよね。
その代わり、もうひとつ変なところに気がついて、恩田川沿いは現在と変わらない鉄塔位置で並んでいるのですが、現5号鉄塔の若番寄りに現存しない鉄塔が2基確認できました。
下写真の3個のアイコンがそれで、上二つが成瀬線とみられる現存しない鉄塔です。
周囲に送電線はみられないようで、かつ成瀬線の現5号以降が完成している様子をみる限り、この送電線が成瀬変電所へ接続していると読み取れます。
これより北は不鮮明で確認できませんでした。
 
▲国土地理院航空写真(1979/10/1撮影)

推測を続けます。
ここまでの記録から、
・1979年10月の時点で、成瀬線の現5号~10号の場所には既に鉄塔が建っていた
・同じくその時点で、現5号より北の位置に成瀬線の一部と見られる現存しない鉄塔が数基確認できた
・成瀬変電所の運開と下水処理場の操業開始が紐付いていた場合、1977年頃には成瀬線が運開している
・1979年10月時点では、現1~4号の特殊鉄塔は存在していない
・分岐元の橋本線53号は1980年5月のプレートを付けているが、鉄塔自体は1979年の写真の時点でその前の鉄塔とは違う大きな鉄塔になっている
という状況で、一度整理します。

同時に、違和感を覚える箇所がいくつか出てきました。
・成瀬線全体で1980年4月のプレートを付けているが、仮定として1977年から建設されていた場合、既に建っていた鉄塔らは僅か3年程度で建て替えたのか?
 ・特に、現5号以降は立地も変わらず、線下、横方向の離隔も制約が無さそうで、建て替える理由がないのではないか?
・鉄塔竣工の日付は多少ずれるにせよ、京浜線1034-1号の1978年5月の日付の意味は?
・分岐元の橋本線53号が1980年5月に完成したのであれば、その前から運用していた成瀬線の分岐元はどこか?

過去の歴史から、数年で建て替えられた鉄塔はいくつも例があるかとは思いますが、その一つなのでしょうか。
 
▲美化鉄塔群と5号以降では建設時期が違うのだろうか

結果、残念ながら事実を掴めなかったのですが、このアンバランスなパーツ毎の答えが気持ち悪いので、ここまでの個人的な総括として、成瀬線の経緯を想定でまとめてみます。
 ・1977年10月、町田市下水処理場の操業が開始される。これに合わせる形で、成瀬変電所も当時より運開。
・成瀬変電所は154kVで、橋本線から受電。
・1979年、成瀬駅が開業し、引き続き区画整理、宅地開発が進行。
・成瀬、成瀬台地区の宅地開発により、新たに支障となってしまう現5号より前の区間の全てを除却、新設する計画が立てられる
・三ツ又川のカルバート上にこの美化鉄塔4基が1980年に完成し、ルートを切替えた
・切替により、(欠番や割り込みがあった場合)付番を再度行った。何らかの理由により鉄塔プレートの年月はこれに合わせることとした
という流れと推測します。

▲当初から京浜線を潜るために引き降ろし設計の10号
 
もう一案としては、当初は町田市下水処理場専用の変電所であった現成瀬変電所を、周辺需要の高まりに伴い後から配電変電所化したという変化球かなとも思いましたが、これは敷地も相当変わってしまうであろう点や、東電の資料では成瀬が154/6.6kVの変電所となっているため、ないかと思われます。
この場合なら、送電容量増加による電線張り替えなども想定され、鉄塔への改造が生じたのであれば、プレートの年月の話もあり得るかなと思ったのですが。

資料では、成瀬南土地区画整理組合は、成瀬駅の建設費用も全額出資しているなど、かなり一体の開発へ参画している様子が伺えます。
ひょっとしたらこの成瀬線も、鉄塔を折角建て替えるなら市街地への影響と視覚的デメリットを最小限に、などといった地域との折衝があったのかもしれません。
 
 
なんだか過去を漁れるだけ漁ってなにも結果がないという多数が無意味な話になってしまいました。。
恐らくは、何かのバイアスが働いたからできたであろう、この特殊な鉄塔。
全国でも唯一無二の存在になっているかと思います。
見方によっては海外のデザインに特化した鉄塔のような、エキゾチックな存在にも見えます。
その姿、鉄塔好きとしては末長く拝ませて頂きたいものです。 
 
 
〈参考〉

 

・町田市下水道局著 : 成瀬クリーンセンターパンフレット