『プラダを着た悪魔2』を観てきた。

20年前に公開された映画の続編となっている。
まず、この20年で働く環境はこんなに変わったのか、という現実を目の当たりにする。冒頭の働くシーンでは、ミランダもアンディもまるでタイムスリップしてきたかのような感覚になった。

そして思った。
私が社会人になった年は、1が公開された年よりもっと早い今から32年前だ。1ではアンディがキャリアをスタートさせた設定だったこともあり、私の新入社員の頃に重ねて観てた。
その頃はスマホがなかったのは当たり前、携帯もなければWindowsや Macもなかった。DOS/V版の大きなパソコンと、大きくて薄くて柔らかいフロッピーディスクがあった。文書作成はワープロだ。インターネットもメールもなかった。

毎月の情報誌の掲載をする為の調べものは、図書館に行っていた。同じテーマの違う著書の本や、関連しそうな本を何冊も読み漁って必要な情報を得る。紙面のレイアウトを決めて自分の言葉で纏めていく。

営業は外回りに出ると連絡が取れなくなる。
今のように携帯もないから、その日の行動表に書かれている訪問先に片っ端から電話をする。「来てないわよ」ガチャンと電話を切られる。
ああ、今日も帰社するまで捕まらない。

見積もり依頼の電話には、「あー、今度行く時に持っていくから」と、その一言で済む。今度っていつだ。それが1週間先のこともあれば、半月先のことだってある。
今みたいに「今すぐ」「2時間後までに」なんて有り得ない。メールもないのだから対応できる術はないし(FAXはあったけど)、世の中そんなに急いでないのだ。

そう、急いでいない。
今みたいに急ぎの案件に追われてないのだ。
ある日突然、この世の中のスピードについて来いなんて、過酷だ。

この32年間、激動の時代の変化の中にいて、
必死に走り続けた私たち(同年代とその上の世代)は、きっとこの変化に必死に食らいついてきた。
32年前と今だけを切り取ると、それはまるで「違う世界にタイムスリップしたように見える」ほどの異なる世界だけど、その時代と時代を繋いだ32年間は本当にあって。
その時代の流れの中を第1線で仕事をし続けてきたその経験値は計り知れない。

映画の中でもこの20年間に積んだアンディのキャリアと、カリスマとして君臨し続けるミランダの情熱がどれ程のものかと、想像できる。

そして時代が大きく変わったのにも関わらず、女性がキャリアを続けるには、未だ多くの代償があるというのは、皮肉だ。私もこれは特にここ1年、身に沁みて感じていたことであり、30年を振り返ると失ったものは大きかった。

それでも何故ここにいるのか。
やっぱり仕事が好きだから。
この短い人生の中で、情熱を持てる仕事に就けることは幸せなことなのかも。

そして今まさに時代は次の激動期に入り、AIが文章も議事録もプレゼンも画像も動画も何でも作ってくれる時代になった。
原動力だった「情熱」の存在が脅かされている。魂の入っていない空っぽのものが増産されていく。この現実を目の当たりにし、虚無に近い感情を味わうことも増えたけれど、「情熱」は人間にしかない感情であるのは確かだ。

人間が人間であることが、
情熱に突き動かされ、困難なことにも果敢に挑戦し、失敗もしても立ち直って、喜怒哀楽に全部丸ごと、心揺さぶられる体験こそが、人間に残された価値であって、最高に愛おしいのではないか。

あ、これ。
まさしく最後に映画が伝えていたことだ。


私たちは、この激動の時代を駆け抜いてきた。
どんなに時代が変わっても大切なものは変わらなくて。
喜怒哀楽を丸ごと味わう「体験」や
突き動かす「私たちの情熱」は、
これからの時代を生きる最大の武器になる。


風が強い日の、夜は嫌いだ

真っ暗闇の外を強風が吹き荒れる
唸るように響く風の音が物々しく
世の中をかっさらっていきそうで、怖い

「そんなのへっちゃらだよ
波のように吹き荒れる風に乗って
世界中を旅することを想像したら
なんて楽しいことでしょう」

以前の私なら、そう言った

楽しいことに変換するのが好きだから
なんでも楽しくさせてみせる

けど、そこに置き去りにしていた
心はないかい?

蓋をしていた心は、ないかな
蓋をして隠れていた子は、いないかな
怯えていた子は、いないかな

ただただこの風の音の中を
唸るような風の中で
古びいたトタンの壁が
強風に煽られてバタバタと音を立てる
壁が剥がれて
屋根がめくれて
飛んでいっちゃうんじゃないかと
布団をかぶって怯えている

でもきっと
お父さんが助けてくれるから
何があっても絶対に
私たち兄妹とお母さんを助けてくれるから
大丈夫だから
と心の中で言い聞かせる

夜勤でお父さんがいない時は
怖くて怖くて怯えてたな
か弱くて細いお母さん1人じゃ
私たち兄妹を助けてられない
私たちも闘わなくちゃ


古びた家は更に古くなって
父も母も高齢になった
私が家族を守る番がやってきた

唸るような風の音を聞きながら
思い出す昔の記憶を書いておく




昨日は、昨年春に卒業した
放課後デイと短期入所の事業所さんが
開催してくださった運動会にOB参加して来ました。

廃校になった学校の校庭と体育館を
貸し切ったこともあり、めちゃくちゃ本格的!
運動会の旗も校舎のベランダから
校庭の端まで飾られていて、
子供たちが大きくなった今、
運動会に行く機会もなくなっていたので、
この雰囲気も久しぶりに味わった!

こんなにも素敵な企画をしてくださり、
スタッフの皆さん達の
利用者さんに楽しんでもらいたい!
という気持ちがこもった、
元気いっぱいの運動会でした。

一年ぶりに会ったスタッフさん達に
モコの元気な姿を見せることができて、
そして私も久しぶりにお話することができて、
とっても楽しい時間でした。

モコは昨年の春、
支援学校高等部卒業と同時に、
4月1日から別の施設に入所しました。
入所する最後の短期入所の日、
モコを迎えに行った時。

この事業所を
最初にお世話になった時のスタッフさんが、
当直の担当でいらっしゃって。
「今日が最後で、もうここに来ることはない」
その寂しさと、
これから入所する事の不安な気持ちも含め、
大粒の涙が溢れおちて、
大号泣だった日を思い出した。

小学校4年生から短期入所を始めた。
その頃は、なんでまだこんなに小さいのに、
普通の子だって親に甘えたい年なのに、
1人で泊まりに行かないといけないんだろうと、
小さな大冒険に胸がきゅっとなった。

それが、後の宿泊学習や修学旅行に活きてくる。
そして施設入所にも繋がっている。

いずれ遅かれ早かれ親元を離れる我が子たちの
練習の場であったこと、
自分の居場所を見つけていく土台づくりだったこと。

そしてもう一つ、
親の介護の負担を短期入所を利用することで、
少しでも軽減する目的もあることは、
身体が大きくなって力がついてきた後に
その恩恵は有り難く感じることになる。

限界がきた時に
いざ短期入所先を見つけるのは辛い。
見つかったとしても、
本人がそこに直ぐ慣れるわけではない。
だから余裕のあるうちから、
探しておくことは大事なこと。

これは、施設入所も同じことが言える。
限界がきた時に、
例えば親が高齢で見られなくなった時に
いざ入所先を見つけようとしても見つからない。
特にモコのような強度行動障害がある場合は、
入所施設を見つけるのは非常に難しい。
何十年待ちとも、百人以上待ちとも聞いた。
県外、地方を超えて探しても見つからない。

しかもいざ探そうと思った時は、
親も動けなくなっている可能性もある。
もし入所先が運良く見つかったとしても、
本人はいきなりそこでの生活に放り出される。
慣らす、慣れる期間もないまま。

短期入所を決めた時も
施設入所を決めた時も、
決めるためにかなり強引に
背中を押してくれた相談員さんは
百人以上見てきた中で、
私たち家族に最良の道を示してくれたんだ。

こんな近くに入所できたこと、
運良くタイミングが合ったこと
決断できたこと。
断腸の思いだったけど、全部が奇跡だ。

当時は気づかなかったことが、
今は分かる。

毎週土日に帰ってくるモコは、
最近は2泊から1泊になった。

入所する前は、あれだけ365日、
3日連続徹夜は当たり前の日々を
10年以上モコと共に歩んできたけど、
あの時365日大丈夫だったのは、
気が張ってたからなんだなぁと、
今は分かる。

スーパーマンだと思ってた。
のは、勘違い。

モコは施設ではぐっすり寝るらしいけど、
家に帰って来るとやっぱり全然寝ない。
明け方まで大興奮。
週に1回だけど、この週に1回の寝不足も辛い。
よくやってたなぁと、今は思う。

もしかしたらモコにとっても、
施設入所したことで、
ゆっくりできる自分の居室ができて(2人部屋)
落ち着いて過ごせる自分の居場所ができて
良かったのかもしれないなぁ。

と、思う。



特別支援学校中学部を卒業されるダウン症のお子さんのお母様から、
日本ダウン症協会さんを通じて連絡をいただきました。
(“勇敢な赤ちゃん”は、日本ダウン症協会発行の
ダウン症児の子育て手帳「しあわせのたね」にも
掲載されています)

今年の春、盲学校中学部を卒業するにあたり、
お世話になった先生方へのサプライズDVDに、
“勇敢な赤ちゃん”の詩を動画に載せたいというご連絡でした。

このお母様は、生まれてからの15年、
“勇敢な赤ちゃん”の詩に支えられたと、
その想いを伝えてくださいました。

「“勇敢な赤ちゃん”は、
いつまでも私を支える存在であり続けます。
いろんな困りごとはありますが、
結局、ああ、この子はすごいんだな、
と思えるこの詩が大好きです。」

なんて嬉しいお言葉に、
私もなんだかじんとしてしまい‥

先週無事に卒業式を終えたとご連絡をいただき、
ブログへの掲載許可をいただきました(*^^*)

“勇敢な赤ちゃん”を15年もの間、
愛してくださり、
大切な卒業という日に選んでくださったこと、
こうしてご連絡をしてくださったこと、
繋がってくださったご縁に感謝。

しかも私への連絡先が不明になっていたため、
日本ダウン症協会に問い合わせてくださり、
私と繋がっている人はいないかと探してくださり、
ダウン症児のお母様を通じてご連絡をいただきました。

連絡先がなかったことに申し訳なく、
でもこうしてみんなで繋いでくださって、
そのことにも温かさが溢れて感動してしまった。

たくさんの想いが繋げてくださったご縁。


今日のよき日に
ご卒業、おめでとうございます(*^^*)
卒業式という晴れの舞台に、
“勇敢な赤ちゃん”を添えていただき
とても嬉しいです。

高等部も、最高に楽しく
充実した3年間を過ごせますように(*^^*)
願っています。



☆★☆★☆★

タイトル“勇敢な赤ちゃん” 
(2007年7月30日・モコ当時5ヶ月) 



ダウン症の赤ちゃんは、 
育てられる人のところにしか産まれて来ないって。 

私、選ばれた。 

なんて思ってたけど、最近ふとこんな事を考えた。 

1000人の、これから産まれる赤ちゃんがいます。 
この中で、誰か一人だけ、障がいを持って産まれなければなりません。 
みんなためらう中、勇敢な一人の赤ちゃんが、名乗り出ました。 

「みんなが嫌なら、ぼくが障がいを持って産まれます。 
ぼくは障がいがある事が不幸ではない事を知っているから。」 

勇敢な赤ちゃんに心を打たれた神様は、 
その赤ちゃんに、障がいと一緒にたくさんの幸せを持たせてあげました。 

そしてとびっきり愛してくれる家族のもとへ 
舞い降りられるように。 


それが、モコ。 
モコがあえてダウン症を選んだの。 
勇敢な、私の子だから。 

あなたの元に舞い降りた、勇敢な赤ちゃん、 
大切にしてくださいね。 


☆★☆★☆★

でも、きっと障害があってもなくても、
誰もがみんな、自分の人生に果敢に挑戦する “勇敢な赤ちゃん”です。






明けましておめでとうございます!


昨年3月、モコが支援学校を卒業。

4月から、施設に入所した。

と言っても毎週末は帰って来ているので、

今はそんなに淋しさはない。


モコが入所して生活が変化した以上に

色んな事が変化して、課題が盛り沢山。

まだまだ続きそうな今年も

まあ、そんな時期もあるよね!

っていう気持ちでいこうと思います。


今年もよろしくお願いします!



先週、
特別支援学校の卒業式がありました。

小学部1年から2年間通った
肢体不自由の特別支援学校と、
小学部3年から高等部3年まで通った
知的障害の特別支援学校と。

特別支援学校で過ごした計12年間が、
ついに終わりを告げた卒業式。

でも12年間だけじゃない、
高等部卒業の18歳という歳は、
成人の歳でもあるから、
それは特別な意味を持つ。

モコは4月から施設入所するので
尚のこと、本当の意味で、
「自立」なのだ。

施設入所は小学部4年生頃から
別の入所施設で既に
レッドカーペットが敷かれ、
「在学中の何処かのタイミングで
入所した方が良いだろう」と、
多方面から勧められてた。
それほど限界に近かったということ。

でもなんとか18歳、
多くのサポートを受けながら、
高等部卒業するまで自宅に在られて、
もうなんだかそれだけで
花丸だったんじゃないかと、
そう思えるんじゃないかと
思ってみるも、

一方で、
あと数年は自宅で過ごせたかな、
せめて二十歳になる頃までは
一緒にいられたんじゃないか、
有難いことにその選択肢だって
残っていたじゃないか。

選べたのに選ばなかった決断をしたのは
家族のことで色んな事情が
絡み合っているからなのだけど、
それでもやっぱり
入所になる寂しい気持ちは
この決断をした私にのしかかる。

すべてはタイミングだから、
これで良かったのだと
いつか思える日まで、
この気持ちに
折り合いをつけていくのだろう。


今日最後の短期入所、
小学部4年生からお世話になった
短期入所の事業所に
モコをお迎えに行った。

この事業所は土祝の放課後デイでも
お世話になっているので、
正式には今日で最後ではないのだけど。

もうぼろぼろ涙が溢れて、
悲しすぎた。

学校も放課後デイも、
卒業と同時に卒業になるので、
致し方ないことではある。

でも短期入所事業所は、
施設入所しなければ卒業後も
ショートステイを利用していたはずだ。
今日が最後になったのは
施設入所を決めたから。
(この短期入所事業所と、
モコが4月から入所する事業所は
異なる)

私が決めた選択だけど、
だからこそ揺らぐ。

小学部4年生で初めて
ショートステイを利用した時、
こんなに小さいのに(園児の大きさ)
同じ年齢の子はまだ甘えたい年頃なのに
なんでモコは1人でお泊りを
しないといけないのだろう。
と、胸が締め付けられる思いがした。

でもお陰で宿泊学習も
問題なく行って来れたし、
何よりも施設入所に繋がっている。
もう何年も前から
自宅以外の場所で過ごす
練習をしてきたんだよね。

「最初に利用した頃は
3人がかりで入れてたお風呂も、
昨日は一対一で一緒に入れました。」

成長したね。
練習いっぱいしたね。

もうここに来ないね。
寂しいね。

でもモコのことを
これからも応援してくれる人が
いっぱいいるから、大丈夫だね。

あと入所まで2週間。




前回の記事で書いた。
卒業したらキレイさっぱりな友達と、
いつまでも未練を残す私と。

私がこの時感じた未練は、
“学校”に対するものだった。

私はモコが在学中、
PTAの仕事を楽しんできた。
特に会長になった年は
最高の戦友と一緒に、
楽しい事を沢山してきた。

役員に立候補してくれたママさんが、
「以前役員をやった時、
この学校のPTAは他と違って楽しかった。
かんさんがいるから、また役員を
やりたいと思って立候補した。」
って言ってくれた。

PTAの存在意義が
議論されるこのご時世、
役員になる人なんていない中、
こう言ってくれる人がいて、
凄く嬉しかったのを胸に刻んでる。
PTA会長、やって良かったなって。
この時が1番それを強く思ったかも。

そんな風に
学校にはどっぷり浸かってる。
思い入れがある分、
寂しいのは当たり前か。

もしここまで浸かってなかったら、
学校と私の関係性は
肩の荷降りてさっぱりする程度に
卒業してただろう。

そう、ここに。
感情に深く触れた分、
私はそれを“未練”だと感じた。

頑張ってきた分の
誇りがあって。

いや、誇りなんて
大袈裟なものではないけど、
確かに私の人生の中では
大きな、充実した時間だった。

それを“未練”と感じたけれど、
未練なんかじゃなかった。
残っているのは
楽しかった達成感と、
思い出。

過去の“誇り”を
現在進行形にしてたら、
それは執着になって、
過去に生きてるままだから。


想いを込めた分、頑張った分、
それだけ多くの深い繋がりができて
本部で私1人だけ卒業しちゃう寂しさが
あるのも事実だけど。

年度が終わったらパパッと散って、
そのくらいが丁度いいって、
いつか先生が言っていた。

新しい年度が始まる。
忙しない毎日が
あっという間に過ぎて行く。

そんなものかもしれない。
忙しい方が寂しさは紛れる。

モコが入所してしまう寂しさが
ずっしり乗っているから、
それ以外の部分にフォーカスする事で
もう1つ大切だった「学校と私」を、
また別の気持ちを整理する。

みんな前に進む。


数ヶ月後、
私はこの記事を
どんな思いで読み返しているだろう。

多分少し懐かしく。
未来を歩んでいる。




今日は特別支援学校
最後の授業参観の日。

小学部1年と3年以外の10年間、
ずっとPTAに関わり優先していたので
有給は全て役員関係で使い切り、
学校行事には殆ど参加できてなかった。

今年度は、12年間で最後の1年。
本部役員も第一線を退いたので、
この1年は可能な限り、
全部の学校行事に参加しようと
決めていた。

学校に来るとまずは
先生方の熱量と温かさに
毎回感動させられる。

今日の授業参観は
学年レクと聞いていたので、
しっぽ取りゲームを期待して、
動きやすい服装の方が良いか
連絡ノートで聞くと。
まさかの調理実習!!

愛情こめて作ってくれた料理を
生徒が親をエスコートする形で
親子で机を並べて食べた。
修学旅行のスライドショーを観ながら。
なんて感動的な素敵な授業なんだろう。

その間、モコは2回も
ジュースの入った紙コップを
払いのけて床にこぼし、
その都度先生が拭いてくださった。泣
そんな場面を予測して
今日は汚してもいいように
ベンチコートを着てきたの正解。
(因みに修学旅行先のユニバで、
「お母さんに」とお土産でもらった
カチューシャも着用して行った。
ここと役員会でしか使う機会がない。笑)




今日の懇談会で
卒業に向けてのお話があった。

今まで何か困った事があったら
真っ先に学校に相談してきた。
頼りきってきた学校が、
卒業したらもうない。

これからは、
相談員さんや福祉課に
相談することになること、
その現実を改めて確認した。

学校もそうだし、放課後デイも。
モコの場合は入所になるので、
生活サポートも。

頼みの綱が一気になくなる不安は、
色々書いている通り、大きい。

でもまた新しい環境が始まって、
新しい出会いもあるが、
事業所の数という面では、
1対1のお付き合いだ。

お友達(モコの同級生ママ)
が言った。

「卒業したらキレイさっぱり」
(縁が切れて良い)

カッコいい!!!
私は未練ばかりなのに、
こんなにあっさりスッキリと。
その潔さに感動した。
こういう生き方も
すごく素敵だと思った。

以前先輩ママさんも言ってたっけ。
「もう早く自立してもらわないと。
私は私の人生を生きるから」
今はママも息子さんも
平日は離れた場所でお互い楽しんで、
生き生きしてる。

福祉課の方にも言われた言葉。
「お母さんはこれから
お母さん自身の人生をどう生きるかです。」

知ってるよ。
「モコの人生はモコのもの、
私の人生は私のもの」
そう書いてきたもの。
伝えてきたもの。

現実は、今まだそこまで
気持ちは追いついていないけど。

けど、まあ、
多分すぐ慣れる。

18歳、
普通の年齢の18歳だったら、
一人暮らしを始める子もいるのだから、
それと同じこと。


親離れ、子離れ。

そう簡単にはいかないけれど、
時間は、近づいてくる。






中学生の頃からの友達が
久しぶりに年賀状以外の手紙をくれた。
「かんちゃんの夢を見た」と書かれていた。

「かんちゃんは大学で勉強しつつ、
モコくんを社会と
社会とモコくんを
モコくんと私たちを自然と繋げる
そんな環境を作っている。
障害があろうがマイノリティだろうが
当たり前のようにいられる
受け入れられる
そんな活動をしている。
そんな夢でした。」

ハッとした。

私、母親になった時、
子供が18歳になったら
一緒に大学に行こうと思っていたんだ。
奇しくも最後の末っ子のモコが
明後日、18歳になる。

手紙をくれたお友達は、
私が、モコが生まれて数年間、
色んな活動をしていた事を
知ってくれていたと思う。
多分そこからの未来を描いてみると、
友達が夢で見てくれたような未来を
私は歩んでいたはずだ。

あれ?
そうなっていないぞ。笑
どこから道がズレた?

目の前の育児に精一杯だったから?
管理職のキャリアを選んだから?
気づいたらトリプル介護だったから?
はたまた、PTAに夢中になりすぎたか?

気づいたら、4月から
モコがいなくなっちゃうじゃん。

友達が夢に見た
架け橋のような存在だったり
コミュニティだったりは、
私はゆるりと実現したいことだ。

その中心となるモコがいなくなる。

‥なるほど分かったぞ。

2つ前の記事に書いた
全部の事業所を卒業して
縁が切れる寂しさは、
単純に縁が切れる寂しさと、、

これだ。

何も成し遂げてない、という現実と、
成し遂げる武器になる(架け橋になる)
モコが入所してしまう、という現実。
(↑気付くの遅い。笑)

焦りというべきか
諦めというべきか
無念というべきか
絶望というべきか
降参というべきか。

今からこれを実現しようとすると、
今まで当たり前にあった、
モコと常に一緒にいる環境とは
異なることになる。

架け橋となるモコと
お互い自立した関係を構築しながら
私がコミュニティに入っていく必要がある。

ということか。


そんな思いが
思い起こされたことを
ここに書いておこう。





モコには睡眠障害がある。
昼夜逆転、というか
常に絶好調で起きている。

歩き回る時は夜中でも、
家の中の大きな家具を倒したり
イタズラし放題なので、
歩くモコを後ろから抑えながら
私も一緒に歩かなければならない。

そんな状態で
夜中も歩いていた私、
寝ないまま仕事に行き、
3日連続完徹は当たり前な毎日だった。
それが10年以上続いていたので、
もうそれが普通の感覚で。
(モコが歩かない時は
一緒に横になってうとうとできる)

3日完徹しても
会社でも元気なので、
寝てないのが不思議なくらい
「何処にそんなパワーがあるの⁈」
とよく驚かれていた。

私もスーパーマンだと思ってた。
(でもその後に大きな事故を起こし、
慢性疲労だったことを思い知らされたのだけど)

今は、
1年半前から飲み始めた薬の効果で
モコの睡眠障害はだいぶ改善されて、
一晩中起きている事は滅多になくなった。
(薬の服用には抵抗のあった私が
服用に至った経緯は、また書く予定)

それでも今年に入ってから
少し睡眠が乱れてきて、
24時過ぎくらいまで歩いている日も
少し増えてきた。(時々明け方まで)

そんな時はまた、
真夜中のおうちパトロール。
これが少し懐かしい。
あと何回、できるだろうか。

家の中だけならまだしも、
中学部の頃は真夜中の外に
散歩にも行ったっけ。

夜中の2時頃に庭のブランコに乗って
何時間も揺れていた時も、
まだ夜が明けない真っ暗闇の中、
3時に起き出すお豆腐屋さんの明かりを
横目に、てくてく歩いた時も。
耳が凍えて千切れそうな真冬も。
何時間も、何時間も。

全部が懐かしい。
今同じことをやれと言われたら、
多分もうできない。

あの時は
なぜそんな毎日にへこたれずに、
全部を笑いに変えて、
そんな毎日も逞しく生きていけたのか、
私は知っている。

「終わり」があるから。だ。

モコの育児は前述の通り
本当に大変だったので、
小学部4年生頃から、各所から
施設入所を勧められていた。

レッドカーペットを敷かれた状態で、
常にスタンバイしてくれていたような。

どちらにしても、
この状態では1人では見られなく、
更に私の仕事もあったことから、
モコの育児(要介護)は、
常に私と母の2人体制だった。

どちらかが倒れたらそこで強制終了、
その瞬間から家で見る事は難しく。
その時はいつ来てもおかしくないと、
常に覚悟をしていた。

小学部4年生の頃は、
中学部からは入所するかもしれない
と思っていたし、
中学部に入った頃は、
高等部からは入所するかもしれない
と思っていた。

でも小学部も中学部も高等部も
何とか綱渡りをクリアできて、
無事に12年間を自宅で過ごせた。

障害のある子をもつ親は、
遅かれ早かれ、
いつか別れる日を迎える。

モコはそれが、
ちょっと早くなる。
それを常に「覚悟」してたから。

この「一緒にいられる幸せ」は、
「今だけの特別な」時間である事を
腹の底から知っていたから。

一緒にいられる時間が
他の子たちより
短いことも。

終わりがあるから、
だから頑張れたし、
思いっきり楽しめた。

この瞬間を
噛み締めるかのように。


でもこれって普通の育児も同じ。
育児真っ只中の時は、
目の前の事が目まぐるしくて
それどころじゃないけど、
過ぎてしまえばあっという間で、
あの頃の子供たちも大人になっていく。

育児も期間限定の20年、
特別な時間だったんだなと思う。


多分これ、人生も同じ。

いつか迎える終わりがあるから、
今、思いっきり泣いたり笑ったり、
怒ったり楽しんだり、
できるんじゃないかと。

喜怒哀楽を全部味わいつくして、
生きている醍醐味を
とことん愉しむことができたら、
それって幸せなことかも。

だから頑張れる
この瞬間を
噛み締めて生きる。