使命を知り現実を変えていく
アラフィフ女性のための
スピリチュアルライフコーチ ・ヒーラー
福山智子です。
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人生初の精神科は
やりがいのある仕事だった。
が、実は、
勤務初日から
看護師の先輩たちは
何やら仕事が終わってからが
忙しそうだった。
2~3日たって、
「病院機能評価」を受ける
準備の真っ最中だったことを知った。
機能評価の認定を受けると
信頼できる病院として名があがる。
先輩たちが取り組んでいたのは、
フォーカス・チャーティングという
新しい方式で
看護記録を書くことだった。
先輩たちに聞いても
よくわからなかった私は、
救急救命士のテキストを購入した
大型書店へと、またもや
市内まで慣れない道を車を走らせ、
2冊の本を購入した。
今なら、アマゾンで
翌日届くところだが、
15年前はそんな環境にはなかった。
注意点がいくつかあるだけで
むずかしいものではなく、
一気読みした私は、
試行錯誤し、楽しみながら
患者さんの記録を書いていった。
いつの間にか、
「教えて」と言われるようになったのが
とても不思議な感覚だった。
半年ほど経ったある日
看護部長室に呼ばれた。
そして、
業務改善委員会の
委員長をさせられることになった。
入ってまだ半年で
できるのか不安はあったが、
お世話になっている病院で
自分が役に立つのならと
引き受けることにした。
無口で
コミュニケーションが苦手で、
論理的思考が苦手な
マイペース人間の私は
相変わらずいるのに、
できることが増えていくのは
楽しいことでもあった。
毎月の委員会の開催の前に
各委員会の業務改善について
確認しなければならなかった。
改善を重ねていることの証明が
必要だったのだ。
だが、それは、
単なる始まりに過ぎなかった。。
委員会にもなんとか慣れたころ
また看護部長室に呼ばれた。
今度は…
次回につづく……
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