居場所を探す | 漢方堂だより

漢方堂だより

ヨガ 気功 健康法

現在の日本は、経済的な成長と効率・合理主義が、社会の価値感となっているだろう。そんななかで多くの人は信念や生きがいもなく、社会から脱落しないようにやみくもに頑張っている。そうした風潮は心身を疲労させ、心を病む人や引きこもる人も少なくない。

現在の日本はなんだかんだ言っても、経済成長が目標となり、社会的な成功や豊かな生活が多くの人の価値基準となっている。

そんな風潮に疑問を感じ、自己実現や自分らしい生き方をしたいと思う人も多い。だが、そういう人も本当にやりたい事があるわけではなく、ただタレントや歌手になって有名になりたいとか、漠然と成功してお金を儲けたいだけの人も多い。





では、頑張るのが当たり前で、疲れても頑張るしかないという社会で、どんな生きがいを持てばよいのだろうか?

自分らしく生きたい人は、自分の好みにあって気持ちよく働ける職場を探しすが、当然そんな会社は見つからない。結局、そんな選り好みをしてはどこにも就職できないので、引きこもりになったり、何も考えず働いて酒を飲んで寝るような生活になってしまうのだ。

好きなことを仕事にできれはいいが、世の中はそんなに甘くない。よほど才能がなければ、最初から好きなことで食べてゆくのは難しい。生きてゆくためには、自分の好みとは関係なくイヤでも仕事をするしかない。
                         

                         


日本の社会は経済成長第一主義だが、同時に常に前向きで成長を続けるべきという上昇志向を善とする風潮がある。そのため、のんびり暮らしたり怠けたりすると、競争から脱落してしまうという強迫観念を持つ人も多い。

もちろん、体力や精神力には個人差があり、ブラック企業でも頑張って出世したり成功できる人もいる。そういう人は競争主義のストレス社会にうまく適応できているので、自分の信念に従って上昇志向を続ければいい。

 自分らしい生き方をしたい人や、職場に耐えられない人に他の道もあるといっているだけなので、今の生活に不満がなければ変える必要はない。

だが、うまく社会に適応できてるつもりでも、不眠などの睡眠障害や、体の不調がいつまでも続くようなら、無理にポジティブシンキングを続けるより、自分の生き方を見つめ直した方がいいというサインかもしれない。

                         
     

自分の一生が自分にとって良いものだったかどうかは、国家や政治や社会情勢とは関係ない。どんな状況や環境に置かれても、生きがいや喜びを感じている人いる。他人の評価ではなく、その人の価値観や考え方次第だ。

社会が不公平で差別があるから幸せになれないという人もいるが、本気でそう思っているかは疑問だ。社会はもともと不条理で理不尽だし、人生はいつ何が起こるか分からない。それに、いじめや差別がない公平な社会などどこにも存在しない。

いじめや差別があっても、社会や政治のせいにするより自力で何とか解決の方策を見つけるべきだ。ただ、社会の変化や改革を待っているだけでは何も変わらない。耐えられなければ、無理に我慢せず会社や学校をやめればいいだけだ。

おそらく社会や政治を批判するだけで何もしない人は、自分を見つめるのを避けているのだろう。耐えられないと嘆くだけでは生きて行けない。辛抱や忍耐はどんな場面でも要求される。





職場に居場所が見つけられないなら、仕事は生活の手段と割り切って職場以外に自分の居場所を探した方がいい。職場や家庭にはない価値観の場所を持つのは、精神的な安定のためには大事なことだと思う。

それは趣味の同好会やボランティア活動でもいい。ただし、占いやあやしげな宗教や、自己実現セミナーなどは、一時的に心が高揚するがやめておいた方が無難だ。

自分の居場所を見つけ生きがいや幸福を感じるのに、他人の評価は関係ないし有名になる必要もない。プロになれなくても好きなことを追求し、やりたい事を続けていけばいいだけだ。才能が乏しくても、好きで続けていれば、案外それで食べて行けるようになるかもしれない。

ただ、頭で分かっても、考えや生き方を変えるのは難しい。辛くても慣れた生活を捨てるのは勇気がいるので、簡単にはやめられないからだ。結局、働き過ぎて病気になったり、人生観が変わるほどの挫折でもしない限り、自分の生き方を変えるのは難しいかもしれない。