関東土木保安協会

関東土木保安協会

Kanto Civil Engineering Safety Inspection Association

~ 土木の迫力 機械の技術 礎となった名も無き戦士達の魂 ~
関東土木保安協会は、鉄とコンクリートの美学と保全活動を追求します。

 

地震があると鉄塔が心配です。

関東土木保安協会です。

 

千葉県野田市。

東武野田線、、ではなかったですね失礼しました、東武アーバンパークラインに乗車中、東側の車窓に変わった鉄塔が見えました。

地図を見ると関東地方整備局江戸川河川事務所の文字。

国交省案件です。これは足を運ばずにはいられません。

さあ行ってみましょう。

 
 
東武アーバンパークラインの愛宕駅。
最近の複線化事業や沿線開発の流れか、綺麗になっている駅が多いように感じるアーバンパークライン。
この愛宕駅も立派な高架駅になっていました。
そのホームから東側を見ると、奥に紅白の立派な鉄塔が見えました。
にぎやかなマイクロ波アンテナ。
うーんジュテーム国交省。
 
▲愛宕駅から東側を見ると紅白の鉄塔が目立つ
 
国土交通省関東地方整備局。
首都東京とその周囲を囲む神奈川・埼玉・千葉の一都三県。
それら関東地方の繁栄に寄与した大きな河川らと共存共栄するため、利根川・荒川をはじめ、この江戸川にも河川事務所が設けられています。
 
▲国土交通省関東地方整備局江戸川河川事務所
 
電波塔を近くで拝んでみます。
アンテナ山盛りの電波塔。
鋼管柱の鉄塔に分類されるでしょうか。
昼間障害標識で7等分された一般的な色合いながら、塔先端が斜めにカットされた形状で、かつ下部には四方に円筒形の構造物が設けられ、塔本体と接続されまるでロケットのようです。
 
▲独特な形状の電波塔
 
国交省の2014年頃の無線ルートの資料を見るに、この電波塔も江戸川4方向の幹線ルートの中継局になっているため、そもそもアンテナが多い重要拠点なのですが、さらに江戸川系の各施設などとの連絡用にアンテナを有すのか、賑やかなアンテナ周りの様相です。
このご時世アンテナ山盛りで魅せてくれるのは国交省か防衛省しかありません。
うーんかっこいい。素晴らしい。
 
▲アンテナが盛り沢山
 
導波管は2つの建物から接続されていました。
これだけアンテナがあれば納得します。
 
▲導波管のケーブルラックが二方向から接続されている
 
実は、この鉄塔には何か由来があるのではないかということで、江戸川河川事務所の方に電話でお話を伺ったのですが、「20年位前からあります。珍しい形状なのですが由来はすぐにわかりません」ということで回答をいただき、結局何のルーツでこんな凝った形の特殊な電波塔を建設したかわかりませんでした。
通常でしたら、鋼管トラスの鉄塔を建てて終わっているでしょうから、何かこの鉄塔にした想いや設計者の思想などあると思うんですよね。
ランドマークですから、出さないと勿体ないですよ(笑)。
 
▲丸い窓と四方の筒型の構造物がロケットを連想させる
 
ただ、公式サイトでは「ムラサキに変身する赤い鉄塔」(文末リンク参照)としてこの電波塔の紹介をしていました。
野田市名産の醤油とかけて「ムラサキに変身」などと書かれているあたり洒落も利いていて素敵なエピソードなのですが、どうもこの斜めに切られた円筒とは関連が思い当たらず、ロケットの形状とも結びつかないため、本当の由来についてはよくわかりません。
夜の鉄塔までは拝めてないですが、鉄塔には塔体各所に照明器具が見られ、夜間のライトアップの様子も伺えました。
 
▲照明設備が設けられている
 
ところで「かれこれ20年位前からある」という旨の話を職員さんがされていたのですが、皆さんお察しの通り、実はこの鉄塔建て替えられたものらしいのです。
この鉄塔を建設した鉄塔メーカーのサイトにこの先代の鉄塔らしき紹介がされているのを見たことがあります。
(現在は掲載されているか不明)
それはアングル材を用いた尖った形の凝った鉄塔だったのですが、そのエピソードもこの鉄塔が特殊な形状で建設されている理由の一つの背景ではないか?とも思います。
ただ形が統一されていないので、何かのオマージュというよりかは、所長の趣味で凝ったものを、、といったところなのでしょうか(そんなもので鉄塔の形をがらっと変えることができるものか怪しいところですが)。
 
▲関東平野らしく周囲には何もなく目立っている
 
何だろうなこの形は、と疑問を抱きつつ帰路についていると、愛宕駅から河川事務所までの歩道にある野田中央商店街の街灯下部のデザインが、鉄塔の先端と似ていることに気づきました。
この形、よくよく見ると竹を斜めに割ったような、竹取物語でもイメージしているような形状で、もしやこれは竹を割った形なのだろうか?と思えてきました。
 
▲野田中央商店街の街灯と並ばせてみる
 
ふと道路脇の個人経営をされている店舗にその話をしたところ、「竹取物語などの縁があるかはわからないが、近くの愛宕神社にかぐや姫を描いたような彫刻がある」「昔愛宕神社のお祭りで竹を割ったところにろうそくを灯したものを出していたかもしれない」などといった話を聞くことができました。
真偽はさておき、愛宕神社に行ってみましたが、何も掴めぬまま駅へと戻りました。
わかる人によると社殿裏手の彫刻にそのようなものがあるようですが、神社として、また周辺の地域としてかぐや姫などを崇めたりアピールしている様子は確認できず、結局真相は闇の中となりました。
また、野田中央商店街や関連する組織にこの街灯のモチーフなどを伺ったのですが、由来などは何もわからないとの事でした。
残るは、市の図書館などで資料を漁るしかなさそうです。
 
▲街灯の下部の円筒を斜めに切ったデザインが鉄塔そっくりだが・・・

 

ロケットのような珍しい形状の鉄塔。

そして削ぎ落されたような斜めにカットされたロケットとは似つかぬ先端。

何が由来なのか。

他に類を見ない相当珍しい電波塔かと思います。

しかし、誰もその由来も何も知る人は見つかりませんでした。

 

現代では水防の要として注目されることも多くなった河川事務所ですから、ライトアップだけでなくその形自体をもう少し売り出してもいいのかなと思う鉄塔マニアが、最後大きなおせっかいで締めくくる、そんな記事でした。

どなたか、少しでも由来や理由などをご存じの方はコメントをお待ちしています。

 

 

 

 

<参考>
・国土交通省 関東地方整備局 江戸川河川事務所 : ムラサキに変身する赤い鉄塔

 

 

 

 

 

 

 

 
関東土木保安協会です。
ほぼ現地の写真を載せてるのですが、今回は珍しくスマートフォンの画面だけで1本まとまりました。
 
結構前に、SNSにて「山形空港の南側にある謎の高さ制限標識がある」というのを目にしました。
場所が下図なのですが、ちょうど指定した地点というアイコンがある場所になります。
ここ、最近書いていたブログ記事でふと気になったので追いかけてみたら、こういうことなんじゃないかと思ったので、備忘でまとめたというわけです。
 
以下、主要な画像はGoogleMapsの航空写真とストリートビュー機能から転載します。
 

▲山形空港周辺の航空写真。アイコンが当該箇所だ
 
この箇所の道路を南北から見てみます。
まず下写真が空港南側の道路、県道184号線なのですが、ちょうど滑走路の南を過ぎた辺りで標識が目に入ってきます。
「左折200m先高さ制限2.5m」という内容です。
 
▲山形県道184号線の標識
 
滑走路が見えるこんな草むらに高さ制限なんて、空港敷地を横切るアンダーパスでもあるのかな、とか思いますよね。
 
それでその左折箇所まで走ると、こんな感じです。
左右に並ぶ高さ制限2.5nの標識。多くは左側に1本ある程度ですから、左右に並んでいると結構本気感を受けますよね。
 

▲県道184号線の丁字路。高さ制限標識が並ぶ
 
右の標識にはこの先120mで2.5mの高さ制限と書いてあります。
ちょうど空港外周路のクランクの辺りになります。
といってもストリートビューですら何もないんですよね。
 

▲この先に2.5mの高さ制限があるという
 
少し走ったところがこちら。
右側に標識が1本現れます。
真面目に見てればこれで4本目の標識になります。
何としてもここに2.5mの高さ制限があると認識させたい、そんな道路なのですが、見たところ全く障害物も無いんです。
道路は地下にも高架にもいきません。
 

▲とどめの4本目の標識
 
さて何でだろうと思ったところで、今度は同じ空港外周路を北側から見てみます。
国道13号の山形空港前交差点から入る道路です。
こちらにも漏れなく「高さ制限2.5m」の標識がありました。
 

▲先ほどの道路の反対側にも高さ制限の標識がある
 
ここを進むとやはりもう1か所標識があり、クランク手前で「この先80mで規制あり」を主張してきます。
もちろん構造物などはありません。
 

▲空港外周路クランク部前後に何かある
 
これが山形空港南側の外周路に存在する謎の高さ制限なのですが、はじめは構造物もないので何の規制なのか想像もしませんでした。
ところが、先日から自衛隊の入間基地や下総基地の飛行場周辺の送電鉄塔の記事を書いていて、制限表面の話を思い出しました。
まさかと思って国土地理院の地図を見て制限表面を投影してみると、ちょうどクランクの箇所で進入表面(滑走路方向の傾斜がついた規制面)に触れているのが確認できました。
写真中央の十字がクランク部、その右にある直線の左側が進入表面です。
ちょうどクランク部が進入表面にかかっているのがわかります。
 

▲国土地理院地図に制限表面を投影したもの
 
こうなればあとは距離だけです。
およその算出にはなってしまいますが、滑走路端から直線で結んでみると160m程度でした。
これとは別に、上図の斜め線となる進入表面の距離を測定したところ、滑走路端から道路までは約100mでした。
およそ100m~150mですが、進入表面の勾配が1/50なので、50mで1mの高さ、つまり2.5m程度だとおおざっくりですが計算できます。
 

 
なるほど、なぜ何もない広大な空港敷地の周辺で無意味に高さ制限が生じるのか?と思ったら、鉄塔を調べていたので同じ制限表面によるものではないか?と気づいた次第です。
全く繋がらない無関係のようなものが、同じ法律に縛られていたのではないかと思うと、本当に構造物とそれを取り巻く関連法令は面白いなと思う次第です。
全国でもなかなか珍しいであろうこの道路上空の規制、ぜひとも現地で見てみたいものです。
 
 
<参考>
・国土交通省東京航空局:空港周辺における建物等設置の制限(制限表面)
 
 
 
 

こんなところで何を撮ってるんですか。あなたは誰なんですか。
あなたは誰ですかって?そうです、私が関東土木保安協会です。


埼玉県の水野線のドナウ型鉄塔区間を紹介しましたが、この他にも栃木県の栃山線など、全国には様々な制限表面に対応した設計の鉄塔を有する送電線が存在しています。


千葉県の柏市にある海上自衛隊の下総基地。
この近傍を通過する高柳沼南線もその一つです。
私も10年以上前に訪れた送電線でした。

今回、鉄塔カードにも掲載されることとなったので、その記念も兼ねて、また鉄塔カード鉄塔をそもそも記録していなかったので、再訪してきました。

高柳沼南線は高柳開閉所から新京葉変電所を結ぶ送電線で、66kVの4回線です。
両施設を直線的に結ぶと、ちょうど下総基地の真上を横切るようになってしまうため、基地北側を迂回するようなルートが選定されています。
この迂回箇所が特殊鉄塔が並ぶ区間になります。

▲半身紅白の高柳沼南線が滑走路近傍を進む

No.8までの鉄塔は、上部が紅白の障害標識仕様の四角鉄塔です。
No.9鉄塔では、同じ仕様なのですが航空障害灯が設置され、これまた顔つきが少し変わります。
どちらも飛行場周辺ならではの独特の仕様ですね。

▲滑走路西側の通常配列最終となるNo.9

そしてNo.10からの6基が、これぞ高柳沼南線というべき水平配列2回線の2段構成となり、横長で平べったい優雅な顔つきな特殊な鉄塔になります。
制限表面範囲内ではありますが、No.10はまだ進入表面にはかかっていないため、この先の鉄塔に備えて配列を変え高さも下げる準備をしています。

▲沼南高柳線No.10(1983/6,28m)

そしてNo.11から14まで続く4基は、進入表面上に位置しています。
これらが高さが最も低く、特徴的な鉄塔となります。
このうち、No.14については、2回線を周辺需要家向け分岐する引き下ろし鉄塔となっており、その特殊性を極めた一番の目玉といえるでしょう。

▲高柳沼南線No.14(1983/6,24m)

単に水平配列で2回線2段、それを高さ制限により24mの低さで設計している時点で十分特殊なのですが、ここに分岐を求めてしまったことで、手の届きそうなところに大きな架台が設置されてしまい、ワイドアンドローな重厚感ある仕上がりとなっています。

▲No.14だけは引き下ろし対応で重厚感が違う

わざわざこんな低い鉄塔に分岐をさせなくても良いと思ってしまうところ、このNo.14は目の前が道路で、地中線埋設に苦労しない立地であることが建設の理由なのでしょう。
今の状態でも2回線の2分岐ができそうですが、追加してもう1分岐を増やせそうにも見えます。
今は1つの需要家向けに分岐するのみですが、昔は最も多く分岐していたのでしょうか。

▲大きなステージで複数分岐ができる設計だ

この鉄塔は直下に獣道のような小道があり、周囲を歩くことができます。
手が届きそうなくらいの低さです。
ケーブルヘッドのステージはちょうど鉄塔敷地上に納まるかはみ出すかくらいの大きさです。

▲手が届きそうな低さだ

ここで、国土地理院地図に規制表面の投影と送電線のマッピングを行った図を見てみます。
黒線の囲まれた空間が規制表面で、赤い線が送電線、黄色い星が特殊設計の鉄塔6基です。
黒線のうち台形状に広がる斜め線が進入表面になりますが、両端の10,15はちょうどその外にあるのがわかります。
法の規制通りその区間で高さを守るように厳密な設計がされているのがよくわかります。

▲国土地理院地図に規制表面をマッピングしたもの

最後の老番側となるNo.15も、配列は同じながら少し高い鉄塔になっています。
何故この鉄塔だけは同じ形なのに高いのか。
何にもしっかり理由があるのだと改めて思います。

▲高柳沼南線No.15(1983/6,33m)

鉄塔の少し離れたところに東電の境界杭がありました。
どうやら杭と杭の間に挟まれた土地が東電の土地らしいです。
何でこんなところに?と思いますが、保守点検用の巡視路でも設けてあるのでしょうか。
接道の要件、それにしては少し短いような気がします。
よくわかりません。

▲道路で見つかった東電杭

ところで、前の記事のタイトルが「オラオラ飛び立つオライオン様のために」なんて名前でしたが、由来となった下総基地配備のP-3C哨戒機は当時から後継機の話がでていました。
今この空を飛ぶのは、新型のP-1哨戒機です。
この日も何機か飛んでいるのが見えました。


飛行機などの機械は移り替わっても、インフラは変わらないという、何回も見てきた光景をここでも見ることができました。



<参考>
・防衛省海上自衛隊 : 哨戒機「P-3C」



 
関東土木保安協会です。
「くぐれないのでもぐってしまう」送電線のお話です。
水野線だけで3本目ですよ。さすがは鉄塔カードで複数取り上げられている送電線、話題が豊富です。
 
 
前回水野線のドナウ区間を載せましたが、この南端となる最終鉄塔のNo.31からさらに若番方向を見ると、こんな光景が広がっています。
送電線に沿って敷かれた住宅地の道路と引きおろし鉄塔、そして水野線と交差している送電線も見えます。
 
▲水野線No.31から若番方を望む
 
この交差している送電線は狭山線で、154kV2回線の送電線です。
狭山線をパスするために地下に潜っているのでした。
狭山線も高さ規制の関係で同規模送電線から比較するとかなり低い高さです。
 
▲左が水野線No.30鉄塔、右が狭山線No.41鉄塔

水野線の鉄塔を見ると、腕金だけ嵩上げ鉄塔のように色が違っていて、明らかに改造された形跡があります。
ひょっとして、ということでGoogle Mapのストリートビュー機能で覗いたところ、2012年頃の記録では地中引き降ろし鉄塔ではなく、塔の中ほどまで2回線を下げ、水平配列で狭山線を潜る鉄塔でした。
なるほど、嵩上げや建て替えがある水野線で、ここも電線路高さの底上げをしたかったところ、狭山線の都合で地中しか逃げ先が無かったので、改造して地中化したところなんですね。
 
▲水野線No.30(1966/3,25m)
 
この鉄塔を見ると謎なのが、1966年のプレートが付いているところです。
この鉄塔がその時代からあったとすると、水野線のドナウ区間は1968年なので、ドナウ鉄塔は建て替えられた鉄塔なのか?というところです。
狭山線は1978年というプレートでしたが、両者の高さ制限のなかでの離隔の努力はいつ頃からあるのか気になりますね。
 
▲プレートでは読み取れない腕金の改造歴があった
 
水野線No.30の敷地も少し広いですが、引き下ろしの改造時にこの敷地になったのでしょう。
ケーブルトラフが南東にあるNo.29の方へ向かって延びています。
恐らく、道路を通そうとすると茶畑周辺特有の縦長の区割りで迂回がとんでもないことになるので、鉄塔間を直線で結んだ埋設ルートになっているものと思われます。
 
▲ケーブルトラフの方向が道路ではなく次の鉄塔を向いている
 
狭山線は制限表面にかかる水平表面、中でも進入表面を中心とした区間にて航空障害灯と昼間障害標識塗装とした仕様で建設されています。
電圧階級が154kVと少し高いため、碍子連も長くオフセットも広く、いい面構えだと思います。
背が低いのに障害標識仕様なのも、通常にはない特徴があっていいですね。
ちなみにこの鉄塔基準で滑走路からは約1,600m離れており、水平面でも進入表面にかかるため、1/50で計算すると32mの高さ制限がかかります。
狭山線No.41を見ると、そのギリギリを攻めたのかなとも思います。
 
▲狭山線No.41(1978/4,32m)

水野線相方のNo.29は建て替えられた鉄塔でした。
ドナウ型鉄塔などと同時期に建て替えられています。
滑走路とは距離にして1,600m、規制高さは32mほどです。
鉄塔高さは34mなので、認可を受けたか標高差などでクリアしているものと思われます。
 
▲水野線No.29(2014/8,34m)
 
低い送電線を設ける。
その送電線を潜る。
潜れなくなったらどうするか。
潜らずともクリアする、です。
 
 
計画されたインフラストラクチャーには「すいませんできません」が存在してはなりません。
「すいませんできませんがこうすると可能です」が求められます。
何とかしてその環境をクリアしようとします。
法規制や技術基準を満たそうとするとどうしても無理が出てくる。そこをどう解決するか。
水野線と狭山線の航空法とのせめぎあいを見せられると、その戦いと技術者の努力を見せられたといわざるを得えません。
 
 
 
 
 
関東土木保安協会です。
 
前回矩形鉄塔を紹介した水野線は、線路名の由来となる埼玉県狭山市水野町に入ると、連続ドナウ鉄塔の高さ規制区間に入ります。
こちらもなかなか珍しく、同じく鉄塔カードにも紹介されておりファンには知られた光景となっています。
こちらも行ってきました。
 
 
水野線は、航空自衛隊入間基地の西側に位置する入間変電所に供給を行う送電線です。
入間基地は航空自衛隊の基地で、飛行場として滑走路を有しています。
飛行場の周囲には、航空機の離着陸の安全面を確保するために、航空法にて建造物等の高さ規制が行われています。
入間基地も例外ではなく、規制区域においては送電線も限られた高さとしなければならないために、ドナウ型鉄塔を採用しています。
 
▲水野線No.39(1968/1,18m)
 
滑走路南端の南西にあるこのNo.39鉄塔も、高さは18mと低い鉄塔になっています。
それでも宅地化が進展しているためか、嵩上げ改造がされたのがよくわかります。
塔体中央デッキ部分の周辺の部材の色が異なり、主材もそこだけは垂直です。
以前はあと数m低い鉄塔だったのでしょう。
 
▲ドナウ区間の老番側となる北端の鉄塔だ
 
他の鉄塔でも、航空法の制限表面に触れないように建設されたものの、嵩上げや建て替えが行われているようです。
 
▲嵩上げ改造がされている
 
若番側のNo38も道路に面しすぐ近くで見ることができる立地です。
こちらも原型に見えますが、嵩上げ改造がされていました。
上段と内側は支持碍子を用いて離隔距離を縮めています。
 
▲水野線No.38(1968/1,15m)
 
南に進み茶畑の中に入っていきます。
ドナウ型鉄塔と茶畑特有の防霜ファンが並ぶ姿は、この区間らしい光景です。
下写真の一番手前にある鉄塔はNo.35ですが、嵩上げではなく建て替えされています。
 
▲水野線No.35(2014.8,20m)
 
逆を向くと、ドナウ型鉄塔らで最も低い鉄塔達が現れます。
各鉄塔15m程度の高さで、かなり低いです。
 
▲全8基がドナウ型鉄塔で建設されている
 
下写真の手前1基は、嵩上げも無く原型を留めているようです。
近くに行ってみましょう。
 
▲最も低いように見える2基。手前のNo.33は原型だ
 
水野線No.33です。
この鉄塔で15mで、非常に小柄な鉄塔でした。
ベンド点が恐らく無く、単一テーパーによるずんぐりとした形状が愛らしいですね。
嵩上げをする以前はほとんどがこの形状の鉄塔だったのでしょう。
 
▲水野線No.33(1968.1,15m)
 
そもそも滑走路の近くの高さ制限は何だという話ですが、これは航空法に定められた制限表面という考え方に基づきます。
航空機の安全な離着陸のため、空港周辺の高層物を規制するものです。
規制の概要は文末のリンクにありますので、ご覧ください。
 
▲嵩上げなしの美しい姿を維持している
 
水野線はちょうどこのドナウ型鉄塔の区間が滑走路への進入を行う際に設けられた進入表面に位置しています。
進入表面の設置状況も、国土地理院の地図(文末リンク)で見ることができますので、気になった方は見てみてください。


▲制限表面ほか概略図(国土交通省東京航空局ホームページより)

地理院の地図には送電線も記されており、航空写真表示機能もあるので、ドナウ型鉄塔の設置箇所が規制区間にかかっているのがよく分かるかと思います。

▲国土地理院地図の空港等の周辺空域情報より。台形状に広がるのが今回の鉄塔群がかかる進入表面

進入表面は、大まかに滑走路端から滑走路方向に対して1/50の勾配で空中に定められています。
平たく言うと、1/50なので、例えば滑走路の直線状の100m先には高さ2m以下の構造物しか設置できなくなります。
 
▲直線的に最短ルートを進む水野線
 
下写真ですが、水野線の奥に入間基地の管制塔やレドームが見えます。
この位置で滑走路の南端からの直線距離がおよそ1,100mです。
勾配は1/50なので、計算上の制限高さは22mとなります。
滑走路と鉄塔の標高差などがあると思うので、単純には比較できないですが、およそ20m前後の規制がかかっていると想定できます。
 
▲奥に航空自衛隊入間基地のレーダーが見える
 
嵩上げ前の鉄塔は高さ制限との余裕分が多少あったのでしょう。
宅地化の進展に伴い、可能な範囲で嵩上げを行い線下離隔を確保しようとした経緯があるとみられます。
 
▲水野線No.32。ドナウ型区間の南端となる
 
進入表面上でも、滑走路から1,300mほどのNo.31くらいの場所まで離れると、高さをとれるので最早ドナウ型鉄塔である必要性がなくなるので、通常の垂直配列の四角鉄塔へ戻ります。
この鉄塔もドナウのNo.32に合わせて嵩上げしていました。
 
▲水野線No.31(1968.1,19m)
 
高さの規制がある場所で送電線を敷設するとなれば、地中線であれば全くその心配がいらないですが、如何せん費用がかさみます。
この狭山の地では、特産の茶葉を生み出す茶畑が広がっており、低い鉄塔を連続して直線状の最短ルートで設置可能であったこと、建設年度も古く、この当時では郊外における架空線のメリットに軍配が上がったことなどが想定され、連続ドナウ型鉄塔の区間が誕生したのでしょう。
いま同じ送電線を建設するとしたら、地中線になるかもしれません。
全国を探すと、空港の近くに送電線はあまり多くなく、やむを得ず敷設する場所では、何かしら工夫してこの制限表面に準拠した鉄塔が建てられています。
すぐ浮かぶだけでも、下総基地の高柳沼南線、北宇都宮駐屯地の栃山線など、自衛隊基地の周囲が意外と多いかもしれません。
 
 
送電鉄塔は、線下用地にも配慮しなければならないので、前回紹介した水野線の矩形鉄塔は、大型で縦に長い場所を最小限にしたような鉄塔でしたが、これらドナウ型鉄塔は、少し水平面積を多く有するので、線下用地は多く必要とするものの高さを低く抑えることができる鉄塔となります。
目的は同じものなのですが、条件が異なると形も全く異なるものとなります。土木構造物は、面白いですね。
 
今日もその凧のような、イカのようなご自慢のシルエットを茶畑で広げる、水野線たちでした。
 
 
 
<参考>

 
 
 

関東土木保安協会です。

狭山茶で有名な埼玉県狭山市。
茶畑が広がる中に、大型の特異鉄塔が林立していますので、現地へ見に行ってきました。


以前茶畑の中にある茶畑モチーフの変電所、下富変電所とそのモノポールを紹介しました。


水野線は8回線を収める鉄塔です。
多回線鉄塔なので長方形の基礎を持つ矩形鉄塔で、高さもありかなりユニークな鉄塔となっています。
私は人生の殆どを東電管内で過ごして鉄塔も見ていますので、こんな鉄塔を見てしまうと「え!?ここは関西!?」などと思ってしまいます。
何故かって、東電管内では複数の送電線を束ねたところで、殆どが4回線か多くて6回線鉄塔で、形状も四角鉄塔で段積みの場合が殆どなので、こんな設計はまずされないからです。
関西だと↓のような多回線オンパレードで目を疑います。

▲奥に見える南狭山変電所から続く水野線他6回線

鉄塔は、南狭山変電所に接続されている66kV2回線を4線、計8回線収めています。
水野線、東大和線、川越線、膝折線です。
周囲に高層建築物が無いだけに、かなりの存在感です。
変電所寄りのに6基がこの設計で建設されています。

▲60m級の矩形鉄塔は遠景でもかなりの存在感がある

周囲が茶畑と話しましたが、区割りがかなり独特です。
南北方向の道路が何本かあるのですが、その道路を結ぶ東西の道路が数本あるだけで、細長い長方形の土地が延々と広がっています。
そのため、鉄塔に向かおうとすると道路を少し離れたところまで迂回しないといけないため、取材で回ろうとするとなかなか面倒な環境でした。
そのうえ畑の真ん中に立地している鉄塔も多く、直下に行くのがなかなか難しい鉄塔達でした。
周囲環境を知ることができて、ここら辺もまた鉄塔巡りの面白さの1つです。
(これは水野線のドナウ区間でも思ったのですが、茶畑特有の区割りなんでしょうか、、)

▲周辺は宅地開発がされた区画の他は茶畑が広がる

そんななか、このNo.5鉄塔はフラワーヒルという団地の中の雪見原東公園というところに位置しており、容易に訪れることができました。

多回線鉄塔は一部電線が撤去されていることもよくありますが、この水野線に関しては設計当初の8回線フル搭載のままで、この辺もファンとしては嬉しいところではあります。

▲水野線No.5(1992/8,64m)

水野線の矩形鉄塔の特徴として、鋼管トラス構造で部材が少ない美化鉄塔の設計であることが挙げられると思います。
ベンド点となる腕金下部までがブライヒ結構で、腕金以上が水平材を中心としたラーメン構造になっています。
しかしまた部材一つ一つは大きいため、綺麗には見えますが迫力や威圧感は個人的にはかなりのものです笑。

▲雪見原東公園内にそびえ立つ

各鉄塔は1992年頃に一斉に建て替えられたようです。
こことNo.4が障害標識ありの60m越えとなりますが、他は高く見えても60mは越えてないようです。
設計上は一線を越えたくないであろう事情を加味すると、宅地通過とロングスパンという条件などをクリアするため少し高い鉄塔になったのでしょう。

▲30年以上前に同時期に建て替えられたようだ

畑の中で近付きにくい鉄塔が多い中で、最後の方のNo.2,3は近付き易い立地でした。
黄色帽子もなくシルバー1色です。

▲水野線No.3(1992/8,53m)

記念に結界から拝ませて頂きました。
部材が太くてスッキリとした中に圧迫感がヤバいです。

▲記念の結界写真

こういうシンプルで部材が太い、なんて鉄塔は個人的にはモノクロが似合います。
美化鉄塔として建ってるので建築物みたいでこれはこれで綺麗です。
こういう画にすると廊下にでも飾りたくなります笑。

▲多回線併架の迫力とラーメン構造の美しさが際立つ

最後は変電所に隣接するNo.2まで来ました。
この子はゴルフ練習場の隣にあり、見慣れた人も多い鉄塔なのかもしれません。
下にはヒマワリが元気に咲いていました。
夏も終わり、秋が始まりましたね。

▲水野線No.2(1992/8,55m)

矩形鉄塔から多回線を引き降ろすなんて、どんな造りだろうとワクワクするところですが、そこは東電さんの設計。
堅実に4基の四角鉄塔により引き込まれています。
しかもほぼクローンの鉄塔です。
これはこれで収まりがいいですね。

▲水野線他6回線が横並びに揃い南狭山変電所に接続する

南狭山変電所は、周囲より低い場所に設けられているため、外周路からも容易に中を見ることができます。
見学者には嬉しい変電所ですね。
超高圧ながら水野線ら66kVも有すため、設備のバリエーションや数も多く、観察には適した変電所だと思います。

▲変電所は珍しく切土されたような立地だった

この水野線という送電線は、他にもドナウ型区間があり、鉄塔カードのサイト(文末リンク参照)でも何基か紹介されている、ファンには知られた送電線です。
ドナウ型も巡ったので、次回にでも載せたいと思います。


元気一杯のヒマワリと、負けじと元気一杯の水野線矩形鉄塔。
これからも名物鉄塔はこの地で咲き続けることでしょう。



〈参考〉

 
関東土木保安協会です。
西武池袋線の所沢駅~秋津駅間に、本線となる複線の他にもう1本線路が敷かれています。
この線路は秋津駅手前でカーブし、トンネルをくぐりJR武蔵野線の新秋津駅の構内へ入っていき繋がっています。
これが両者を繋ぐ短絡線で、元々は貨物用なのですが、今夏この線路を用いて2028年を目途にJRと西武が直通列車を運行すると報じられ話題となりました。
そんな短絡線ですが、地図を見るとトンネルの上部に神社があるようです。
面白そうなので、東電PG中富線を見た後に寄ってみました。
 
 
鉄道のトンネルの上に神社というと、東北新幹線の赤羽台トンネルを思い出します。
 
こちらの秋津の短絡線は、東北新幹線よりも早い1968年頃から工事の折衝が行われていたようです。
 
▲秋津短絡線の秋津トンネルと秋津神社境内
 
後々紹介しますが、境内にあった造営の記念碑によると、「昭和四十三年五月日本鉄道公團(原文ママ)より武蔵野西線秋津單絡線通過に伴い當神社境内敷地の一部を分割譲渡及地上権の設定したき旨申出あり仝四十九年十一月応諾」とありました。
1968年頃に鉄建公団側から境内に線路を通したいと話があり、6年後に応じたという経緯が読み取れます。
 
▲トンネルの工事の坑口直上にはヒガンバナが咲く
 
トンネル入口の方へ歩いていきます。
トンネルの坑口の上にはヒガンバナが咲き、カルバートの上という人工的なイメージは消え去り、また秋の風情も感じることができました。
境界杭も建っていました。
 
▲神社の境内に堂々と埋まる国鉄杭
 
定期的な旅客列車はなく、車両の搬入出のみしか使っていないはずの静かな線路ですが、一部枕木などが新しくなっており、メンテナンスが行き届いています。
 
▲坂を降りると公園が広がっている
 
坂の下から南を向いて、短絡線の坑口と神社方向を見てみます。
トンネルの上に神社があります。
社殿が右のほうに立地しています。
 
▲秋津トンネル脇の急坂
 
西武線からの直通列車が運行され始めたらいい撮影スポットになりそうですが、フェンスが建っているのでこのアングルをレンズで抜くのは大変そうです。
 
▲秋津トンネルの坑口
 
秋津トンネルという名称がついています。
武蔵野線を見ても、意外とトンネルなどが多いですが、台地に位置しているので、路線は盛り土と高架、駅も切土して設けたような立地が見られます。
 
▲出口はJR武蔵野線新秋津駅構内だ
 
完全な山ならその中を通すのでしょうが、ここも赤羽台トンネルと似ていて、丘になっている部分を通っています。
開削してしまうと線路で分断されてしまうため、一度開削後にカルバートを埋め込んだような造りのトンネルです。
 
▲架線柱や記載年月からも武蔵野線の短絡線であることが伺える
 
境内で何か埋まっている痕跡がないものかと見渡してみましたが、それらしいものは見つかりませんでした。
下写真が本殿ですが、写真右手の東側の地下を線路が通過しています。
 
▲秋津神社本殿と境内。トンネルは右の地下にある
 
ただ、神社に隣接する道路の端に、不自然にコンクリートの構造物が地表にあり、位置的にもこれがトンネルの埋設箇所の直情なのかな?というのはありました。
 
▲右側のコンクリートの構造物が気になる
 
赤羽台トンネルの赤羽八幡神社には、その工事の複雑な経緯を記す立派な解説文が境内にあったため、ここもあるのではないかと探したところ、造営記念碑として立派に碑が建っていました。
 
▲境内にあった秋津神社造営記念碑
 
前述した、建設工事に伴う敷地提供の打診のほか、線路新設に伴い公道へ敷地を提供したことなどが書かれています。
発注は三信工業株式会社とありました。
三信工業はあの橋梁などを建設している三信工業でしょうか。
建設工事に携わった会社で神社も造営されたのかもしれません。
 
▲記念碑の裏側には経緯が刻み込まれている
 
最後に新秋津駅に戻って地図を見てみると、しっかりと短絡線が描かれていたほか、名所紹介に秋津神社が載っているではないですか。
昔は境内には豊富な湧水があったことも記されています。
 
▲駅前の観光案内図
 
今回は武蔵野線でしたが、前の東北新幹線など、建設年度が比較的新しい路線は、どうしても移設が容易でないこのような神社などとの重複を避けられず、苦労している部分があるのでしょう。
線路の方が建設後何年も経過し当たり前になってしまうと、あまりピンとこなくなってしまうかもしれませんが、神社などはるか昔からある施設は、線路や道路上にあった場合は経緯を調べてみると面白いかもしれません。
 
 
〈参考〉
 
 
 
 

関東土木保安協会です。
最早低浮上もネタにすることも無くなりました。

さて今回は目の錯覚を疑うような鉄塔です。
西武新宿線の秋津駅のすぐ北、埼玉県所沢市にある中富線No.25鉄塔です。
鉄塔を見慣れた方なら違和感にすぐ気が付くかと思います。

▲東電PG中富線No.25(1990/7,53m)

そうなんです。
昇塔防止装置が4段も付いているんです。
おかしいですよね?

初めはGoogle Mapのストリートビュー昨日で気づいたのですが、カメラのバグかなにかかと思ったのですが、どの年代でも同じ鉄塔で写っているため、おかしいなと思い現地に来てみました。
結果、実際におかしい鉄塔でした(笑)。

▲かなり高い場所まで間隔を開けて設置

前後の鉄塔はこんな仕様では無いんですね。
この鉄塔だけのユニークな設備です。
昇塔防止装置が4段、しかも間を開けてほぼ等間隔に設置している。どういう理由なのでしょうか。
過去に昇塔者が出てしまい、対策として設置したものなのでしょうか。

▲鉄塔周囲には住宅もあり隣接はしているが

思ったのは、鉄塔に隣接する住居の2階部分の屋根が、昇塔防止装置と近接しているため、侵入リスクとしてはその点は気になるのかな、と言えるかと思います。
もしかして猿などの野生動物が出没する地区なので、その対策なのでは?とも一瞬思いました。
しかし、そのような条件の鉄塔は数多あるはずで、このように複数段の防止器具の設置例は他では見たことがないです。
仮に予備的に複数段設置したとしても、2ヵ所で事足りるはずですよね。


一体何のためにこんな4段の昇塔防止装置を有するのか分からない中富線No.25鉄塔。
彼は今日も足元からの侵入者に目を光らせ続けます。






関東土木保安協会です。
懐かしいマクドナルドに会ってきました。


商業チェーンは方向性が変わると、陳腐化した旧来を捨て、瞬く間に新しさを広めようとします。
それは大手になればなるほど大きいですね。
日本マクドナルドも、店舗外観や看板を変えてきました。
ここ、埼玉県さいたま市の与野に、90年代を知る人間には馴染み深い、昔の看板が残っているのを発見し、立ち寄ってみました。


国道17号線新大宮バイパス。
立派な片側三車線の道路が引かれたロードサイドにあるのが、マクドナルド大宮バイパス与野店です。


覚えてますか?この看板を。
今は型枠だけ旧看板を流用し、英語表記になったりして、色使いも少し違いますよね。
ここは当時の90年代以前の店舗で主流だった、「マクドナルドハンバーガー」「ドライブスルー」の片仮名文字を有する旧看板が残っています。

ドライブスルーをとっても、今の店舗はドライブスルー需要を考慮して2列レーンの採用が多いですが、ここは構えはさして古くないですが、1列の旧態とした姿です。


このドライブスルーのゲートも、最新のものに近いデザインですが、文字が切りぬきだったり先が尖ってたりと凝ってます。
今はただの長方形の組み合わせに文字もペイントです。
こういうところにお金がかけられた時代のものだなぁとしみじみ思います。
ところで、文章的にはDriveの後のピリオドはいるのでしょうか?
英語レベルが低い私には、「ピリオドは文章の最後と単語の略語の最後に付けるもの」という認識があるので、Throughの最後、Thru.に付けるのでは?と思ってしまうところです。


ドライブスルーの並び方を案内する看板もありました。
これも今ならレーン自体が2列だよなぁと思うところです。
ところで日本マクドナルドといえば、今から20年前の2005年からMadeForYouというキャッチコピーで、オーダー後の調理をする提供方法に切替を行っています。
この切替により、今まで作り置きもあったハンバーガーが消え、提供時間は全体的に長くなったのは事実です。
この切替が、その後のドライブスルーの待機時間の増加、すなわち2レーン化や受渡、支払窓口の増加などに繋がったのではないかな?と思いますが、どうでしょうか。


こちらも凝ったアーチ屋根のオーダー口です。
現代的なお洒落なデザインが、むしろ一回り前の世代のように懐かしく思える、現代の建築事情・お財布事情です。


裏手に回ってみました。
ドライブスルーレーンが台形屋根の平屋をぐるりと取り囲む、一昔前のマクドナルドそのものです。
グレーを中心としつつも、支払口と受渡し口は赤で塗られており、アクセントになっています。


3つ目の窓口の受渡し口。
店によっては、支払口と受渡し口が別に設けられており、このように3回車の窓を開ける必要があります。


デリバリー用のジャイロキャノピーが置いてありました。
一昔前はUberEatsや出前館のような他社による配達は一般的でなく、自社にてデリバリーサービスを提供するのがよく見られました。
マクドナルド塗装の配達車も、希少になるかもしれませんね。


看板の下に回り込んでみます。
逆台形に重なるMマーク。
そして下にドライブスルーの文字。
これぞ、というとその限りではないのですが、20,30年前は当たり前だったオールドマックの姿です。


今は店舗の更新の際に、型枠だけ流用してマックカフェなんてお洒落な看板になってますね。
ファストフードの代表格としてハンバーガー屋さんで広がった後に、デフレの象徴のようなハンバーガー1個65円での販売。
24時間営業を多くの店でやっていた頃は、朝までコーヒーで過ごせる避難場所のような側面もありましたが、コスト面や時勢に合わせての24時間営業廃止が多くなり、そんな姿も過去のものとなりつつあります。


時の流れのなかで、何度も視界に入るからこそ、多くの人に風景として焼き付いているであろう、ファストフードを始めとする大手外食産業。
しかしそれを好んで記録する人も少なく、変更があれば数年の瞬く間に看板なりマークは姿を消していき、人々の記憶からも消えていきます。
昔からレトロなアイテムは人気ですが、最近は平成レトロまで人気になる時代になりました。
「あの頃は良かった」と機械的に発してしまうのは、私だけではないでしょうが、過去はどうしても美化されるもの。
負の側面が消えた過去だからよく見えるのか、本当によかったのか。
こういう昔の看板を見て、感激している自分に問いかけると、わからなくなる時があります。



〈参考〉



関東土木保安協会です。

さいたま市岩槻区尾ヶ崎に、東京電力の配電線訓練センターがあります。
この近くに鉄塔の遺構が何故だか転がっているので、いつ撤去されるかもわからないので見に行ってきました。


上写真がその様子です。
奥に写っている鉄塔が、高い方が西越谷線、4回線の方が北鳩線で、それぞれかつての上越幹線と猪苗代旧幹線をルーツとする、歴史ある送電線です。
この交差箇所に、当時「新和開閉所」が存在しており、その跡地が訓練センターになっています。
開閉所を過ぎた上越幹線(現西越谷線ルート)は、上写真のようにくいっと左方に曲がった進路をとりますが、当時の上越幹線はこうはならず写真手前方向へまっすぐ進路をとりました。
ちょうどその旧ルート上に、4基分の鉄塔の遺構が残っています。


このように、どういうわけか基礎だけが残っている状態で、鉄塔の主材より上は全て撤去されています。
何の理由があるんでしょうか。


この丸石が練り込まれたコンクリートがいかにも当時の物という印象です。
鉄塔も残っていたら、アングル材には刻印など残っていて、探す楽しみがあったことでしょう。


こちらは2基目の鉄塔跡です。
綺麗に4脚残っています。


こちらが3基目の鉄塔跡です。
農道から遠いのでズームしました。
こちらも鉄塔用地は耕され普通に耕作が行われているようです。


最後の4基目の鉄塔跡です。 
コンクリートが剥離しているのか、少し表面が荒いですね。
こちらも同じく普通に農地として管理されています。


トラクターを動かすにせよ、この基礎は邪魔そうです。
それにしても何故こんな基礎だけ残した撤去工事がされているのでしょうか、よくわかりません。


右端の高塔が西越谷線で、左の少し高い電波塔が西越谷変電所です。
その少し右には、上部を撤去された旧DDI越谷リレーステーションが見えます。
みんな何かしら理由があってその形、その立地でいる構造物です。


鉄塔の撤去となると、現代では綺麗に埋設物まで撤去される場合が多い中、こんな綺麗にも基礎が残っている鉄塔たちは珍しいかと思います。 
面白いですね。