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漢方堂だより

ヨガ 気功 健康法

ヨーゲシバラナンダ大師は、。弟子の人たちの話を聞く限り、並はずれた超能力の持ち主だったようで、日常的にその力を使っていた。人の過去の経験を読み取ったり、遠く離れた場所にいる人の様子を見たり、病気を治したりできたという。

 

だが、よっぽどのことがない限り、人に頼まれてもその能力を使うことはなかったようだ。

 

正直なところ、わたしは日本のヨガ教室でやっているような、健康や心のやすらぎのためのヨガにはほとんど興味が無かった。わたしの望むものは、神秘体験であり、それに付随する超能力だった。それを得るために、ヨガをやっていたといってもいい。

 

星 今思えば、当時の私は目標を失い、常に不安で縁があればオウムに入っていたかもしれない、理想を追い求める危うい人間だったかもしれない。

 

 

だが、大師は講話の中で、「ヨガの行を続けると超常的な能力が発現するが、あるレベルに達するまでは決して人前で見せてはならない」といましめられた。なぜなら「人からちやほやされると、本来のヨガの目的を見失い、修行の妨げになるからだ」そうだ。

 

部屋で一人こっそり楽しむならいいそうだが、超能力を人前で見せず一人で楽しむだけなら、何の意味もないような気がした。わたしは神秘体験をしたかったし、人から注目される超能力者になりたかったのだ。

 

 

 

         

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大師のように、ヨガの修行をして悟りを開くのは相当難しいようだ。ヨガの入門式に来ていた40年来の大師の弟子という人に聞いたところ、大師には延べ数百人の弟子がいたが、ヨガの修行であるレベルにまで達したのはそのうち4・5人ぐらいだという。

 

つまり、ほとんどの人はまじめにヨガの修行しても、物にならないということだ。そういえば大師も講話で、「他の者が私のようにヒマラヤに籠ってヨガの修行してもうまくいかない。何故なら、わたしが成功したのは、神から選ばれた人間だからだ」と身も蓋もないことを言っていた。

 

また、「仕事や家事がある在家の者は、1日3時間以上ヨガの行をしてはいけない。3時間以上すれば社会生活に支障をきたすからだ」とも言われた。自分はヨガ三昧の生活をしていて、人にはあまり修行をするなといわれても、何か矛盾している気がして納得いかなかった。

 

 

 

                      

 

 

星 近寄りがたい雰囲気のヨーゲシバラナンダ大師だったが、超能力以外の面でもすごいと思ったことがある。

 

それは大師が死後の生を体験から確信していたことだ。大師の修行体験によれば、人間には肉体以外に魂や霊的な体があり、人の死は霊体に包まれた魂が、体外に離脱するだけなので何の心配もないということだった。

 

それに関しては、印パ戦争の時の大師の体験を聞いたことがあるが、その内容は他で書いているし長くなるので省略する。

 

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パハルガムには2カ月近くいたが、大師のもとでヨガの修行をするうちに、超能力や悟りに対するわたしの気持ちにも変化があったと思う。また、わたしは禁欲生活をするつもりもないし、ヨガに励んでもごく一部の人しか悟れないなら、ヨガの修行をする意味はあるのか疑問に感じた。

 

星 それに、インドのヨガはヒンドゥーの教えと深く結び付いているので、日本人がそのまま受け入れるのは難しい。

 

インド人は日本人と同じぐらい超能力や現世利益が好きだが、それを満たしてくれるのはインドでも新興宗教であり、伝統的なヨガではない。ヨガ修行の目的はあくまでも宗教的な悟りであり、現世利益ではないのである。

 

そんな訳でパハルガムを去る頃には、私のヨガに対する情熱も超能力熱も少しさめてしまった。その後、わたしインド国内を旅行し、いくつかのヨガ道場に滞在したり、チベット仏教や文化が残るラダック地方にも行ってみた。そして、インドのビザが切れそうになったので、日本には帰らず今度はイギリスに渡った。

 

ヨガの大師に指導を受けるため、列車とバスを乗り継いで、リシケシのヨガ道場からパハルガムまでやってきた。パハルガムはインド・ヒマラヤの中腹にあり、標高2400mの高原の避暑地である。昼間も涼しく酷暑のリシケシとは比べれば天国のような場所だった。

 

到着後、ヨーガ・二ケタンの支部を探して尋ねると、一足先に来ていたKさんが待っていてくれ、ヨーゲシバラナンダ大師に紹介してくれた。長年ヒマラヤに籠って修行を積み、すでに80年もヨガを続けている大師は、すでに95歳だったが、顔や手足に皺もなく威厳があった。

 

ただ、大師は常に笑顔だったが、目は笑っていないのが少し怖かった。驚いたのは、最初にお会いした時に、感電したように全身が痺れてしまったことだった。大師の身体から、すごい気を発していたからだと思う。挨拶後、わたしは許されて支部の敷地内でテント生活をすることになった。

 

無事に対面を果たした後、Kさんに連れられ町まで降りてゆき、自炊生活に必要な物を買い揃えた。そして、業者にテントを借り、設営を依頼した。テントといってもかなり大きなもので、内部は四畳半ぐらいありベットを置くことかできた。     

 

 

 

                                       

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パハルガムの支部には30人ぐらいの弟子や信者が来ており、外国人も数人いたと思う。ヨガの指導は、雨が降らねば屋外の支部の広大な敷地内で行われた。ヨガの体操や呼吸法は弟子が教え、大師は瞑想中心のの指導をされた。それが終わると、最後に大師の講話があり、質疑応答も許されていた。

 

大師の指導は独特で、一人ひとりに瞑想で何が見えたか聞いてゆく。大師には超能力のような特殊なパワーがあり、大師が送るパワーで瞑想中に参加する者の脳裏に、光や様々なイメージを見せることかできた。大師は瞑想中に見えたものについて解説し、質疑があればそれに答えた。

 

人によって「七色の光が身体を駆け巡った」とか、「尾骶骨あたりにハスの花に乗った白い象が見えた」とか、ユニークな体験が聞けて面白かった。わたしの場合は、たいてい輝く群青色や黄金の光が脳裏に見えただけだったが・・

 

二・三日して結縁潅頂が行われ、多くの人がその儀式に参加した。それはインド・ヨガ独特の入門式のようなもので、弟子になることを誓い、師匠に頭から水をかけてもらう。それが終わるとヨガネームという、オウム真理教のようなヨガ行者としての法名をもらい、正式に師弟関係が結ばれる。

 

 

 

ヨーゲシバラナンダ大師

 

 

わたしの場合は入門はせず、大師に祝福を受け額に手で触ってもらっただけだったが、頭部に触られた途端、尾骶骨から背骨を通って何かエネルギーが上昇してきた。おそらく、ヨガで言われるクンダリニー現象というものだったのだろう。

 

わたしは日本にいた時に我流でヨガの修行していたので、エネルギーが上昇しりやすかったのかもしれない。すでに日本でクンダリニー体験をしていた。

 

パハルガムでの生活は快適だった。自炊生活だったが、気候も温暖だし、花が咲き乱れ景色も良かった。それに近くには青色のインダス川の支流が流れていた。時々わたしとKさんは、気分転換にてんぷらのような日本食をつくって食べたりした。箸は木の枝を削って作った。

 

インドでヨガを習って感じたことは、日本のヨガ教室のような懇切丁寧な説明や指導はないということだ。あくまで自習でヨガの修行に励み、分からないことがあったり壁にぶち当たった時に、師匠に個人的に相談に行き指導を仰ぐのだ。

 

ヨーゲシバラナンダ大師も、最初のうちは師匠について修行したそうだが、その後は、60歳で請われてリシケシに道場を開くまで、ヒマラヤに籠って一人で修行を続けたそうだ。

 

大師のように山に籠り禁欲生活を続け、孤独に耐え、情欲や煩悩に悩まされないというのは、私のような凡人には理解不能だった。若かった当時の私には、情欲や煩悩を捨ててまでヨガの修行する意味が分からなかった。

 

もうずいぶん昔のことだが、ある日突然、インドにヨガを習いに行こうと思い立った。それほどヨガに興味があったというわけでもなかったので不思議だ。おそらく、その頃の私は社会にうまく適応できず八方塞がりだったので、どこかへ逃げ出したかったのだろう。

 

当時の日本社会は高度成長期だったが、自分の時間も持てない忙しい競争社会を嫌い、ドロップアウトして海外を放浪する若者が多かった。何故インドだったかというと、対抗文化として精神世界が注目され、ヨガとか密教が流行り、神秘的な感じのするインドに行くのがブームになっていたからだ。

 

今思えば、まったく英語も話せずインドについての知識もないのに、よく行ったもんだと思う。勇気があるというより、若気の至りで無知で深く考えなかったので行けたのだと思う。現実のインドを知っていたら、絶対行かなかっただろう。

 

星 無謀な行為だったが、何も予備知識や先入観がない方が不安が少なく、行動に踏み出しやすいといえる。

 

 

  

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ヨガを習うといっても、どこに行ったらいいか分からなかったので、とりあえず有名なビードルズがヨガを習っていたという、北インドのリシケシという所に行くことにした。だが、デリーから何度もインド人に騙されながらリシケシにたどり着くと、その大規模なヨガ道場はアメリカに移転したとかで廃墟になっていた。

 

ビートルズの習っていたヨガも伝統的なヨガではなく、インドの三大新興宗教のひとつといわれるT.M.(超越瞑想)というものだった。

 

そこがダメでもリシケシはヨガの聖地として知られており、たくさんヨガ道場があるので、何とかなると思っていたのだが、外国人を受け入れているヨガ道場は少なく、ことごとく断られてしまった。

 

途方に暮れて茶店でお茶を飲んでいると、インド人の老人が何か困ったことがあるのかと話しかけてきた。片言の英語で事情を説明すると、何とその老人はあるヨガ道場に滞在しており、事務長に紹介してやると言ってくれた。まさに捨てる神あれば拾う神ありである。

 

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老人の紹介でなんとかヨーガ・二ケタンというヨガ道場にもぐりこんだのだが、そこでの生活は日本のヨガ教室で教えているヨガとはかなり違っていた。一般にインドではヨガはヒンドゥー教の一派と思われており、本当にヨガを極めたいなら師匠に弟子入りし出家するのが普通である。

 

古くはバラモン教の六大流派の一つ、ヨガ行派がインド・ヨガの起源である。初期のヨガでは日本のような体操は行われず、瞑想の技法が中心だった。ヨガの体操が行われるようになったのは、ヒンドゥー教のシバ派とかかわりが深いハタ・ヨーガの発達によるものだ。

 

 

 

 

ヨガ道場の朝は早く、四時頃には起床である。五時前からヨガの修行が始まり二時間ほど瞑想や体操の行をする。その後、外国人は自由参加だったが、庭で護摩を焚きヒンドゥー神々に供物をささげ祈る。他のヨガ道場では、キルタンという神の賛歌やマントラを唱えたり、楽器を演奏し踊ったりするところもある。

 

インドのヨガ道場は日本の禅寺のような感じである。デリーのようなインドの大都市に、日本のような健康のためのヨガ教室がてきたのは、わりと最近のことである。

 

八時頃朝食をとるが、ほとんど毎食カレーで、朝晩、入っている野菜の種類が違うだけで内容はほぼ同じだった。唐辛子や玉ねぎの入っていないスープ状の野菜カレーとライス、チャパティ、ダル豆のスープだ。それを右手だけでライスに混ぜて食べる。

 

インドてはトイレで紙を使わない。左手はトイレでお尻を拭くので、不浄の手とされる。

 

ヨガ道場のカレーは辛くないので、気の抜けた味がして美味しくない。また、ニンニクや玉ねぎは性欲を高めるそうなので使われない。何故か甘すぎるチャイやお菓子は、飲んだり食べても問題ないそうだ。

 

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朝食後は夕方まで長い自由時間になる。四時起きするのは、十時頃からとんでもなく暑くなり、何もできなくなるからだ。わたしが行ったのは五月で、北インドでは一番暑い時期だった。外気温は45℃ぐらいまで上がり、何もする気が起こらない。40℃越えは未知の体験であり、生きているのがイヤになるぐらいの暑さだった。

 

部屋はコンクリート製のバンガローで、窓には泥棒除けの鉄格子が入っている。部屋の中は簡易ベッドがあるだけで、もちろん冷房はない。強い日差しで熱がこもるので、みんな部屋の床や壁にホースで水をまいていた。

 

暑さとともにわたしを悩ませたのは、言葉の壁だった。他の人たちとのコミュニケーションもとれないし、ヨガの先生が説明しても何を言ってるかさっぱり分からなかった。道場を紹介してくれた老人にも、「お前の場合、ヨガを習う前にデリーの英会話学校に行った方がいい」と言われたほどだった。

 

どうなる事かと思ったが、不思議なことに10日もすると暑さに体が慣れてきて、散歩ができるようになった。それに、片言の英語でも身ぶり手ぶりで、コミュニケーションもとれるようになっていった。案ずるより産むが易しである。

 

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道場の入り口には創設者の聖者の大理石の像が置いてあり、みんな手を合わせて拝んでいた。わたしも聖者の像に祈っていたのだが、ある日、ヒマラヤの支部から戻ってきた日本人のKさんから、そのヨガの聖者は、まだ生きており、カシミール地方のパハルガムという所に避暑に行っていると聞かされた。

 

そして、「こんな所にいても何も得るところが無いので、すぐにパハルガムに行った方がいい」と言って去っていった。1か月も時間を無駄にしたと腹が立ったが、ヨガの先生に何で教えてくれなかったんだと聞くと、「お前が聞かなかったからだ」と言われた。ともかく翌日には荷物をまとめ、Kさん後を追ってヨガの大師に会うため、パハルガムに向かった。