関西の葬儀の闇 -31ページ目

関西の葬儀の闇

関西地方の葬儀業界の闇をご紹介!

葬儀は要らない


急に何を言い出すんやと思われるかもしれませんが、最近の宗教者の態度を見てたらこう思うしかないと思うんです。

そりゃ中には立派な人もいます。
それは認めます。
でも大半が腐り過ぎてるし、自浄作用があるとも思えない。
そもそも日本の仏教は聖人面してますけども、大乗仏教と呼ばれる種類です。


これはどういう事かというと私の解釈になりますが、大乗仏教のお坊さんは仏陀の境地には至れないと判断した人たちの集まりです。
どういうことかというと

仏陀の教え自体は正しい。
しかし自分がいくら努力をしてもその境地へとはたどり着くことは非常に困難である。
では自分達は仏陀の教えを広め他者の救済に当たろうと考えた人達という事です。

私はこの考え自体は良い事だと思います。
しかし今のお坊さんの何がダメだと思っているのか。

それはじゃあ何で袈裟着て偉そうにしてんの?
って所です。

極論かもしれませんが、あなたたちってただの勧誘員ですよね?
皆さんも遭遇したり人づてに聞いたりしたことがあると思うんですけども、宗教の勧誘に出会ったことってないですか?
あの人達と一緒の立場って事ですよね?

その人たちを先生と呼んでちやほやしてるってことですよね?
それはちょっと違うくないですか?

酷い言い方になるかもしれませんが、マルチ商法の売り上げ良い人達を神格化する現象となにが違うんでしょうか。


100歩譲って少しでもストイックに生活しているならまだわかります。
でも多額の寄付集めて自分の為の宗教施設を大きくして、高級車乗り回して良い物食べて・・・

昔は寺小屋をして勉学を教えたり、政府や幕府と協力して戸籍管理したり、孤児や貧困にあえぐ家庭の子供を預かったり、大人数のお坊さんを住まわせて地域の為に活動したりとしてましたが、
今ってなんかやってます?

誰がどう見ても馬鹿でかいお寺建てるのにそこに居るのは自分の家族だけ。
代々自分達の財産の様に受け継いで、よそ者のお坊さんは1人として居ない。


そんな私利私欲にまみれた人がこんなにも時間が経っているのにいまだに現代語訳すらせずに葬儀で誰も理解出来ない言葉でお経をあげる理由は何なんでしょうか?

しっかりと万人が納得する理由を教えて欲しいです。
正直個人的には雰囲気だけだと思っています。

しかも浄土真宗でよく使われる正信念仏偈というのがあります。
これはよく葬儀の場でも使われるのですが、みなさんその実態は知らないと思います。

これってお釈迦さまの言葉ですらないんです。
これは親鸞という浄土真宗の開祖が書いた今でいう所の歌です。


内容としては俺は阿弥陀の教えに救われた!
だから皆も信じてみようぜ!

この教えを色んな人に紹介したのが7人も居るぜ!
こいつらはこんなすごい事もしたんだぜ!

ってな感じです。


阿弥陀さんが一体どんな教えを説いてくれたのか。
その事には一切触れてないんですよね。
せめて阿弥陀さんが何を言ったのか教えてくれません?

そりゃこんな内容を現代語訳して葬儀の場で歌いだしたら大批判ですよ。
すごいすごいと褒めちぎってるだけで何がすごいのかどうすごいのか一切語られてないんですよ。

それっぽい事をするために葬儀の場でわからない言葉で言ってるだけでその実、中身は宗教の勧誘なんですから。
お釈迦さまはあの時こうしなさい、ああしなさいと言ってましたよって内容ならまだ救いがあると言われても判りますし、葬儀は参列者の為にあると言われても納得できます。

そんな赤の他人を褒めちぎる内容の歌を歌って偉そうにして、はいじゃあお布施くださいとかあんた何言ってんの?ってお話しですよ。

むしろ宗教勧誘の場を提供したんだからお坊さんがお金払う立場でしょうが。


私はこんな人達はもう故人最後の場には必要ないと思います。
しかし故人との思い出を語る場、故人との別れの場は必要だと思います。
そのためには葬儀を無くした告別式をしっかりとするのが良いと思っています。

皆さんもなんとなく周りがやっているからと流れに身を任せて葬儀をするのではなく、
故人の為に、自分の為に良く考えて故人との最期を迎える場を作るように心掛けませんか?