インド・ヨガの旅 (1) | 漢方堂だより

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もうずいぶん昔のことだが、ある日突然、インドにヨガを習いに行こうと思い立った。それほどヨガに興味があったというわけでもなかったので不思議だ。おそらく、その頃の私は社会にうまく適応できず八方塞がりだったので、どこかへ逃げ出したかったのだろう。

 

当時の日本社会は高度成長期だったが、自分の時間も持てない忙しい競争社会を嫌い、ドロップアウトして海外を放浪する若者が多かった。何故インドだったかというと、対抗文化として精神世界が注目され、ヨガとか密教が流行り、神秘的な感じのするインドに行くのがブームになっていたからだ。

 

今思えば、まったく英語も話せずインドについての知識もないのに、よく行ったもんだと思う。勇気があるというより、若気の至りで無知で深く考えなかったので行けたのだと思う。現実のインドを知っていたら、絶対行かなかっただろう。

 

星 無謀な行為だったが、何も予備知識や先入観がない方が不安が少なく、行動に踏み出しやすいといえる。

 

 

  

                     クローバー

 

ヨガを習うといっても、どこに行ったらいいか分からなかったので、とりあえず有名なビードルズがヨガを習っていたという、北インドのリシケシという所に行くことにした。だが、デリーから何度もインド人に騙されながらリシケシにたどり着くと、その大規模なヨガ道場はアメリカに移転したとかで廃墟になっていた。

 

ビートルズの習っていたヨガも伝統的なヨガではなく、インドの三大新興宗教のひとつといわれるT.M.(超越瞑想)というものだった。

 

そこがダメでもリシケシはヨガの聖地として知られており、たくさんヨガ道場があるので、何とかなると思っていたのだが、外国人を受け入れているヨガ道場は少なく、ことごとく断られてしまった。

 

途方に暮れて茶店でお茶を飲んでいると、インド人の老人が何か困ったことがあるのかと話しかけてきた。片言の英語で事情を説明すると、何とその老人はあるヨガ道場に滞在しており、事務長に紹介してやると言ってくれた。まさに捨てる神あれば拾う神ありである。

 

                       クローバー

 

老人の紹介でなんとかヨーガ・二ケタンというヨガ道場にもぐりこんだのだが、そこでの生活は日本のヨガ教室で教えているヨガとはかなり違っていた。一般にインドではヨガはヒンドゥー教の一派と思われており、本当にヨガを極めたいなら師匠に弟子入りし出家するのが普通である。

 

古くはバラモン教の六大流派の一つ、ヨガ行派がインド・ヨガの起源である。初期のヨガでは日本のような体操は行われず、瞑想の技法が中心だった。ヨガの体操が行われるようになったのは、ヒンドゥー教のシバ派とかかわりが深いハタ・ヨーガの発達によるものだ。

 

 

 

 

ヨガ道場の朝は早く、四時頃には起床である。五時前からヨガの修行が始まり二時間ほど瞑想や体操の行をする。その後、外国人は自由参加だったが、庭で護摩を焚きヒンドゥー神々に供物をささげ祈る。他のヨガ道場では、キルタンという神の賛歌やマントラを唱えたり、楽器を演奏し踊ったりするところもある。

 

インドのヨガ道場は日本の禅寺のような感じである。デリーのようなインドの大都市に、日本のような健康のためのヨガ教室がてきたのは、わりと最近のことである。

 

八時頃朝食をとるが、ほとんど毎食カレーで、朝晩、入っている野菜の種類が違うだけで内容はほぼ同じだった。唐辛子や玉ねぎの入っていないスープ状の野菜カレーとライス、チャパティ、ダル豆のスープだ。それを右手だけでライスに混ぜて食べる。

 

インドてはトイレで紙を使わない。左手はトイレでお尻を拭くので、不浄の手とされる。

 

ヨガ道場のカレーは辛くないので、気の抜けた味がして美味しくない。また、ニンニクや玉ねぎは性欲を高めるそうなので使われない。何故か甘すぎるチャイやお菓子は、飲んだり食べても問題ないそうだ。

 

                       クローバー

 

朝食後は夕方まで長い自由時間になる。四時起きするのは、十時頃からとんでもなく暑くなり、何もできなくなるからだ。わたしが行ったのは五月で、北インドでは一番暑い時期だった。外気温は45℃ぐらいまで上がり、何もする気が起こらない。40℃越えは未知の体験であり、生きているのがイヤになるぐらいの暑さだった。

 

部屋はコンクリート製のバンガローで、窓には泥棒除けの鉄格子が入っている。部屋の中は簡易ベッドがあるだけで、もちろん冷房はない。強い日差しで熱がこもるので、みんな部屋の床や壁にホースで水をまいていた。

 

暑さとともにわたしを悩ませたのは、言葉の壁だった。他の人たちとのコミュニケーションもとれないし、ヨガの先生が説明しても何を言ってるかさっぱり分からなかった。道場を紹介してくれた老人にも、「お前の場合、ヨガを習う前にデリーの英会話学校に行った方がいい」と言われたほどだった。

 

どうなる事かと思ったが、不思議なことに10日もすると暑さに体が慣れてきて、散歩ができるようになった。それに、片言の英語でも身ぶり手ぶりで、コミュニケーションもとれるようになっていった。案ずるより産むが易しである。

 

                       クローバー

 

道場の入り口には創設者の聖者の大理石の像が置いてあり、みんな手を合わせて拝んでいた。わたしも聖者の像に祈っていたのだが、ある日、ヒマラヤの支部から戻ってきた日本人のKさんから、そのヨガの聖者は、まだ生きており、カシミール地方のパハルガムという所に避暑に行っていると聞かされた。

 

そして、「こんな所にいても何も得るところが無いので、すぐにパハルガムに行った方がいい」と言って去っていった。1か月も時間を無駄にしたと腹が立ったが、ヨガの先生に何で教えてくれなかったんだと聞くと、「お前が聞かなかったからだ」と言われた。ともかく翌日には荷物をまとめ、Kさん後を追ってヨガの大師に会うため、パハルガムに向かった。