明けましておめでとうございます!


昨年3月、モコが支援学校を卒業。

4月から、施設に入所した。

と言っても毎週末は帰って来ているので、

今はそんなに淋しさはない。


モコが入所して生活が変化した以上に

色んな事が変化して、課題が盛り沢山。

まだまだ続きそうな今年も

まあ、そんな時期もあるよね!

っていう気持ちでいこうと思います。


今年もよろしくお願いします!



先週、
特別支援学校の卒業式がありました。

小学部1年から2年間通った
肢体不自由の特別支援学校と、
小学部3年から高等部3年まで通った
知的障害の特別支援学校と。

特別支援学校で過ごした計12年間が、
ついに終わりを告げた卒業式。

でも12年間だけじゃない、
高等部卒業の18歳という歳は、
成人の歳でもあるから、
それは特別な意味を持つ。

モコは4月から施設入所するので
尚のこと、本当の意味で、
「自立」なのだ。

施設入所は小学部4年生頃から
別の入所施設で既に
レッドカーペットが敷かれ、
「在学中の何処かのタイミングで
入所した方が良いだろう」と、
多方面から勧められてた。
それほど限界に近かったということ。

でもなんとか18歳、
多くのサポートを受けながら、
高等部卒業するまで自宅に在られて、
もうなんだかそれだけで
花丸だったんじゃないかと、
そう思えるんじゃないかと
思ってみるも、

一方で、
あと数年は自宅で過ごせたかな、
せめて二十歳になる頃までは
一緒にいられたんじゃないか、
有難いことにその選択肢だって
残っていたじゃないか。

選べたのに選ばなかった決断をしたのは
家族のことで色んな事情が
絡み合っているからなのだけど、
それでもやっぱり
入所になる寂しい気持ちは
この決断をした私にのしかかる。

すべてはタイミングだから、
これで良かったのだと
いつか思える日まで、
この気持ちに
折り合いをつけていくのだろう。


今日最後の短期入所、
小学部4年生からお世話になった
短期入所の事業所に
モコをお迎えに行った。

この事業所は土祝の放課後デイでも
お世話になっているので、
正式には今日で最後ではないのだけど。

もうぼろぼろ涙が溢れて、
悲しすぎた。

学校も放課後デイも、
卒業と同時に卒業になるので、
致し方ないことではある。

でも短期入所事業所は、
施設入所しなければ卒業後も
ショートステイを利用していたはずだ。
今日が最後になったのは
施設入所を決めたから。
(この短期入所事業所と、
モコが4月から入所する事業所は
異なる)

私が決めた選択だけど、
だからこそ揺らぐ。

小学部4年生で初めて
ショートステイを利用した時、
こんなに小さいのに(園児の大きさ)
同じ年齢の子はまだ甘えたい年頃なのに
なんでモコは1人でお泊りを
しないといけないのだろう。
と、胸が締め付けられる思いがした。

でもお陰で宿泊学習も
問題なく行って来れたし、
何よりも施設入所に繋がっている。
もう何年も前から
自宅以外の場所で過ごす
練習をしてきたんだよね。

「最初に利用した頃は
3人がかりで入れてたお風呂も、
昨日は一対一で一緒に入れました。」

成長したね。
練習いっぱいしたね。

もうここに来ないね。
寂しいね。

でもモコのことを
これからも応援してくれる人が
いっぱいいるから、大丈夫だね。

あと入所まで2週間。




前回の記事で書いた。
卒業したらキレイさっぱりな友達と、
いつまでも未練を残す私と。

私がこの時感じた未練は、
“学校”に対するものだった。

私はモコが在学中、
PTAの仕事を楽しんできた。
特に会長になった年は
最高の戦友と一緒に、
楽しい事を沢山してきた。

役員に立候補してくれたママさんが、
「以前役員をやった時、
この学校のPTAは他と違って楽しかった。
かんさんがいるから、また役員を
やりたいと思って立候補した。」
って言ってくれた。

PTAの存在意義が
議論されるこのご時世、
役員になる人なんていない中、
こう言ってくれる人がいて、
凄く嬉しかったのを胸に刻んでる。
PTA会長、やって良かったなって。
この時が1番それを強く思ったかも。

そんな風に
学校にはどっぷり浸かってる。
思い入れがある分、
寂しいのは当たり前か。

もしここまで浸かってなかったら、
学校と私の関係性は
肩の荷降りてさっぱりする程度に
卒業してただろう。

そう、ここに。
感情に深く触れた分、
私はそれを“未練”だと感じた。

頑張ってきた分の
誇りがあって。

いや、誇りなんて
大袈裟なものではないけど、
確かに私の人生の中では
大きな、充実した時間だった。

それを“未練”と感じたけれど、
未練なんかじゃなかった。
残っているのは
楽しかった達成感と、
思い出。

過去の“誇り”を
現在進行形にしてたら、
それは執着になって、
過去に生きてるままだから。


想いを込めた分、頑張った分、
それだけ多くの深い繋がりができて
本部で私1人だけ卒業しちゃう寂しさが
あるのも事実だけど。

年度が終わったらパパッと散って、
そのくらいが丁度いいって、
いつか先生が言っていた。

新しい年度が始まる。
忙しない毎日が
あっという間に過ぎて行く。

そんなものかもしれない。
忙しい方が寂しさは紛れる。

モコが入所してしまう寂しさが
ずっしり乗っているから、
それ以外の部分にフォーカスする事で
もう1つ大切だった「学校と私」を、
また別の気持ちを整理する。

みんな前に進む。


数ヶ月後、
私はこの記事を
どんな思いで読み返しているだろう。

多分少し懐かしく。
未来を歩んでいる。




今日は特別支援学校
最後の授業参観の日。

小学部1年と3年以外の10年間、
ずっとPTAに関わり優先していたので
有給は全て役員関係で使い切り、
学校行事には殆ど参加できてなかった。

今年度は、12年間で最後の1年。
本部役員も第一線を退いたので、
この1年は可能な限り、
全部の学校行事に参加しようと
決めていた。

学校に来るとまずは
先生方の熱量と温かさに
毎回感動させられる。

今日の授業参観は
学年レクと聞いていたので、
しっぽ取りゲームを期待して、
動きやすい服装の方が良いか
連絡ノートで聞くと。
まさかの調理実習!!

愛情こめて作ってくれた料理を
生徒が親をエスコートする形で
親子で机を並べて食べた。
修学旅行のスライドショーを観ながら。
なんて感動的な素敵な授業なんだろう。

その間、モコは2回も
ジュースの入った紙コップを
払いのけて床にこぼし、
その都度先生が拭いてくださった。泣
そんな場面を予測して
今日は汚してもいいように
ベンチコートを着てきたの正解。
(因みに修学旅行先のユニバで、
「お母さんに」とお土産でもらった
カチューシャも着用して行った。
ここと役員会でしか使う機会がない。笑)




今日の懇談会で
卒業に向けてのお話があった。

今まで何か困った事があったら
真っ先に学校に相談してきた。
頼りきってきた学校が、
卒業したらもうない。

これからは、
相談員さんや福祉課に
相談することになること、
その現実を改めて確認した。

学校もそうだし、放課後デイも。
モコの場合は入所になるので、
生活サポートも。

頼みの綱が一気になくなる不安は、
色々書いている通り、大きい。

でもまた新しい環境が始まって、
新しい出会いもあるが、
事業所の数という面では、
1対1のお付き合いだ。

お友達(モコの同級生ママ)
が言った。

「卒業したらキレイさっぱり」
(縁が切れて良い)

カッコいい!!!
私は未練ばかりなのに、
こんなにあっさりスッキリと。
その潔さに感動した。
こういう生き方も
すごく素敵だと思った。

以前先輩ママさんも言ってたっけ。
「もう早く自立してもらわないと。
私は私の人生を生きるから」
今はママも息子さんも
平日は離れた場所でお互い楽しんで、
生き生きしてる。

福祉課の方にも言われた言葉。
「お母さんはこれから
お母さん自身の人生をどう生きるかです。」

知ってるよ。
「モコの人生はモコのもの、
私の人生は私のもの」
そう書いてきたもの。
伝えてきたもの。

現実は、今まだそこまで
気持ちは追いついていないけど。

けど、まあ、
多分すぐ慣れる。

18歳、
普通の年齢の18歳だったら、
一人暮らしを始める子もいるのだから、
それと同じこと。


親離れ、子離れ。

そう簡単にはいかないけれど、
時間は、近づいてくる。






中学生の頃からの友達が
久しぶりに年賀状以外の手紙をくれた。
「かんちゃんの夢を見た」と書かれていた。

「かんちゃんは大学で勉強しつつ、
モコくんを社会と
社会とモコくんを
モコくんと私たちを自然と繋げる
そんな環境を作っている。
障害があろうがマイノリティだろうが
当たり前のようにいられる
受け入れられる
そんな活動をしている。
そんな夢でした。」

ハッとした。

私、母親になった時、
子供が18歳になったら
一緒に大学に行こうと思っていたんだ。
奇しくも最後の末っ子のモコが
明後日、18歳になる。

手紙をくれたお友達は、
私が、モコが生まれて数年間、
色んな活動をしていた事を
知ってくれていたと思う。
多分そこからの未来を描いてみると、
友達が夢で見てくれたような未来を
私は歩んでいたはずだ。

あれ?
そうなっていないぞ。笑
どこから道がズレた?

目の前の育児に精一杯だったから?
管理職のキャリアを選んだから?
気づいたらトリプル介護だったから?
はたまた、PTAに夢中になりすぎたか?

気づいたら、4月から
モコがいなくなっちゃうじゃん。

友達が夢に見た
架け橋のような存在だったり
コミュニティだったりは、
私はゆるりと実現したいことだ。

その中心となるモコがいなくなる。

‥なるほど分かったぞ。

2つ前の記事に書いた
全部の事業所を卒業して
縁が切れる寂しさは、
単純に縁が切れる寂しさと、、

これだ。

何も成し遂げてない、という現実と、
成し遂げる武器になる(架け橋になる)
モコが入所してしまう、という現実。
(↑気付くの遅い。笑)

焦りというべきか
諦めというべきか
無念というべきか
絶望というべきか
降参というべきか。

今からこれを実現しようとすると、
今まで当たり前にあった、
モコと常に一緒にいる環境とは
異なることになる。

架け橋となるモコと
お互い自立した関係を構築しながら
私がコミュニティに入っていく必要がある。

ということか。


そんな思いが
思い起こされたことを
ここに書いておこう。





モコには睡眠障害がある。
昼夜逆転、というか
常に絶好調で起きている。

歩き回る時は夜中でも、
家の中の大きな家具を倒したり
イタズラし放題なので、
歩くモコを後ろから抑えながら
私も一緒に歩かなければならない。

そんな状態で
夜中も歩いていた私、
寝ないまま仕事に行き、
3日連続完徹は当たり前な毎日だった。
それが10年以上続いていたので、
もうそれが普通の感覚で。
(モコが歩かない時は
一緒に横になってうとうとできる)

3日完徹しても
会社でも元気なので、
寝てないのが不思議なくらい
「何処にそんなパワーがあるの⁈」
とよく驚かれていた。

私もスーパーマンだと思ってた。
(でもその後に大きな事故を起こし、
慢性疲労だったことを思い知らされたのだけど)

今は、
1年半前から飲み始めた薬の効果で
モコの睡眠障害はだいぶ改善されて、
一晩中起きている事は滅多になくなった。
(薬の服用には抵抗のあった私が
服用に至った経緯は、また書く予定)

それでも今年に入ってから
少し睡眠が乱れてきて、
24時過ぎくらいまで歩いている日も
少し増えてきた。(時々明け方まで)

そんな時はまた、
真夜中のおうちパトロール。
これが少し懐かしい。
あと何回、できるだろうか。

家の中だけならまだしも、
中学部の頃は真夜中の外に
散歩にも行ったっけ。

夜中の2時頃に庭のブランコに乗って
何時間も揺れていた時も、
まだ夜が明けない真っ暗闇の中、
3時に起き出すお豆腐屋さんの明かりを
横目に、てくてく歩いた時も。
耳が凍えて千切れそうな真冬も。
何時間も、何時間も。

全部が懐かしい。
今同じことをやれと言われたら、
多分もうできない。

あの時は
なぜそんな毎日にへこたれずに、
全部を笑いに変えて、
そんな毎日も逞しく生きていけたのか、
私は知っている。

「終わり」があるから。だ。

モコの育児は前述の通り
本当に大変だったので、
小学部4年生頃から、各所から
施設入所を勧められていた。

レッドカーペットを敷かれた状態で、
常にスタンバイしてくれていたような。

どちらにしても、
この状態では1人では見られなく、
更に私の仕事もあったことから、
モコの育児(要介護)は、
常に私と母の2人体制だった。

どちらかが倒れたらそこで強制終了、
その瞬間から家で見る事は難しく。
その時はいつ来てもおかしくないと、
常に覚悟をしていた。

小学部4年生の頃は、
中学部からは入所するかもしれない
と思っていたし、
中学部に入った頃は、
高等部からは入所するかもしれない
と思っていた。

でも小学部も中学部も高等部も
何とか綱渡りをクリアできて、
無事に12年間を自宅で過ごせた。

障害のある子をもつ親は、
遅かれ早かれ、
いつか別れる日を迎える。

モコはそれが、
ちょっと早くなる。
それを常に「覚悟」してたから。

この「一緒にいられる幸せ」は、
「今だけの特別な」時間である事を
腹の底から知っていたから。

一緒にいられる時間が
他の子たちより
短いことも。

終わりがあるから、
だから頑張れたし、
思いっきり楽しめた。

この瞬間を
噛み締めるかのように。


でもこれって普通の育児も同じ。
育児真っ只中の時は、
目の前の事が目まぐるしくて
それどころじゃないけど、
過ぎてしまえばあっという間で、
あの頃の子供たちも大人になっていく。

育児も期間限定の20年、
特別な時間だったんだなと思う。


多分これ、人生も同じ。

いつか迎える終わりがあるから、
今、思いっきり泣いたり笑ったり、
怒ったり楽しんだり、
できるんじゃないかと。

喜怒哀楽を全部味わいつくして、
生きている醍醐味を
とことん愉しむことができたら、
それって幸せなことかも。

だから頑張れる
この瞬間を
噛み締めて生きる。



前回の記事更新の通り、
高等部卒業後は入所する事が決まり
その進路決定に向けての軌跡や
心境の動きなどを記録しておこうと
思っていたのだけど、
来月の卒業を控え、
急に寂しさが襲いかかってきている。

まだ記録できる心境ではなく
書けるようになるまでは
私は今の、この気持ちに
私が寄り添うことを
何よりも優先したい。

寂しさは、急激に。

順調に行っていた短期入所が
少し嫌がり自傷が増えた事も
心配を助長している。
でもそれは、慣れるしかないし、
慣れていくであろう。と思う。

卒業式では、
卒業生保護者代表の謝辞を述べるので、
支援学校に在籍した
12年間を振り返っている。

先週は卒業後の進路に向けて
移行支援会議を行なった。

学校と、行政と、
進路先である施設の方と、
新旧相談員さんが揃った。
最初で最後の会議だ。

児童から成人になる事で、
今まで10年くらいお世話になってきた
相談員さんが変わる。

卒業後の会議なので、
いつもの事業所がここにはいない。

今までお世話になった
2箇所の放課後デイと、
(1箇所はショートステイも併用)
毎朝の送迎を中心に
神頼みをしてきた生活サポートさんが
いない。

3月の手帳に、
「卒業式」の記載。

その前日には最後の
生活サポートさんの朝の送迎があり、
その週には最後のショートステイ、
月末には最後の放課後デイが立て続け、
それをもってモコは
全ての事業所を卒業する。

卒業した翌週には
入所になる。

モコが障害を持って生まれて、
支援学校に入学してからは特に、
「チームモコ」として
沢山の事業所や関係機関に
お世話になってきた。

いつも私はこの状態を
「綱渡り」と呼び、
仕事を続けていくには
どの部分も切れ目なく繋ぐことが
最低条件だった。

幾度の大きなピンチはあったけど
全力で沢山の人が支えてくださり
それを途切れる事なく支援してくださり、
無事に12年間過ごすことができたのは
感謝の言葉では言い表せられないくらいだ。

本当に守られてきた12年間だった。

それが一気に途切れる、んだ。
全部卒業、
まるで強制終了のように。

12年前は、
毎日色んな事業所さんが
家に来てくださるのを
少しストレスに思う事もあった。

と言ってもその時間は
私は仕事でいないので、
母が対応することになるのだけど、
決して社交的ではない内気な母には
来客のある毎日は、
ストレスなんじゃないかと
申し訳なく思ったりもした。

でもそれが大きな安心である事を
直ぐに気づくことができた。
チームでモコを全力で守っている、
そんな感じがとてつもない安心感だった。

12年間続いた毎日が、
4月から、誰も来ない。
全部の繋がりがなくなってしまう事が
こんなに寂しく思うなんて。

モコが中心にいたから、
このコミュニティは存在していたと、
当たり前のことを思う。

心にぽっかり穴があくって、
まさにこのこと。

モコがいなくなる寂しさは
もっともっと大きい、
でもこの誰もいなくなる寂しさも
私の中で大きいことに気付いた。

巣立ち症候群、てこれか。
そして定年後を
模擬練習しているみたいにも思える。

役割がなくなるのって、
こんなに不安なんだ。

まだ2つの大きな介護があるし、
何の支障もなく仕事に集中できる
環境が24年ぶりに手に入る、
というのもあるけど‥
(女性が育児をしながら働くことは、
それだけ支障があるということ)

何者でもなくなる自分の
アイデンティティをもう一度、
構築しないといけない。

モコが生まれてから18年、
生まれる前は何してた?
長男が24歳、
母になる前は何してた?

あ、その時々で
めっちゃ楽しんでたな。
久しぶりに思い返してみたら、
何があっても愉しむ精神は
今も昔も変わらずだった。

今年は学年で50歳の年になり、
女性としてももう更年期前半に
突入している。

そこに子育ての卒業と、
体調の変化と環境の変化が一気に来る
この世代は、女性にとっては一大事。

そこもまた、ゆるりと
体験していくことを受け入れて、
またその経験を言葉にして
綴っていくことで、
自分の気持ちも
整理できたらなと思う。




特別支援学校高等部3年生のモコ、

卒業後は施設入所に決まりました。
とてもとても苦しい選択でしたが、
よいご縁がありました。

夏頃からぼちぼち
短期入所に行っています。

最近、お風呂で排便してしまうモコ、
浴槽の中や洗い場が大惨事になります。
短期入所先の施設で
お風呂でしちゃったら申し訳ない‥
その旨を伝えると、

「家だと大変ですよね
ここでは全然大丈夫です」

と。
なんという神対応‥泣。



12月、自傷で耳が腫れて
大変な事になってしまい、
このままでは修学旅行に行けないので
直前で受診することに。

中に溜まっている血液を
注射器で抜いてもらえば治るとの事だが
その間大人しくできる訳ではないので
ヒヤヒヤしながら病院に行くと。

医師の判断は
「吸収する事もあるから
まだ様子見ましょう」
との事で治療はしなかった。

腫れてるまま短期入所に行って
受け入れてくれるだろうか。。

「利用者さんでもなった方いました。
吸収しちゃう場合もありますものね。
傷口をまた自傷してしまうと痛いかな、
様子見ますから大丈夫です。」

またしても神対応‥泣
※同じ日の会話



色んな所で
「厳しい」と言われてきた。

「厳しい」のは
モコの状態もだけど、
どこの障害者入所施設も
利用希望者が溢れていて
なかなか入れないと聞いている。
モコのような重度の知的障害は
入所できる施設も限られる。

別の入所施設では
100人以上の入所待ちがあり、
今申し込んでも親が高齢になって
本当にもう見られない状態になって
やっと入所できる感じだと、
聞いてきた。

今回ご縁をいただいたのは
家からとても近く、
昔から存在も知っていた施設だ。

モコが高校卒業という
ちょうどいいタイミングで
空きがあったのは奇跡的なこと。

スタッフさん利用者さん、
みんなから本当に
可愛がってもらっている。

この施設の利用者さん達は
いつ行ってもみんな
穏やかな優しい表情をしている。

笑顔で迎えてくれる。
私にもたくさん話かけてくれて
モコを可愛いって言ってくれる。

施設全体が
時間に追われてる感じがなく、
自由でのびのびしている。
スタッフさん含め
みんな穏やかにゆっくり
時間が過ぎているのを感じる。

将来モコが過ごす場所は、
家にいるのような雰囲気で
のんびり過ごせる場所がいいなって
思っていたから‥



またぼちぼち
施設入所に決めたまでの軌跡や
心境の変化などを更新していきたいと思います。

明けましておめでとうございます!
本年もよろしくお願いします。

年に1回、お節だけの

投稿になってしまってますが、

とりあえずお節の画像は

個人的な記録としても

ここに残しておこうと思います。


2025年、

今年は大きな動きがあります。

モコが特別支援学校を卒業します。


その進路についての軌跡と、

その時々の私の感じたことなど、

きっと誰かの参考になると思うので、

後で記録しておこうと思います。


紆余曲折の道のりでした。


人生は選択の連続で。


何が正解かは分かりませんが、

決めた道は、今ある

最良の道だった事には変わりなく

正解にするために歩んでいくんだな、

と。


だからと言って力む必要はなく

ゆるく流れていくように。









元旦からの地震、飛行機の衝突事故と
衝撃的な事が立て続けにあって、
心が痛む年明け‥

被害に遭われた皆様に
心からお見舞いを申し上げます。

どうか心穏やかに過ごせる日が
1日でも早く来ますように。


今日はあっという間に七草粥の日。
毎年お正月にリクエストを頂き
載せる記事がある。


元旦に食べたお節が
毎食ごとに少なくなって、
お鍋から足したりしながら
段々小さな器に収まっていく。

その行程が大好きで。
どの瞬間も完璧な美しさの中に。

来年の参考になるように
今年も写真を載せておこう。










今年初めて作った(?)
ラディッシュの飾り切り、
鞠のようでとっても可愛かった。

ぶっつけ本番で切り込みをしたから、
最初の方に作った飾り切りは
実は失敗しちゃってるけど、
失敗なんて本当はないんだから、
勿論お節に飾った。

最後の5個目、
やっと形になった。
これも可愛い。

ハムに添えられて
ちょこんと乗っている
真ん中の鞠。

また来年も飾り切りを飾ろう。

今度は1個目から
きっと上手くいくね。

昨日は半日仕事に行き、
夕方はモコの帰りを待ちながら
久しぶりに
本当に久しぶりに
庭のブランコに座った。

西日が沈む赤い光が背後から届いて
ブランコに乗っている私の影を
遠くへ映し出す。

よくモコとブランコに乗ったっけ。
グレープフルーツの木陰に揺れながら。
私の癒しの時間だったな。

色々ありすぎて
そんなゆとりもないままに、
いつの間にか沢山の時間が過ぎてた、

また来よう。
ゆとりの時間に会いに。

気持ちをリセットして整える、
殺伐とした毎日に忘れないように。