20年前に公開された映画の続編となっている。
まず、この20年で働く環境はこんなに変わったのか、という現実を目の当たりにする。冒頭の働くシーンでは、ミランダもアンディもまるでタイムスリップしてきたかのような感覚になった。
そして思った。
私が社会人になった年は、1が公開された年よりもっと早い今から32年前だ。1ではアンディがキャリアをスタートさせた設定だったこともあり、私の新入社員の頃に重ねて観てた。
その頃はスマホがなかったのは当たり前、携帯もなければWindowsや Macもなかった。DOS/V版の大きなパソコンと、大きくて薄くて柔らかいフロッピーディスクがあった。文書作成はワープロだ。インターネットもメールもなかった。
毎月の情報誌の掲載をする為の調べものは、図書館に行っていた。同じテーマの違う著書の本や、関連しそうな本を何冊も読み漁って必要な情報を得る。紙面のレイアウトを決めて自分の言葉で纏めていく。
営業は外回りに出ると連絡が取れなくなる。
今のように携帯もないから、その日の行動表に書かれている訪問先に片っ端から電話をする。「来てないわよ」ガチャンと電話を切られる。
ああ、今日も帰社するまで捕まらない。
見積もり依頼の電話には、「あー、今度行く時に持っていくから」と、その一言で済む。今度っていつだ。それが1週間先のこともあれば、半月先のことだってある。
今みたいに「今すぐ」「2時間後までに」なんて有り得ない。メールもないのだから対応できる術はないし(FAXはあったけど)、世の中そんなに急いでないのだ。
そう、急いでいない。
今みたいに急ぎの案件に追われてないのだ。
ある日突然、この世の中のスピードについて来いなんて、過酷だ。
この32年間、激動の時代の変化の中にいて、
必死に走り続けた私たち(同年代とその上の世代)は、きっとこの変化に必死に食らいついてきた。
32年前と今だけを切り取ると、それはまるで「違う世界にタイムスリップしたように見える」ほどの異なる世界だけど、その時代と時代を繋いだ32年間は本当にあって。
その時代の流れの中を第1線で仕事をし続けてきたその経験値は計り知れない。
映画の中でもこの20年間に積んだアンディのキャリアと、カリスマとして君臨し続けるミランダの情熱がどれ程のものかと、想像できる。
そして時代が大きく変わったのにも関わらず、女性がキャリアを続けるには、未だ多くの代償があるというのは、皮肉だ。私もこれは特にここ1年、身に沁みて感じていたことであり、30年を振り返ると失ったものは大きかった。
それでも何故ここにいるのか。
やっぱり仕事が好きだから。
この短い人生の中で、情熱を持てる仕事に就けることは幸せなことなのかも。
そして今まさに時代は次の激動期に入り、AIが文章も議事録もプレゼンも画像も動画も何でも作ってくれる時代になった。
原動力だった「情熱」の存在が脅かされている。魂の入っていない空っぽのものが増産されていく。この現実を目の当たりにし、虚無に近い感情を味わうことも増えたけれど、「情熱」は人間にしかない感情であるのは確かだ。
人間が人間であることが、
情熱に突き動かされ、困難なことにも果敢に挑戦し、失敗もしても立ち直って、喜怒哀楽に全部丸ごと、心揺さぶられる体験こそが、人間に残された価値であって、最高に愛おしいのではないか。
あ、これ。
まさしく最後に映画が伝えていたことだ。
私たちは、この激動の時代を駆け抜いてきた。
どんなに時代が変わっても大切なものは変わらなくて。
喜怒哀楽を丸ごと味わう「体験」や
突き動かす「私たちの情熱」は、
これからの時代を生きる最大の武器になる。









