使命を知り現実を変えていく
アラフィフ女性のための
スピリチュアルライフコーチ ・ヒーラー
福山智子です。
前回のお話はこちら
↓↓↓
布団で眠ることのなかった1ヶ月は、
後にも先にも、この1回だけだった。
あの時の私の頭の中には、
その選択肢しかなかった。
今回はいいやと、
あきらめることなど
思いも浮かばなかった。
そもそも、私の中に
「あきらめる」ということが
最初から入っていなかったのかもしれない。
おそらく
それも計画通り。
学びのための
コインの裏側のシナリオ。
人生において、ほとんどの人が
今世の人生の目的を果たすために
コインの裏側の体験を
人生の前半に
そして、
コインの表側を
人生の後半で
体験するように
人生のシナリオを描いていくる。
60歳を過ぎた今は、
無理に我慢して頑張ることが
良い結果を生まないことを知っている。
私にとって頑張ることは
コインの裏側の体験だったのだろう。
だが、
あの頑張りが
何かあった時の、
「やればできる」
という私の
自信(自分に対する信頼)に
つながっているのも確かだ。
当時、
「頑張らない」という選択肢を
持たなかった私がどうなったか
ケアマネージャーの資格を取った
その後を
改めて振り返ってみたいと思う。
介護保険の訪問調査の後は、
自分の机のパソコンに
調査内容を入力するのが仕事だった。
パソコン教室に通ったおかげで
できた仕事だった。
私の机のすぐ後ろは、保健課。
生活の見守りを必要とする人の話が
ときどき聞こえてくる。
その中でも頻繁に出てくる
地域の精神科病院の院長の話が
とても気になっていた。
いろんな困った人たちを
支払いができなくても
受け入れてくれるというのだ。
実は、
私は精神科が苦手だった。
看護学生のころ、
精神科の実習は、
自分と向き合わざるをえないから
きつい、と先輩から聞いていた。
山に囲まれた佐賀の肥前療養所は
今は、
肥前精神医療センターになっている。
学生全員で福岡から移動し
確か2週間ほど
宿泊しながらの実習だった。
脳の中は、
外科のように切って
中を見るわけにはいかない。
レントゲンで映るわけでもない。
短い期間の中で
はっきりとした手応えを
感じることのない実習だった。
精神科は、そんな印象の
苦手な分野だったが、
たびたび保健課から聞こえてくる
その精神科の院長の話が
とても気になっていた。
町役場の訪問調査員の仕事は
1年契約だった。
更新するか、そのまま辞めるか
返事をしなければならない時期にきていた。
次回につづく……
↓↓↓